「万事を益とする神」
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こちらに来て、三 週間となりました。妻の里でもあることから」全く見ず知らずの土地ではありませんが、実際住むとなると、今までの里帰りとは全く異なります。まだ慣れぬ事 も多く、戸惑うこともありますが、少しでも早く高知人として皆さまと共に歩めるようにと願っています。 以前にも私自身のことを自己紹介を兼ねて、話させ ていただきましたが、今日と来週の二回で、私の父のことを語ることをおゆるし下さればと思います。私の母は一昨年の4月18日、奇しくもこの日は受難日 でありましたが、4月18日に急死しました。この時にも不思議な神さまの導きがいくつもありましたので、また話す 機会があるかとも思いますが今日は私の父が導かれたことを話します。 私の父は大正6年生まれですから、現在87歳です。今は後でも触れます が、現在は信州の病院で寝たきりの生活をしています。昨年も何度も危篤の状態に陥ることがあったのですが、私の妹は、「お父ちゃんはよっぽどこの世に未練 があるのじやないか」と言っております。その度に回復したとは言えないかもしれませんが守られて過ごしております。何年も前に脳血栓を患ったこともありま すし、心臓も通常の2倍ほどに把大しています。また昨年は肺気腫をも患い、痴呆もかなり進んでおり、家族のこ とが分からないこともあります。 父は今から8年前の97年のペンテコステに受洗しま した。父が教会に導かれたことを考えますと、紳さまは本当に生きて働き、万事を益とされる方だと確信せざるをえません。奇跡を起こして下さるお方だと思わ せられます。今からお話しすることは、目に見える出来事としても不思議なことの連続でした。しかし神さまの本当の奇跡とは、一人の人間がイエスさまと出会 い、その十字架の購いによって救われることなのです。 話に入るにあたっ て少し私自身のことを語らせていただきます。私は京都で生まれ育ちました。高校は仏教系の男子校に通い、全くキリスト教とは無縁の環境に育ちました。明確 な理由があって通う大学を選んだのでなく、たまたま合格した学校がミッションスクールだったのがキリスト教との出会いとなりました。その学校で出会った友 人に誘われて教会に通うようになり、大学2年のイースターに受洗しました。 その頃は自分でキ リスト教を選んだのだと私は思っていました。私の両親はノンクリスチャンで、特に母は宗教嫌いであることを自認していましたし、家には仏壇も禅棚もない、 全く宗教を感じることのない家庭でした。そんな時、家の本棚に一冊の聖書があるのを見つけました。私は何の疑いも無く、それは母のものだと思いました。父 が聖書を読んでいる姿など思い浮かべることも出来なかったからです。聖書どころか、読書をするようなことはないような人間だったものですから。 私は少し驚きを感 じながらも、宗教は嫌いだと言っていた母でも聖書を読んだことがあるのだと思い、少し嬉しくなって母に尋ねると、「それは自分のものではない、父の聖書 だ」と言うのです。そこで父に尋ねると、実は昔結核で入院していた頃に、病床伝道に来た牧師の誘いを受け、教会に暫く通っていたのだと言うのです。私はと ても驚きましたしすぐには信じられなかったのを記憶しています。父の普段の様子からは、教会に通っていたとは全く思えなかったからです。父とする会話と言 えば、父は阪神タイガー大のファンでしたので、ちなみに私は違いますが、野球の話が主で、宗教の話題どころか、生や死の問題を語り合うことなど全くありま せんでした。そんな父でも教会に通っていたことを知り、私が教会に導かれたのにも、そこに至る道には父の求道があったことを思わせられました。そし七私は 自分で教会に行くことを選び取ったのだと思っていましたが、そこには神さまの導きと選びがあったことを感じました。 私は受洗してしば らくの間は家族の救いを願い、祈ることだけでなく、直接的に教会に行かないかと誘うことはありませんでしたが、母にはそれとなく教会の素晴らしさや神さま の豊かさを語ったことを覚えています。あの父が神に祈る姿など想像さえ出来左かったものですから、父にはそんなことをしても無駄だとさえ思っていました。 そめ後は、私は家旗が導かれることを祈り続けることも願うこともないまま、過ごしました。 31歳で親元を出て、東京で働くようになった私は、その東京でパブテストの教会に通うように なり、献身の思いが与えられ、西南の神学部に入学するため福岡に行くこととなりました。私の妹は早くに結婚して家を出ていましたので、両掛よ二人で京都の 市内に暮らしていたのですが、年寄りだけの生活に不安を感じたこともあったのでしょうが、妹からの同居の誘いを受けて住みなれた京都を離れることになりま した。母は京都といっても、京都府の丹後の生まれなのですが、父は京都生まれの京都育ちで、京都市を離れたことが無く生活していました。 父は頭では長野に移ることに同意していたのですが、いざ引越しが近づくと体が拒否反応を示したのでしょうか、前立腺が悪くなり、手術をすることとなり、− ケ月ほど入院しなければならなくなりました。当初の予定が遅れて、両親の長野への引越しは暮れも押し迫った12月二十日を過ぎてからのこと になってしまいました。1997年、父が79歳のことでした。 人が最も大きなス トレスを感じることの−つは引越しだそうです」今回私も福岡から高知に越して来ることになりましたが、これはなかなか大変でそれだけで大きな疲労を感じる ものです。私のような年齢の人間でさえ、そうなのですから、80歳になろうとする父にとってみれば、どれほど大きなストレスと心労を感じ心と身体に影響 を与えたかは、容易に察することが出来ます。 父が移った先は、長野県北安曇郡松川村と いう当時人口八千人、今は一万人を超えたようですが、小さな田舎の村でした。松本から40`ほのきれいな村であります。雪は多くは降りませんが、長野県の北部ですから、寒さは厳 しいものがあります。今でも村にはスーパーが二軒しすから、寒さは厳しいものがあります。今でも村にはスーパーが二軒しかなく、他には店はあまりなく、と ても静かな村です。 私たちが京都で住 んでいたのは、中 京区の四条大宮という所で、関西の人間なら知らぬものはないほどの場所です。バスと電車のターミナルで、町のど真ん中と言 える所です。松川村と は正に対極の環境にあります.私などはのんきなものでありまして、空気の汚い都会に年寄り二人で住むよりも、自然が豊かで空気の澄んだ信州で暮らす方が彼 らにとっては良いだろうくらいに考えていました。 しかしそれは父に とってはとても過酷なことでありました。移ったひと月、ふた月は大丈夫だったのですが、三ケ月目の終わりの頃、父は突然てんかんの発作を起こしたような状 態になり、 一時間ほど泡を吹いたまま意識不明となりました。原因ははっきりとは分かりませんが、幸いこの時は大事には至りませんでしたが、それ以来毎年 季節の変わり目には心と体に変調をきたすことを繰り返しています。父にしてみれば、たとえ妹たち一家(妹には三人のむすめがおります)孫にも囲まれた生活 ではあっても、親戚も知人もいない環境で暮らすことはとてもきついことであり、そのことが父の心と体をむしばんでいったのでした。 しかし、人の目に はマイナスの事としか思えないこれらのことが父の心の飢え謁きにとってみれば、良かったのでした。父の心に寂しさや満たされない思いが占めたのでしょう か、心に生じたその空白を、父は紳を求めることで満たそうという思いを持ったのでした。これは本当に不思議なことでした。それは父の思いであったのでしょ うが、神が与えたものであるとしか思えません?80歳にして父は再び教会に行きたいと決意するに至ったのです。 今日の聖書の箇所で ある口ーマ人への手紙8章28節をお読みします。27節から読みます。 「そして、人の心を 探り知るかたは、御霊の患うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。紳 は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された看たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」 私が教会に導かれ たことの背景には父の求道がありました。それほど長くは通わなかったようで、父の言葉によると「長老の問題で行くのがいやになづた」と言っていました.ま た父が長野に移ってからその寂しさや孤独、また満たされない心の空白を埋めるために教会に行きたいという思いを持ったことには、私がクリスチャンとなり、 牧師になったことも働いていたのだと思います。 神さまは凡てのこ とに働いて下さいます。そして万事を 益と変えて下さるお方です1あの父が、聖書どころか普通の本さえ読むことのなかった父が救われたのです。私にとって はこれほどの奇跡はありえません。心も身体もぽろぽろになった父、しかし紳はこれらの人間から見えば、マイナスにしか見えないことさえも用いて、万事益と し下さるのです 皆さんの中には、 家族の救いを願いながら、その事が叶わず、悩みの中にある方もおられることだと思います。しかし大丈夫です。紳さまは必ず引き上げて下さいます。今でも私 は信じられない思いになります。あの父が洗礼を受けて、キリスト者の群れの中に加えられたという事が。 今週はその父が信 州の教会に導かれた具体的なことまではお話し出来ませんでした。私にとってはここまででも十分に驚きの出来事、先週の言葉を用いるなら、アメージングなの ですが、この時以降、父が教会を訪ね、その群れに加えられたことは、もう信じられない、驚きと不思議の連続でありました。この続きは次週お話しさせていた だきます。 先ほども申しまし たように、父は現在病院の療養病棟で、寝たきりのような状態で過ごしています。もうほとんど口をきくことはありませんので、現在の心の様子を本人から直接 聞き出すことは出来ません。しかし今も神さまの懐で安らかに眠っていることだと思います。お祈りをいたします。今日も、紳さまの導きと愛に心を向けるため に、暫く黙想の時を持ちたく思います。
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