「をる處なかりし故」  


 ルカによる福音書2章1〜7節
 2005年12月18日
 高知伊勢崎キリスト教会 牧師 平林稔



皆さんお帰りなさい。アドベントも四週目となりました。今年もクリスマスを待ち望み、皆さまと共に礼拝を献げることができますことを心から感謝申し上げます。イエスさまがこの地上にお生まれ下さったことをお祝いするのがクリスマスです。巷でクリスマスが大騒ぎするように知られているのはある意味良いことなのかもしれませんが、どこまでクリスマスの意味が分かられているのかとの思いになるほどです。「教会でもクリスマスをお祝いするのですね」と笑うにも笑えないような話があると聞いたことがあります。何度か申し上げておりますように、その日が12月25日であったかどうかは確かではありません。しかし救い主がこの地上に来て下さったことを記念するお祭りがクリスマスですから、そのことを覚えて教会では、クリスマスをお祝いします。そのお祝いの席に私たちは今日もこうして神さまから招かれています。ご一緒にクリスマスを待ち望みつつ礼拝を献げましょう。

イエスさまがお生まれになったのは、ローマ帝国の初代皇帝であるアウグストゥスが天下を取っていた時代でした。当時のローマ帝国の領土は現在のヨーロッパだけでなく、北アフリカ、小アジアにまで広がっていました。アウグストゥスはその自分の支配下にある地域の人間が全て自分の民であることを確認するために、帝国の全住民に「住民登録をせよ」との勅令を出したというのです。税金を徴収するためであったのかもしれません。

もっとも、実際にはこのような住民登録は、帝国の全領土の住民に一斉に行われたものではなかったようです。それぞれの州や地域ごとに、行政組織が整えられていく過程の中で時期を異にして行なわれたようであります。それだけの広大な地域で一斉に実施しようとしたら、大混乱に陥ったことでしょうから。エジプトや南フランス地方では、紀元前10年頃にローマ帝国による住民登録が行われたという記録が残っています。ユダヤを含むシリア地方で住民登録が行われたのは紀元前8年頃だと言われています。また2節では「キリニウスがシリア州の総督であったとき」とされていますが、歴史の資料によると、彼がシリアの総督になったのは紀元前6年だと分かっています。その頃のローマ帝国の力は絶大なものがありました。そしてその中心にいた皇帝の権力は絶対的でした。彼の号令一つでどのようにでも世界を動かすことが出来ました。彼こそが歴史の支配者であり、世界の中心でもありました。そのローマ皇帝が絶大な権力を用いて勅令を出した時に産声をあげたのがイエス・キリストだったのです。片や世界を動かすだけの力を持ったローマ皇帝、片や泊まる場所さえなく、飼い葉桶で生まれたキリスト。実際の住民登録の勅令はここに記されているようなものではなかったようですが、ルカはこの両者を対比させるためにこのような記述をしたのではないかと思われます。

この勅令に従うため住民たちはそれぞれの故郷に帰ることを強いられました。マリアとヨセフも身重であったのですが、ナザレからベツレヘムまでの旅をすることを余儀なくされました。身重の体で旅をすることがどんなに大変であるのかを想像するのは難くありません。しかもナザレとベツレヘムは直線距離にして150キロ離れていました。直線距離でというのが味噌でありまして、この間の地域にはユダヤ人と敵対関係にあったあのサマリア人が住んでいたのです。ユダヤ人がサマリア人の町の中を通ることは考えられませんから、二人はその地域を迂回しただろうと思われます。

イエス・キリストは馬小屋で生まれた、また馬槽の中で産声をあげたと言われています。しかし実際はそうではなかったようです。聖書にはそのように馬小屋とか馬槽という記述は見られません。当時においては馬は軍事力の象徴であり、王の乗り物でした。一般庶民の生活の場に馬がいたとは考えられないからです。私の神学校の恩師は、イエス・キリストが生まれたのは家畜小屋、そしておそらくは牛小屋であっただろうと言っていました。

それはそれとして、聖書に記されているのは「飼い葉桶」であります。7節です。「初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」

皆さんの中で飼い葉桶や家畜小屋で生まれたという方がおられるでしょうか。おそらくおられないと思います。通常は考えられないことです。最近では自宅で生まれることもないですから。家畜小屋ですから、お世辞にも清潔な場所であったとは思われません。その家畜の糞もあったことでしょう。しかもただの子どもではない、救い主、神の子、王の中の王が誕生された場所です。ここには「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」とあります。そのためイエス・キリストが産声をあげて最初に寝かされたのは事もあろうに飼い葉桶であったというのです。2章の8節からには羊飼いたちに天使が告げた内容が記されていますが、そこでは「布にくるまって飼い葉桶に寝ている」ことが「救い主が生まれたことのしるしだ」とあります。

 飼い葉桶というとまだ聞こえがよいかもしれませんが、これは家畜の餌箱であります。私たちが普段使っている食器ならば毎回洗うものですが、家畜の餌箱がそのように毎回洗われていたとは思えません。食べ残しやよだれも残っていたことでしょう。また「布にくるんで」と訳されている「布」とはオムツのことだったようです。

家畜の糞がある家畜小屋の清潔とは全く言えない餌箱の中でオムツ代わりの一枚の布にくるまれて生まれたのが救い主のしるしだというのです。それは後でも述べるように人々が救い主をそのように追いやったこともその理由でしょうが、しるしというのですから、これは神さまがそのようにご計画されたことであったのです。そこにあるのは、汚れと貧しさです。その汚れと貧しさの中でお生まれ下さったのがイエスさまであります。それは人の世の最も低いところにまで神が降りて来て下さったことを表わしています。そして低き者、貧しき者、虐げられた者と共に歩む救い主の姿が現われているのです。

 今日のタイトルは7節の文語訳から取らせていただきました。何故イエスさまは家畜小屋の飼い葉桶で生まれなければならなかったのか、それは宿屋には泊まる場所がなかったから、「をる處なかりし故」でした。皇帝の勅令のために人々が大挙ベツレヘムに帰って来ました。そうした人たちでベツレヘムの町はあふれかえっていたのでしょう。身重の体で帰ってきたのですから、他の人々よりも遅れて帰ってきたでしょうから、宿屋はみんな既に満室でありました。ヨセフ一人であれば野宿でもよかったかもしれませんが、身重で臨月の妻をかかえていますから、ヨセフが無理に頼んだのか、あるいは宿屋の親切からか分かりませんが、家畜小屋に泊まることになりました。「をる處なかりし故に」です。当時の社会は人々は、イエスさまをお迎えする場所を用意していなかったのです。

 最初に述べましたように、私たちは神さまによって招かれてこうして今日このクリスマスの礼拝に集うことが出来ました。その招かれた私たちがなすべきことはイエスさまがお生まれになる場所を用意することです。それはイエスさまを私の神さま、私の救い主としてお迎えすることです。それはわたしたちの心の中のことです。わたしたちの心の中にイエスさまを迎え入れる場所を用意することこそがクリスマスをお祝いするために招かれている私たちに求められています。

 最後にアメリカのある村で実際にあったお話をさせていただきます。

その村には白い十字架の教会がありました。日曜日の朝になると、教会の鐘がなり、村の人たちはみんなこの教会に集まってきます。おじいさんもおばあさんも、お父さんもお母さんも、子どもたちも赤ちゃんもみんな。こうして毎週礼拝の時には教会はいっぱいになり、村は空っぽになります。

この村では毎年クリスマスの日にイエスさまがお生まれになった劇を行います。その年は子どもたちがこの劇を担当することになっていました。教会学校の先生は子どもたちを集めて配役を決めました。マリアさん、ヨセフさん、羊飼い、博士、それに天使の役も決まりました。子どもたちは全員何かの役をもらいました。ところが、知的障害の男の子が役からもれていることに一人の先生が気がつきました。慌てた先生たちは、急遽相談してその子のために一つの役をつくりました。それは馬小屋のある宿屋の子どもの役です。セリフは一つ、「だめだ、部屋がない」 そして後ろの馬小屋を指さすのです。

この男の子は喜びました。 <ぼくもイエスさまの劇に出るんだ>

「だめだ部屋がない」この子は一日に何十回も繰り返して練習しました。来る日も来る日も練習しました。「だめだ部屋がない」

待ちに待ったクリスマスの日となりました。村中からみんな出て来て、白い十字架の教会に集まりました。プログラムが進んでいよいよ子どもたちのクリスマス劇です。そうしてその劇も最後の場面を迎えました。長旅で疲れ果てたマリアとヨセフがベツレヘムの町にやってきます。もう日も暮れて夕暮れ。そしてあの男の子が立っている宿屋にたどり着きました。

 「すみません、私たちを一晩泊めてください」

さあ、男の子の番です。この子のお父さんもお母さんも教会学校の先生たちも思わず神さまにお祈りしました。

<神さま、ちゃんとセリフが言えますように>

男の子は大きな声で言いました。 「だめだ部屋がない」

それから後ろを向いて馬小屋を指さしました。

 <良かった、上手に出来た> みんなが胸をなでおろした直後のことでした。馬小屋に歩いていくマリアとヨセフをじっと見つめていたこの子は、突然ワアッと声をあげて泣き出したのです。男の子は走って、そして泣きながらマリアにしがみつきました。

 「マリアさん、ヨセフさん、馬小屋には行かないで。

  馬小屋は寒いから、イエスさまが風邪をひいちゃうから。

  だから馬小屋には行かないで、馬小屋には行っちゃだめ」

教会学校の先生が舞台に飛び上がりました。そしてマリアにしがみついて泣いている男の子をひき離しました。そのため劇は最後まで出来ずにしばし中断してしまいました。

ところが長い村の歴史の中で、これほど感動的なクリスマス劇は後にも先にもありませんでした。この男の子の優しさが人々の心に深くふかく入りこみました。大人たちが忘れてしまっていたイエスさまへの思いを持っていたのはこの子でした。

この男の子はイエスさまをお迎えする場所を心に持っていました。イエスさまは「誰でも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこに入ることは決して出来ない」とおっしゃいました。私たちもこの男の子のような心を持ってイエスさまをお迎えしてクリスマスをお祝いしたいものであります。をる處なかりし故、とならないように。

お祈りします。しばらく黙想の時を持ちましょう。


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