「なんぢ潔からずと爲な」  


 使徒言行録11章1〜18節
 2006年1月29日
 高知伊勢崎キリスト教会 牧師 平林稔



皆さんお帰りなさい。今週もこうしてご一緒に礼拝できる恵みを心から感謝申し上げます。早いもので私が高知にやって来て、一年が経とうとしています。この一年の歩みがどのようなものであったのか、そこには神さまの導きと皆さまのお支えがあればこそとの思いでおります。そしてこの高知伊勢崎教会を主はどのように導こう、用いようとされているのか、そのことを共に求めつつ歩んでいければと願っています。

さて本日与えられましたみ言葉は、使徒言行録の11章です。この使徒言行録、口語訳聖書では使徒行伝でしたが、これはこのタイトル通り、使徒たちの言葉と行ないの記録であります。この使徒たちの働きによって初代教会は大きく発展していきました。世の歴史であるならば彼らの功績によるものとするのでありましょうが、聖書においてはこの発展の最大の要因を彼らの働きだとは捉えていません。教会は人間の力によってその行く末が左右されるのではないからです。

この間の箇所で言うならば、ペンテコステの後、ペテロの説教を聞き、その勧めに従ってその日の内に三千人の人々がバプテスマを受けました。これはペトロの説教が上手だったからでしょうか。そうではなく、その場に聖霊が降り、この目には見えない神さまの働きによって導かれたからであります。教会は人間の力によって建てられるものでは決してありません。それは聖霊の働きによるのです。そのため初代教会が広がっていった歩みが記されているこの使徒言行録、使徒行伝は使徒たちの働きであると同時に聖霊の働きであるということから、聖霊行伝とも呼ばれています。

 教会が発展していったことに合わせて彼らイエスを信じる群れに対する迫害も激しさを増していきました。ペトロとヨハネは牢に捕らえられ、議会で取り調べを受けることもありました。その後も獄に囚われる者が多くあったのですが、彼らはそんなことで手を引くことはなく、ますます大胆にイエスのことを宣べ伝える者となっていきました。彼らの多くはガリラヤの者たちでした。ガリラヤ者とはすなわち田舎者ということであります。彼らはイエスと共に過ごした者ではありました。しかしイエスさまが十字架で処刑されるために捕らえられた後は、恐ろしさのために人目を避けて、家の戸に鍵をかけて潜んでいた様な者たちでした。そんな彼らが獄に囚われることも恐れず、イエスを証しするようになったのは、復活のイエスと出会い、ペンテコステの時に聖霊を受けたからでした。聖書はそのことを告げています。

福音の伝達は人間の手で阻止することは出来なかったのです。何故か、それは人の力によるのでないからです。教会を建てるのも神さまのわざであれば、教会を壊すのも神さまの力によるものであるからです。

 そんなふうにして福音が宣べ伝えられ、異邦人にまで広がっていきました。今日の11章にはユダヤにいる兄弟たちが異邦人も神の言葉を受け入れたことを聞き、ペトロを非難して直接彼に問い質したことが記されています。3節、「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と。そこでペテロが自分の経験したことを説明したのが今日の話です。

 ペトロが祈りの中で見た幻が5節からに記されています。それは次のようなことであったというのです。天から大きな布のような入れ物が下りて来た、その中には様々な種類の動物が入っていたが、その時に「ペトロよ、身を起こし屠って食べなさい」という声をペトロは聞いたのです。ペトロは言います、「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物を口にしたことがありません」と拒絶すると、「神が清めた物を清くないなどと言ってはならない」と再び声が天から帰ってきました。こういうことが三度繰り返されたといいます。

 現代の私たちにして見れば、こんなことに意味があるのかと思わせられるような出来事ですが、当時のユダヤ人にとっては何を食物とするか、特にどんな動物を食用とするかは大きな問題でありました。6節では「地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥」とされていますが、これは10章によりますと「あらゆる獣、地を這うもの」とあります。清い動物と汚れた動物を分別する律法の規定はレビ記11章(旧約177頁)に記されています。それによると清いとされている動物は、ひづめが分かれたものでなおかつ反芻するものとあり、それらだけが食べてもよい動物とされているのです。ひづめが分かれていても反芻しない動物や反芻はしてもひづめが分かれていない動物は汚れているとされ食することは出来ません。ですから律法によって汚れているとされる動物を目の前にして「屠って食べよ」と言われたペトロは「主よ、とんでもないことです」と答えたのです。

 ペトロは自分が見た幻はどういうことなのだろうかと考え、とても悩んで思案に暮れていました。ペトロはその時ヤッファの革なめし職人シモンの家に滞在していましたが、「ペトロと呼ばれるシモンという方がここに泊まっておられるか」と訪ねて来た人たちがいたのです。この人たちはカイサリアの百人隊長のコルネリウスが遣わして来た使いの者たちでした。コルネリウスはカイサリアの百人隊長で、異邦人でありましたがとても信仰心篤く神を敬い畏れる人であったことから、神さまによって呼び出された人でありました。しかしそんなことは知らなかったであろうペトロがなおも先ほどの幻について考え込んでいると、“霊”が「ためらわないで一緒に行くように」(12節)、10章20節によると「わたしがあの者たちをよこしたのだ」と告げたのです。

 当時のユダヤ人にとって異邦人と交わりを持つことは律法の教えに基づくならば、とても危険な行為でした。というのは異邦人は食事に関しては全く無頓着であったからです。彼らの家の中に入るということは宗教上自分たちを汚れたものとしてしまうことになるのです。10章によると、その日ペトロはその使者たちを家に泊まらせます。おそらく彼らから詳しく話を聞いたことだと思います。

 翌日ペトロは仲間を連れてコルネリウスの家に行きます。そこには大勢の人が集まっておりました。そこの人たちがペトロを厚くもてなし、ペトロがイエス・キリストのことを宣べ伝えると、み言葉を聞いていた異邦人の上に聖霊の賜物が注がれ、異言を話し、神を賛美し出したから、ペトロを始め一緒に行った者たちはとても驚いたのです。それはまるで自分たちがあのペンテコステの時に聖霊を受けたのと同じありさまであったからです。

 11章16節からでペトロは語ります。「そのとき、わたしは『ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける』と言っておられた主の言葉を思いだしました。こうして主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を神が彼らにもお与えになったのなら、私のようなものがどうして妨げることが出来たでしょうか」と。このことを聞いた人々は「神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えて下さったのだ」と信じるようになったのです。

 この話しは現代の者にとっては当たり前のように思えることです。私たちはユダヤ人ではありませんから、当然異邦人です。私たちも神さまの救いに与ることが赦され、イエス・キリストを信じ命を与えられていると信じるからです。しかし今日は少し視点を変えてこの箇所を見ていきたく思います。

 当時のユダヤ人は異邦人に神の救いが及ぶとは思いもつかないことでした。異邦人は律法の規定を守らないものであり、また割礼をも受けていないものたちであったのです。割礼とは神がアブラハムとその子孫を神の民とする約束のしるしとして生後8日目の男の子の男性の性器の包皮を切り取ることを命じたことによります。ユダヤ人の男性は全員必ず割礼を受けたのです。そのため割礼を受けていない異邦人は神の民の約束を受けた者ではないと信じられていたのです。

 私たちはそのように信じてはおりません。割礼を受けているかどうか、また旧約の律法を守るかどうかが救いの条件なのではなく、イエスを救い主と信じるかどうかだけが私たちに問われており、イエス・キリストを信じる者は誰であっても罪が赦され、永遠のいのちが与えられると信じております。

 今日の9節にあるように「神が清めた物を清くないなどとあなたは言ってはならない」とあるように、すべての人が神によって招かれています。ペトロたちは今日の物語の後、大胆に聖霊に導かれるままに当時の全世界に出て行って福音を宣べ伝えました。そして福音は全世界に広がり、異邦人であるかどうか、また割礼を受けているかどうかに関わらず、全ての人はイエス・キリストの救いに与ることが出来るようになりました。

 「神が清めた物を清くないなどとあなたは言ってはならない」。今日の宣教のタイトル「なんぢ潔からずと爲な」はこの部分の文語訳からとらせていただきました。神さまは全ての人を清いものとし、ご自分の下に招いておられます。私たちは自分の力や行ないによって清くなったのではなく、神さまの憐れみによって清くされたものです。現代の異邦人である私たちの目から見れば当時のユダヤ人の考え−異邦人であるからまた割礼を受けていないからという理由で排除していること−が神さまのみ心に適わないことであると考えます。しかし私たちは自分自身をその神さまのお招きを辞退してしまっていないでしょうか。また周りの者たちをその招きに相応しく無い者だと排除してしまっていないでしょうか。

 「神が清めた物を清くないなどとあなたは言ってはならない」「なんぢ潔からずと爲な」とおっしゃっているこのみ言葉を深く受け止めたいと思います。お祈りをいたしましょう。


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