英語礼拝 10月16日
         The Master Potter:On the Wheel
         熟練した陶器士:ろくろの上で

聖書:詩篇139:13,14
   ローマ9:19〜21
エレミア18:1〜10


 陶器士の手の中で形作られていく陶器を見ている。陶器士は、全神経と技を集中させることにより、目的と意志を持ったイメージを形へと生み出していく。陶 器は形作られたあと、それ自身の旅が始まる。世の中から、宗教と言うものから、それは約束の望へと竿く旅。主があなたに触れ、こう言わなかったか。「わた しの手の中で育て」と。わたしたちは神の作品。わずかな理解しか持たないが、神が作り出してくださる一つ一つのプロセスを思うとき、驚きと感動を持つ。あ なたも今その過程にあるのだ。
エレミア18:1〜10
「ああ、わが民よ。わたしがあなたの人生を形づくろう。あなたを持ち上げ、わたしの色、デザイン、意志で形づくろう。」主は、陶器士。わたしたちは土く れ。陶器士の熟練した手は、土くれの感触を知り、どう変化させるべきかをよくご存知だ。土の中心まで入り、石ころやとげを取り除く。彼の目は、わたしがた だの土くれであろうとも古ぼけた陶器であろうとも、それ自身の美しさを見てくださっている。神はわたしの人生に目的を持っている。神は、わたしたちが母の 胎にいたころから、わたしたちを知り、その人生のすべての日々をも知っていてくださる。
 陶器士は土を触り、こね、どんな小さな異物でも取り除く。それがどれほど小さいものであろうとも、手が知っており、仕上がりに影響するからだ。あとの焼 きの工程で、小さな異物のために台無しになることもある。主は、わたしたちを親しく知っておられ、どこでわたしたちを見出し、わたしたち自身が壊れる前に 何を取り除かなければならないかを確実に知っておられる。
 どこで土を見つけるのか。陶器士はどこに土があるのかを知っている。神は、野を歩き、川に入り、土のかたまりを探し出す。また、野にある壊れた陶器も探 し出し、新しいものへと作りかえられる。 陶器士は、陶器や土をそれが砕かれ粉まで強くたたき続ける。そして、ふるいにかけ、異物を取り除く。小枝やガラ スなど陶器の表面に出てしまわないために。そして、粉を大きな入れ物に入れ、その上に生ける水をかけ、充分に吸収させる。だれも土の持つ価値に気づかなく ても、主は、その土がどうなるのかをご存知である。主は、あなたをあなたらしくするための色や温度をも知っておられる。あなたが磁器なのか、陶器なのか、 病人を潤すための水を入れる器になるのか、香油を入れる美しい石膏の器になるのか、すべて計画をされている。
 もっとも大きな精神的凶器となる言葉のひとつとしては、わたしたちには目的がないと言われること。「神があなたを必要とするのか。」ということば。多く の才能に長けた人も彼らに与えられた神の栄光から遠ざかろている。
                             
 水を含んだ土くれに話をもどそう。その土くれをすぐに使うのはいい方法ではない。土は何年も、また時に何百年もねかせたほうがいいものになることがあ る。何年もたったものは腐った卵のようににおいがし始める。しかし、このような土がもっとも美しい陶器に生まれ変わる。新しい緑色の土は、ろくろの上です ぐに壊れてしまう。多くの年月をかけた土は、においを持つが、陶器士の手の中で、透けて見える卵の殻のような美しい陶器へと作りかえられていく。
 主は、もっともひどいにおいのする土、心砕かれた者を手に取る。心砕かれた者こそ、主の目には美しく、大きな喜びを与えられる。
神は、土(あなた)を絞ったり、押したり、たたいたりして、土をなめらかにする。隋器士はこの過程を大切にしている。土そのものはそれを理解できなくて も。あなたはこのように感じることはないか。人生があなたを打ち砕くようなことを。しかしすべてには理由があり、目的がある。砕かれたあなたは、ろくろに 置かれ、生ける水をかけられる。そして、土の中に入って行かれる。陶器士は、土の中心をさぐり、問題を取り除かれる。そして、彼はあなたの人生のだれも達 し得ない深い部分まで手を伸ばし、彼の基一神のことばである強い基礎ーを築く。基礎をつくった後、そこに壁をつくっていく。外側からはなにも変わったとこ ろはまだ見られない。わたしたちは、こう言うだろう。「主よ。どうしてそれほど時間がかかるのですか。あなたがなさっていることを他の人に見てほしいの に。」
主はこう答えるだろう。「時がくれば、子よ。まず内側を変えなければ。」と。主はその汚をあなたの内側に置き、あなたの心の中であなたと強く結びあわされ る。 最後に形をつくりはじめられる。内側が完成すれば、仕事はずいぶん速くなる。あなたがただの土くれであったときから、神はあなたの形すべてをもうご 覧になっていた。あなたに塗られる色も、焼かれる温度も、完成後どこに送られるのかも。しかし、あなた自身はそれを知らない。あなたは砕かれる時、待たさ れる時、たたかれる時から先のビジョンを持たない。もし彼が前もって彼の計画を話されたら、あなたはすべてを台無しにしてしまうかもしれない。「わたしが 神の助け手として、あれもこれもしよう」もし、彼が1つの道を示されたら「主よ。嫌です。こっちのほうがもっと楽でもっと現実的ではないですか。」と言う だろう。もし神があなたの行くべきところを教えたら不平をいわないだろうか。ヨナ書を読むと、ヨナは主の生ける水である神の言葉を運ぶつぼであったことが わかる。ニネベの人々に。しかし、主がかれをニネベに送られたとき、ヨナは「いし鞋、主よ。あんな人たちは嫌いです。」と叫んだ。しかし、主は、ヨナを神 のイメージを映し出すものへと作り変え、ニネベの人々を神へと向かわせた。あなたの人生は不思議で覆われ、そのために主に寄り頼む心が起こされる。ただ神 があなたを導いてくれるとき。ただ神が完全なる計画をあなたの持っておられることを知ったとき。
    
 陶器士のろくろ台の上での時間は、わたしたちにとって大いなる祝福の時である。神から直接形作られるとき、心の中に神の指が入り形作られるとき、あなた には痛みが起きるだろう。この段階で、主はあなたである土に生ける言葉を預言されている。彼は、わたしはあなたを知り、あなたがどうあるべきかを知ってい るというであろう。 この段階を楽しみましょう。主のろくろ台の上にいるときを。あなたは「わたしは他の人の目に触れる棚の上にいたい。」と。しかし、い ずれ時がくれば神はかなえてくださる。それまでまずあなたが形作られるまで、まだ多くの仕事がある。神の力を楽しみ、その手で触れられることを、あなたに 与えられる生ける水の一滴一滴を楽しみなさい。いずれ棚の上に置かれるときが来たとき、陶器士のろくろ台に置かれる器に嫉妬を覚えるかもしれない