「イエスは涙を流された」(召天者記念礼拝)
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皆さんお帰りなさい。今日初めてお会いする方もおられますが、私は毎週の礼拝を「お帰りなさい」の挨拶で始めさせていただいております。今日はこの教会で信仰生活を送られ先に天に召された方たちを覚えての礼拝です。今日初めてお会いする方たちも多くおられますし、一年ぶりにここに来られたという方もおられることでしょう。しかし皆さんはそれぞれこの教会に帰って来られたのです。その意味も込めて、「お帰りなさい」と申し上げます。 私は今年の2月に赴任いたしました平林と申します。先ほどお名前をお読みした方々とは私はこの地上においては全く面識がありません。しかし天のみ国においては再会できることと信じています。その時は、私は「ただ今」と言って、天に、神さまのみもとに帰って行こうと思っています。 さて、これらの方たちにはそれぞれにこの地上での歩みがおありになりました。それは言い換えるならば、それぞれお一人おひとりに人生の物語があったということであります。キリスト教においては一般によく言われる「供養をする」とは言いません。死者に対して、私たちが何かをして差し上げることは基本的にはないのです。それゆえ供養のためのお供えをするとも考えません。私たちに出来ることは、これらの信仰の先達の方たちを神さまの御手にお委ねすることです。神の御許にあって安らかに過ごされるように神さまに祈ることです。そして残された私たちがお一人おひとりのことを忘れずに脳裏に焼き付けておくことです。そのためにキリスト教会ではどの教会においても年に一度召天者の方たちをおぼえて記念するため礼拝を献げます。時期は教会によってまちまちです。この教会のように9月に執り行ったり、8月のお盆の時期にする教会やまたイエスさまの復活されたイースターに行なう教会もあります。時期の定めはありません。ただ共通することは、召天者の方たちを覚え記念することであります。 明治期の著名なキリスト者であったかの内村鑑三は、愛娘の葬儀にあたって「ルツ子さん、万歳」と叫んだと言います。葬儀に「万歳」だなんて不謹慎なと思われる方もあるかもしれませんが、内村にとって、また私たちキリスト者も、死は天国への凱旋だと捉えております。聖書においては死は全ての終わりではありません。聖書はそのイエス・キリストが処刑から数えて三日目に甦ったと告げています。神は死を乗り越えらせてキリストを甦らされたのです。では私たちにとって死は悲しいことではなく、むしろ喜びの出来事と考えなければならないのでしょうか。 私が神学生だった時の話です。西南の神学部では夏期伝道奉仕というのがあり、それは学校の授業としてのものではなく、学生の自主的な活動によるものではありましたが、ある年に北海道の教会で15日間奉仕させていただきました。15日間は長丁場であり、様々な貴重な経験を滞在中にさせていただきましたが、その期間中に教会の一人のご夫人が亡くなられました。50代の方で、動脈瘤か何かの病気による急死でありました。前夜式で、その娘さんがご遺族を代表して挨拶された時のことです。その娘さんは未信者の方でしたが「教会の方から、慰めていただきとても感謝している。だから自分は悲しんではいけない、喜ばないと」とおっしゃりながら、泣き崩れられたのです。死は全ての終わりではない、母は神さまに見捨てられたのでなく、苦しみから解放して下さったのだから、喜ぼうとされたのでしょう。泣いちゃいけない、微笑もうとされたのでしょう。しかしそのように思えば思うほど、お母さまとの別れが辛くって悲しくって、どうしようもなくなられたのです。 愛する家族を失うことは悲しいことです。もうこの地上では会えないのですから。私たちは神さまが死者をご自分のもとに呼び寄せ、病や苦しみから解放して下さったことを信じ、慰めを受けます。しかしそれでも悲しい、辛いと感じてしまう。神さまの愛は分かる、それでも悲しい、涙が出てくる。その時は私自身父も母も元気な時であり、肉親の死を体験していない者でしたが、その娘さんの気持ちに共感しながら、自分の信仰について考えさせられ、このことをどのように捉えたらよいのかを神に祈らされたことを覚えています。 さて、先ほどお読みいただいた聖書の箇所はベタニヤという名前の村にいた三人の兄弟の話です。三人とはマリアとマルタの姉妹とその兄弟ラザロでした。このラザロが病気になったので、姉妹はイエスさまにそのことを知らせましたが、イエスさまが彼らの所に行かれた時にはラザロは死んでしまっていました。マルタとマリアは「主よ、もしここにいてくださいましたら兄弟は死ななかったでしょうに」と嘆きの言葉をイエスに口にします。33節ではマリアが泣き、一緒に来たユダヤ人も泣いているのをご覧になって、心に憤りを覚え、興奮して「どこに葬ったのか」とイエスさまが言われたことが記されています。この「心に憤りを覚え」とは、「怒りの言葉を誰かに投げつける」ことから来た言葉です。聖書の中では「厳しく戒める」とか「厳しく責める」などと訳されている深い感情の表現としての憤りを意味するとても激しい言葉です。また「興奮して」は別な訳では「心を騒がせ」となっています。これも「悩ます」とか「心を動揺させる」という言葉です。イエスさまは皆が泣き悲しんでいることに、怒りを伴うほどの激しい感情をむき出しにして、平静さを失うほどの様相を示されたのです。ここにはイエスさまの人々への深い共感が表れています。マルタもマリアもイエスさまが力あるメシアであることを信じたものでした。しかしその彼女たちも兄弟の死という悲しみの出来事には涙せざるをえなかったのです。イエスさまはその彼らの様子を目の前にして、人々のすべての敵である死が彼らを支配している現実に憤られました。イエスさまがこの世に来られた第一の目的は、この死を滅ぼして、人々に永遠のいのちを与えることでありました。イエスさまの憤りは死に対する挑戦です。それは死を支配するサタンの力と対決しようとされるイエスさまの武者ぶるいとでも言えばよいでしょうか。 そして墓にやって来られたイエスさまは「涙を流された」のです。この「涙を流された」様子も、どうも一筋の涙が頬を濡らしたという程度のものではなかったようです。この「涙を流された」は元の言葉では「涙を落とす」というような意味の言葉です。大泣きされた、大粒の涙をたくさん流されたのです。 この後の38節以降には、墓の石をとりのけさせ、墓の中のラザロに向かって「ラザロ、出て来なさい」とイエスさまが呼びかけると、ラザロだけでなく死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来たとあります。イエスさまの呼びかけによって、甦りの命が死者たちに与えられたのです。イエスさまはラザロを甦らせる力を神から与えられていたのです。そしてそのことが実現されることをご存知であったのです。言ってみれば、すでに映画の結末をご存知であったのですが、それでも現実に涙を流している人を前にして一緒に泣いて下さるお方であるのです。 25節からの「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。このことを信じるか」と聞かされたマルタは「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております」と答えました。しかし少し厳しい言い方をするならば、彼女はイエスさまのお力を信じきれていなかったのです。そんな者たちを前にして、イエスさまは彼らを叱りつけることはなさらなかった。そして「お前たち何故泣くのか、私は今から墓に行ってラザロを甦らせるのだ」ともおっしゃらなかった。愛する家族を失って悲嘆にくれている者の悲しみを受け止め、一緒に涙を流して下さるお方であった。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマ12:15)の模範となって下さったのです。 イエスさまは、ただ冷静沈着なだけのお方ではなかったようです。ある所では人々から「大酒飲みの大食漢」だと批判されたことが記されています。イエスさまは人々と喜びを共にする時には、ご一緒にお酒を口にされましたし、聖書にはイエスさまが食事をされた記事が多くあります。そして今日のように人々が悲しみにくれている時には、一緒に涙してくれるお方であるのです。 今日はこの伊勢崎教会で信仰生活を過ごされた信仰の先達の方たちを覚える召天者記念礼拝です。そのご遺族の方もいらっしゃいます。また皆さんもそれぞれに愛する家族の死に遭遇されたご経験をお持ちのことだと思います。家族の死は寂しさと悲しさ、また何ものにも変えがたい喪失感を伴うものです。神さまは人間に感情という素晴らしい賜物をお与え下さっています。これは神さまが私たちに必要なものとしてお与え下さったものです。だから悲しんだり、涙を流すということは決して信仰とは矛盾するものではないのです。悲しいときには泣けばよいし、嬉しいときは笑えばよいのです。 家族を失うことの辛さ、悲しさをイエスさまは受け入れて下さいます。そして一緒に涙を流して下さるお方、それがイエス・キリストです。最後にヘブライ人への手紙4章15節をお読みいたします。新約聖書405ページです。 「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪 を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試 練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、 時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこう ではありませんか」 お祈りをさせていただきます。今日与えられたみ言葉とこの地上での生涯を全うされたお一人おひとり、また私たちの愛する家族に思いを馳せるためにしばらく黙祷の時をもちましょう。 |