「まことのひかり」  


 ヨハネによる福音書12章35〜36節
 2005年12月24日
 高知伊勢崎キリスト教会 牧師 平林稔



メリークリスマス、皆さんクリスマスおめでとうございます。クリスマス、これはクリス‐クライスト、キリストのことで、マスとはミサ、カトリック教会では礼拝のことをおミサと呼んでいます。ですからクリスマスとはキリストを礼拝することであります。喜びの出来事ですから、教会でも明日の日曜の礼拝の後には喜び楽しみお祝いの時を持ちます。お祝いすることは全くよいのですが、しかしクリスマスの中心は、礼拝であります。そのため今日はこのように礼拝を献げているのです。

毎年クリスマスイブのこの日の礼拝は蝋燭の灯りの中で礼拝をしています。これはイエス・キリストはまことのひかりとしてこの地上にお生まれ下さったことをおぼえるためであります。現代の社会においてはこのように蝋燭の灯りをじっと見つめて生活をすることがほとんどなくなりました。私の子どもの頃は、まだたまに停電することがあり、その時は非常用に蝋燭が電気代わりとなることがありました。今回の雪で新潟では長く停電したようですが、今ではこのクリスマスイブの礼拝の時や夏に花火をするときくらいしか蝋燭を生活で用いることがなくなりました。ですから、このように蝋燭の灯りをじっと見つめる時というのも良いものではないでしょうか。

私は昨年まで福岡県に住んでおりました。そこの繁華街の中心地に警固公園という公園がありまして、そこにクリスマスのイルミネーションが毎年飾られます。木などに電飾のイルミネーションが設置され、サンタクロースやトナカイだけでなく、馬やペンギンなど様々な動物も登場します。とても華やかではあるのですが、その非常な明るさのゆえにとても作り物の感じがします。きらびやかさの中で私たちが忘れてしまっているもの、見えなくなってしまったものがあるのではないでしょうか。

私たちの生活に電気というものが入ってきて、生活はとても便利で快適なものになりました。今では電気の無い生活なんか考えられないほどです。昔は夜になったら床についたものでした。夜に外に出かけることもあったでしょうが、今ほどではなかったでしょう。店と言っても一部の夜の街を除けば、夜の八時頃には閉まったでしょう。夜になっても電気が煌々と照り輝いている、24時間開いているコンビニエンスストアは現代社会の象徴だと思えます。夜中でも自分の欲するものを買い求めることが出来る。

その便利さ快適さの中で私たちが忘れてしまったもの、それは暗闇ではないでしょうか。闇は恐ろしいものですし、その闇のために私たちの生活の活動は制限されたり、思うようにならなくされてきました。そのため暗闇を克服するために人間は営為努力してきた。それは素晴らしいことだと思います。しかし闇をどんどんなくしてしまうことで、ひかりの有り難さやまた本当に大切なまことのひかりが何であるのかが分からなくなってしまっているのではないでしょうか。

今年に入っても多くの痛ましい事件がありました。また今までは考えられないような理解不能とさえ言える事件も頻繁に起こるようになりました。特に若年層の子どもたちの犯す事件は社会全体でそのことを捉えなければなりません。それらのことが論じられる時に彼らの“心の闇”ということがよく取り上げられます。その心の中の闇があのような事件を引き起こしているのではないかと。しかしそうではないのではないかと私には思えます。

夜が来れば闇の世界になるように、私たちの心にも闇はあるのです。心の中に全く闇がないなどということはありえないのです。そのあるべき闇がないのです。というより闇を闇として直視しないというか、闇を闇として持てないのが実情なのではないでしょうか。

心の闇する持てない者たちは、生まれた時からまばゆいばかりの光、それは文明の灯りと言ってもよいのでしょうが、その灯りの中にいます。いや子どもたちばかりでなく私たち大人も苦労せずに欲しい物が手に入る、電話だって手の中にある、物を売る店だって24時間開いている。お金がなくてもカードで欲しい物を購入出来る。机の上でインターネットをつなげば世界中の情報を手に入れることが出来る。これらのことは今では当たり前のようになっていますが、少し前には考えられなかったことです。

人間の生活には明るさだけでなく、暗闇も必要なのです。思うようにならないことがある。体の痛みや心の痛み、そういう暗さの中で躓いたり倒れたりしながら、私たちは成長成熟していくのではないでしょうか。

その暗さの中で生きてこそ、まことのひかりが見えてくるのであります。昼間に蝋燭をつけてもその灯りが見えてこないようにです。

イエスさまはおっしゃいました。

「光は、今しばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい」

イエスさまこそがまことのひかりです。そのイエスさまがひかりとしてこの世にお生まれ下さったのがクリスマスです。今の世の中にひかりは町中に溢れています。しかし本当のひかりは多くありません。いやまことのひかりは唯一つだけです。そのまことのひかりとしてこの世にお生まれ下さったのがイエスさまであり、クリスマスです。ここでいう光の子とは、私たちが照り輝くのではありません。まことのひかりに照り輝かされる、それが光の子です。私たちの心の闇をも照らしてくださるお方、それがイエスさまです。そのイエスさまを信じて歩むものとなりたく思います。お祈りをします。


20006年説教ページに戻るトップページに戻る