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英語礼拝 説教要旨 2004年12月19日
「王への贈り物( A gift for the Lord)」
マタイ 2:11 Tコリント15:10〜20 ルカ 10:25〜37
「やすかれ わがこころよ (讃美歌298)」(Be still,my soul)
イエスの姿を前にして、自らをふり返る時としたい。
子どものラジオドラマ「オデシーの冒険」の中でイマジネーションタイムという時間があ り、時を逆上りベツレヘムは行くという状況を聞いていると、自分もベツレヘムに行き、馬ぶねに寝かされているイエスを目の前にして心静かに拝している気持 ちになった。馬ぶねの中では、すべてがゆっくりと静かに流れていた。その前で、何をどう言ったらいいのか、その厳かさの前では、やすかれ わがこころよ」 そのものではないか。
神は私の側にいる、神の美しさ が私の中で働いている。髪はとこしえに私とともにいるとの約束の美しさ そのことを思うと棟がいっぱいになる。「神よ、私はあなたの恵みに値するものでは ありません。」と逃げ出したくなることがあります。どうしてこのような素晴らしい業をなされるのか、神は何を望んでおられるのか、と考えることがありま す。
3人の博士の贈りもの 黄金、乳 香、没薬 は何を意味するのか
黄金 ― 王の権威、地上の 王、王の王、主の主
乳香 ― 霊妙さ 拝められ るべき方へ 讃えられるべき方へ 献げられ
るもの
没薬 ― 死体に塗るための 薬 私たちのために十字架で死なれるため
あなたは何を約束しますか。何 を献げますか。
神が求めるのは、「心をつくし、 思いをつくし、力をつくし、主なるあなたの神を愛せよ」である。人生で、教会生活で、身体で、イエスを第一として生きる生き方へと変えられていく。
この世には善き行いをする人は 多くいますが、神の真実の愛とつながっていなければ、神の目には意味をなさない。私たちは、自分の身体も世に出て人に仕え、人生の谷で人を助けるため、必 要とされている。だから、用いられるようにコントロールしなければならない。
あなたは最善を神に献げようと 望むだろうか。何を献げるのか。この時、罪が邪魔をする。イエスを前に自分の罪の重さに走り去りたくなる。私たちの罪を十字架上のイエスに担ってもらうこ とをしなければ。自らの罪を告白し、イエスに渡さなければ。そうしなければ、壁を越せない。
イエスは罪をゆるし、愛すると いう目的のために地上に来られた。たとえ時間が長くかかっても、イエスは忍耐強く待っておられる。私たちが罪を告白し、明け渡すことを望んでおられる。そ れが、私たちが王の前に献げることができる最善のものである。