Searching for a King (王をたずねって)

125日 英語礼拝     第2コリント人への手紙 151022

 

 クリスマスの時期に、この聖書 の箇所を輝くのはおかしいと思われるかもしれませんが、クリスマスこそ十字架を思うべきです。十字架がなければクリスマスは意味を失います。クリスマスの 真の意味を尋ねましょう。わたしたちはこの暗闇の中にあって、3人の博士たちのように、イエスを探さなければなりません。

 現在では、クリスマスにイエス を見ることができなくなっています。それは日本だけでなく、かつてキリスト教箆と呼ばれた宮でもです。イエスがクリスマスから追い出されているのです。賛 美歌は学校で歌われなくなり、クリスマスキヤロルも傭人私有地で歌われなくなりました。通りでは派手なクリスマスパレードが行われ、サンタクロースが真ん 中に座っています。しかし、その頭上に仏メリークジスマス”とは掲げられていないのです。世の人々はかつてないほど音別こさせられています。第2の暗闇の時代を迎えています。 この信仰のない時代を禅はどのように見られているでしょうか。

 わたしたちはクリスマスに赤 ちゃんイエスを見る事を喜びます。 しかし、十字架のイエスから目をそらせてはいないでしょうか。イエスの偉大な教えを聞くのは大好きです。しかし、それ を語るのが神の子だということはあまり言わないのではないでしょうか。クリスマスの時期は、十字架を示す絶好のときなのです。1225日。イエスの誕生の甘を祝う 大切な日なのですが、日付は重要ではありません。クリスマスの大切さは、そこから十字架への歩みが始まるということです。私たちは十字架の血に信仰をおく のです。 数年前、沖もし、神がわたしたちの仲間にいたら? ”という歌がありました。実に、神は私たちの中に降りてきてくださったのです。しかし、私た ちと同じでしょうか?イエスの誕生は、罪を通らずになされたものでした。イエスは天の交と離れることはあり、ませんでした。

 3人の樽士たちは、赤ちゃんイエ スに高価な贈り物をしました。黄金、香料、薬。彼らは預言を信じていました。だから、イエスの居場所がわかり、イエスが誰なのか、イエスの権威ときよさを 知っていたのです。イエスが死ぬべきメシアであるということも。ヘブル人は、神の偉大さを知ってはいたが、世の知者に従ってしまいました。イエ女の誕生 は、城や王冠ではなく、馬小屋、大工の子−わたしたちと同じ。ここに神の意図があるのです。現在、人々は力を求め、世のりーダーたちは裕福なバックグラウ ンドを持っています。人はそういう力を求めてしまう。世の知恵はおろかになってしまいました。

 私たちは、十字架を知っている ものです。クリスマスを世の人が見るように見てはいけない。グリスヤスは、救い主が永遠に生きるその始めの日であり、今も生きている方であるということを 覚えましょう。2000年以上前の人が生きるのか、と世の人は愚かに思うでしょう。しかし、わたしたちは信じて います。キリストは今も生きていることを。私たちの罪のために自らの命を与えられた方。クリスマスに十字架のイエスを讃えましょう。この世と闘わなければ いけないのです。神の恵みはわたしたちととこしえに共にあります