英語礼拝要旨

2005320

The Healing Cross    癒しの十字架

エホパーラフア:神、われらの医 者

    第1ヨハネ17 ローマ人への手紙5

 私たちは時間的に不完全な世界 に住んでいる。この物理的な環境では時間の手により、何も普変のものではない。花はしぼみ、岩は砕け、ひとの身体もゆっくりと、しかし確実に老いていく。 担:界はこのように作られたのでセはなかった。それは腐敗や死のない完全な世界であった。何が起こったのか。それは、病にかかってしまったからだ。

 初めに、神は語った。無のなか に語られる神のことばは素晴らしい創造物にかわった。神は天と地を創造し、この広大な天球そのものをお造りになられたが、もう1つ創られたものがあった。神の 最後の創造は、神と意思疎通ができ、この創造の世界を与えることのできる対象であった。それゆえ、神は手を伸ばし、土を手に取り、注意深く、いつくしんで 創られたのが、最初のひとアダムであった(アダムは地からを意味する)。ひとは神が手を使って創った唯一のものであった。他の全てのものはただ言葉で持っ て存在した。そしてまた、神は、天から手を伸ばし、土くれのなかからご自身に似せて魂を入れた。息を吹き込み生きるものとされた。これらのことにより、私 たちを特別なものとし、神とつながることを許し、そしてまた過ちの道へ卜り、神から離れることへと導くのであった。そう、神は、私たちに自由意志を与え た。自由意志は神から私たちを導き、救いをもたらすも−の

であった。しかし、神はそこで終 わらなかった。次に神はアダムのあばら骨からエバを作った。だから、二人は互いに一つとなるようつながれていた。二人は神が天の父に魂をもって遣えるべく 彼らの命を創造されたその楽園に住んだ。

 この話はもうよく知っているこ とだろう。簡単にまとめよう。神はアダムとエバに楽園のものすべてを与えた。しかし知恵の木にあるものだけは食べてはならないと戒めた。

 創世記21617

   主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。そ れを取って食べると、きっと死ぬであろう」

 このサタンは病いを持っていた と見ることができるであろう。楽園の中にエバだけがいるのを見て、サタンは彼女に言った。

 創世記3326

  主なる神 が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」女は蛇に答え た。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけな いから、と神様はおっしゃいました。」蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くな るように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。

 アダムとエバは神の掟を犯して しまった。そして罪と後悔に落ちていった。サタンはひとをうまく病に冒した。病一自身の罪と知識。簡単に言えば、人はこの時点からわがままになっていっ た。現在の私たちも同じで古皇ないか。この時点から、自分を喜ばすために、神に背を向けてきた。神は楽園のすべてを与えていたが、この時からひとはもっと 多くのものを手に入れたいと思い始めていた。このことから、病は根深くなり、荒廃は始まった。そして彼らは病にかかったので、神は彼らを楽園から出し、追 放した。

しかし待って。神はサタンに敗れ たのか?

まさか。

 これは、神とサタンとの小さい戦いにすぎない。境界線は一方神(魂)の側に、もう一方サ タン(自身)側に引かれ、戦場は私たち一人一人の心の中に存在しているこというのは、私たち一人一人の中には、党派心(神からの贈り物)と肉体(サタンか ら手を離す肉体の部分)がある。これにより、神がかれの俸大な計画を実行に移した。

 創世記315

お前と 女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」

 神の計画は2つの側面がある。一つは、罪に 積れた創造物と緊密な接触をとること、その様子にしばらくの間の癒しをあたえること。2つめは、罪そのものを完全に滅ぼし、創造物を清い状態にすること。この同じ2つの考えは、癌や他の病気に対 する優れた治癒方法として今日の薬学にも用いられている。これが、エホパーラフアである神、医師としての神を意味している。

 清めるということの2つの側面に共通の要素は血を流 すことである。血は生命にとって必要不可欠なものであるが、もし病気が血液に入ってきたら、死の保有を意味することとなる。ある意味では、睾蛇にかまれた ようである。一度かまれたら、血が体中に広がるのを防がなければならない。もしできれば寺におかされた血を吸い出さなければならない。単に、血の蛮素は究 極の共通要素である。それは存在や不在を表し、肉体と魂の生命機能に影響を与える。

 レビ記1714
すべての 生き物の命はその血だからである

 神が最初に行動されたのは、神 とひととの間にサタンにより置かれた溝を狭めることであった。これは、一致が形作られる必要があり、同意がなされる必要があるということを意味している。 そしてそれは生蟄の動物の血で封じられたことと同意である。創造が何の滅びや死のない完全であったと私が言ったが、それならばこの想像された人はどうして 神の考えが分からなかったのか。罪の代価は死である。神は日に見えるものによって決心され、神ご自身が、世に最初の死をもたらされたのである。それは、動 物を殺し、この男と女に衣服をつくるために。

 創世記321
主なる神 は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。

 この行いは罪への一時的な州現 を許す犠牲の業を確瀬した。これは積れた人間が神と接触をとることを許され、このことにより神は祝福を与えられることを意味している。それぞれの犠牲を もって、人は最善を捧げるべきであった。肉体が悲鳴をあげる間も、このことを覚えておきなさい。坐壷はすべてのものは神に属し、神に捧げるべきものだと言 われた。聖霊とはピアノの弦か音叉のようなもので、特別な音に完璧に調整する、この場合神の声に。神が語られるとき、神の完全な意志を響かせる。それは自 由意志を踏みにじるものではない。このように、選ぶのは人である。神を敬い、神を満足させるために。

 出エジプト記2024

あなた は、わたしのために土の祭壇を造り、焼き尽くす献げ物、和解の献げ物、羊、牛をその上にささげなさい。わたしの名の唱えられるすべての場所において、わた しはあなたに臨み、あなたを祝福する。


 神は人の必要を満たすため、一 人一人との関係を願われた。聖衰、魂、身体。大部分は、神により人々に癒しをあたえることを望まれた。

 出エジプト152
わたしは あなたをいやす主である。

 第1段階は、多くの年月をかけて起 こった。人が忘れ、また利己的、怠惰、教えられ

たとおりにしようとするほど愚か であったりしたときに、多くの退行が発こった。人々は

時に、あと戻りし、滅びはより感 化した。

 最後に、エホパーラフア:俸大 なる癒し主は、第2段階に進むときだと心を決めた〔その初めから、神の戦略は、サタンの障壁を壊すことであ り、罪を根絶することであり、人間を神の国の義なる場所へ帰すことである。このために、癒しは必蛮であった。同じ種から、       穢れのある人間から清らかな血が必要だった。しかし人間の血のみは用いられない。

すべて穢れたものであったから。

 ローマ人への手紙323
人は皆罪 を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが

 ただ一つの選択は、人間を、肉 体と聖霊の同じ組み合わせの宿る犠牲と交換することであった。それは、神により生蟄にされた最初の動物のように清らかで罪のない血筋を持たなければならな かった。他の言葉でいうと、アダムは始めの人であり、神の息により命を与えられた。その代理もまた、神から出なければならない。それゆえ人と和解し、病を 断ち切る唯一の方法は、主が究極の捧げ物として、ご自身のひとり子を犠牲にすることであつた。

 ヨハネ316
神は、そ の独り子をお与えになったほどに、世を愛された独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである

 ローマ518
そこで、 一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです

 全能者の霊を持つ神の子は父の み心を讃えた。人間の身体を持ち、処女から生を受け、イエス・キリストは地上に来られ、この一時的な不完全な世界、神聖な血の癒しの香油をもっとも必要と しているこの世界に、魂を与えるものとなられた。

 イザヤ53510

 し かし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たち はいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行ったしかし、主は、私たちのすべての咎 を彼に負わせた。彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼 は口を開かない。しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、 生ける者の地から絶たれたことを。彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。しか し、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主の みこころは彼によって成し遂げられる。

 エデンの園で、エバは、サタン の声に従い誘惑に落ち、果物を取ってしまった。アダムは、その果物を食べた。神よりも自分たちを選んだ。オリプ山の園で、イエスは自分自身よりも神を選ん だ。

女が見る と、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた

 ルカ2242

父よ、御 心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかしわたしの願いではなく、御心のままに行ってください

 彼はあなたのために十字架で死 んだ。それはあなたが彼の流された血による命により癒されるためである。彼は死んだのは、あなたが癒され、清められるためである。あなたの罪のための犠 牲、あなたのではない彼の血。このおこないにより、彼はあなたと再びつなぐことを許される。彼は肉体の力を、聖尭の力により滅ぼす。十字架を通して、彼は 再びみ国の扉を開ける。あなたはもう遮断されたところに住む必要はない。あなたはいやされ、父なるエホパーラフアはあなたを待っておられるのだから