「ロゴスキリスト」 


 ヨハネによる福音書1章1〜5、14〜18節
 2005年10月9日
 高知伊勢崎キリスト教会 牧師 平林稔



 皆さんお帰りなさい。今月讃美しておりますこの「きみは愛されるため生まれた」は今年の特伝のテーマでもあります。先ほどの証しのように、この歌は韓国でつくられ、昨年あたりから日本でもちょくちょく耳にするようになったものであります。特伝の中でも、このことについて述べさせていただきますが、私たちは神さまによって愛されるためにつくられ、生み出されました。この歌詞は照れくさくなるように思えるほどのものですが、私はみんながこの神さまの愛を知れば争いはなくなるではないかと信じています。今日も神さまのそしてイエスさまの愛に感謝して礼拝を献げたいと思います。

「ハジマリニ カシコイモノゴザル、コノカシコイモノゴクラクトモニゴザル、コノカシコイモノワゴクラク。ハジマリニコノカシコイモノゴクラクトモニゴザル。」

 今お読みしたのはご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、現存する最も古い日本語に翻訳された聖書であるギュツラフ訳聖書“約翰福音之傳”(ヨハネ福音書)1章1〜3節の件です。1835年(天保6)〜36年にかけてプロシア生まれのオランダ伝道協会の宣教師であったカール・ギュツラフが訳したものです。彼は中国の広東地方で中国伝道に従事していたモリソンの志を継いだ人物でした。この“約翰福音之傳”は3人の日本人漂流船員の岩吉、久吉、音吉の助けを借りてマカオで翻訳されました。当時は1,690冊印刷されたと伝えられていますが、現在世界には16冊しか残っていません。

 「ハジマリニカシコイモノゴザル」で始まるこの翻訳は、全文カタカナで記されています。その約150年後の新共同訳では、ここは先ほどお読みいただいたように、「初めに言があった」とされています。この“言”が今日のタイトルにしましたように、原文は“ロゴス”という言葉です。これは後でも詳しく述べますが、一般的には“言葉” と訳される語ですが、著者のヨハネはこのロゴスこそがキリストであり、神であることを述べ、彼の信じたキリスト像、これはロゴスキリスト論とも呼ばれていますが、彼がキリストをどのように信じ認識したかを展開させています。

 その“ロゴス”をどのように訳するか、ギュツラフもとても苦労し考えたのでしょう。彼はこれを「カシコイモノゴザル」としました。また“神”を“ゴクラク”、“聖霊”を“カミ”と訳しました。彼は何とかして日本に聖書の言葉を福音を伝えたいと願い、苦心してこのような翻訳を行ったのです。

 “ロゴス”であるキリストをギュツラフは「カシコイモノ」としました。「カシコイ」は、“知恵がすぐれている”ということであり、同時に“尊い、ありがたい”ということでもありましょう。彼のこの翻訳は当時の聖書協会の要求する水準にないとの理由で、印刷を打ち切られました。実際、今の私たちが読むと意味がよく汲み取れない箇所があったりもします。また、“神”を「ゴクラク」と訳すことなどは、誤訳だとも思われるかもしれません。この後のところでは、“聖霊”を「神」としています。しかし現在の研究者たちはこの訳を高く評価しています。それは学者の言葉でなく、生きた民衆の言葉で訳されていることによります。言ってみれば口語、当時の民衆が実際話していた言葉で訳した、その意味では天保時代の“口語訳聖書”です。翻訳の一部のコピーですが、壁にはってありますので、後でお読み下さればと思います。

 さて、本日の箇所に入っていきたいと思います。先週もお話しましたように、先週から私たちはキリスト教の何を信じているのか、キリスト教教理について聖書から、特に今日はヨハネによる福音書から聞きたいと思います。

 ご存知のように、ヨハネ福音書には、博士や羊飼いたちが登場するようなクリスマス物語はありません。最初にも触れましたように、彼はキリストの誕生物語を、その時に起こったエピソードを紹介するのでなく、自分が信じているキリストとは一体何者であるのかをまとめるような形で語ることで福音書を書き始めました。それが今日のところです。ここはとても内容豊かな箇所ですから、ゆっくり見てみたい所はいくつもあるのですが、今日はキリスト教教理を学ぶという観点からも、1節と14節に限って触れたいと思います。

 1節は「言は神であり、その言は初めから神と共にあった」のだと述べます。ギュツラフはこの“ロゴス”を「カシコイモノ」としましたが、ここでは「言」いう字だけを書いて、〔ことば〕と読ませようとしています。現代の日本語としては一般的には用いられない読み方です。通用しないかもしれません。ギュツラフ同様に現代の翻訳家たちも悩まれたのでしょう。これを“言葉”とそのまま漢字を充てても、またそのまま平がなで“ことば”としても、福音書が語ろうとする真意が伝わらないのではないかと考えたのでしょう。ある英語の翻訳には「初めにロゴスがあった」とギリシャ語をそのまま書いているのもあるそうです。

 また、よく知られていることとして、ドイツの文豪のゲーテはその作品の中で、ここを「初めに行ないがあった」としました。これに対しては様々な評価があるようですが、一面においては言い当てている訳であります。聖書における“言葉”は意志や考えなどを言い表す手段ということだけにとどまらず、“出来事”や“事件”などをも指します。単に静的な動かないものなどではなく、そこには命の息づいた動的なものであるのです。一例を挙げると天地創造の初めに神が“光あれ”と口にすれば、光が生み出され、「水が集まれ」と言えば海となり、「乾いた所が現れよ」と言えば陸が出来たのです。そのように神の言葉は事物そのものとなっていくのです。

 福音書記者ヨハネは、イエス・キリストの生涯を思い起こし、そのイエス・キリストの教えの言葉や、その生き様の全てが正に神であったことを伝えようとして、この1節「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」と記したのです。

 そして神そのものであったキリストがこの地上にお生まれ下さったことを神学の世界では“受肉”〔肉を受ける〕と言います。これはお肉を貰うということではなく、神が人間の肉体を受け取られた、すなわち神が人間の姿となって、この地上に来て下さったことであります。この“受肉”について記されているのが、14節であります。

14節「言は肉となって、私たちの間に宿られた」

 ここでは、神であり“ロゴス”であるキリストが人となって「宿られた」とあります。この「宿る」とは、ひと夜の仮の宿を取ったというようなことではありません。これは「テント、天幕を張ってそこに住んだ」という意味の言葉であります。天幕は軽いものではありません。かなりの重量のあるものです。現代のテントも、今では技術が進んで軽量のテントがあるのかもしれませんが、決して軽いものではありません。単なる行きずりの旅人ならばそんな重い天幕を担いで移動するようなことはしません。旅人は一時的にその場所で時を過ごすだけですから、そんな大変な苦労はせずに、知り合いの天幕や家の寝床を借りるでしょう。

 イエスさまは一時的にこの地上に宿を取られたのでは全くありませんでした。神としてのすがたをとり続けることがお出来になられたのに、天のみくらに鎮座ましまし続けられたのに、人間の肉体をとって、この罪に満ちあふれた地上においで下さったのです。そして人の罪や悲しみ、重荷を身に受けて私たちと共に歩んで下さったのです。

 この14節の「天幕を張って住まわれた」という言葉をヨハネが用いたのは、重荷を全部抱えて歩んで下さったことを示しています。イエスさまのこの地上でのお姿は、重い天幕を担いだ姿であったというのです。

 ここでは「私たちの間に」とされています。「私と共に宿られた」と記すことも出来たでしょう。しかし著者のヨハネはここで、あえて「私たちの間に」と述べています。これは“この社会に”というのことでもありましょうが、やはりここでも、自分ひとりとの関係のことではなく、先週もお話しましたように、「私の」だけでなく、「私たちの」それは信仰共同体、愛する隣人たちと共にということを伝えようとしたことによると思われます。

 イエスさまは様々な人たちと共に歩まれました。そしてそ常に重い天幕を担いでおられたのです。それはそれらの人々の重荷であり、試練、であります。人が苦しみや悲しみを抱え込んでいるのを、全て背負って歩んで下さいました。それがイエスさまの“受肉”人間の姿となって歩んで下さったことの意味であり、真の姿です。お祈りしましょう。しばらく黙想の時を持ちたく思います。


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