昨日より連合の青年の方たちをお招きすることが出来、恵みの時を持てておりますことを、心より感謝申し上げます。子どもたちは大喜びで、もうすっかり親しくなりました。それは子どもたちだけでなく、大人にとっても、教会に青年がいることは大きな喜びです。そして何よりも、神さまが最も喜んでおられます。教会は様々な層の人々が集う場所であり、そうあってこそキリストの体なる教会となっていくからです。
さて、先週よりレント、受難節に入っておりますが、高知の町では3月3日から今日まで、“土佐の「おきゃく」2006”が行なわれています。土佐では、お祝い事などに人を招いて家で開く酒宴のことを「おきゃく」と言います。私も高知の出身ではありませんから、妻から「おきゃくする」と言われても、最初は意味がよく分かりませんでした。
今開催されているこの“土佐の「おきゃく」2006”は、民間企業やNPOが中心になって編成された推進委員会の主催で、今年から行なわれるようになったイベントであります。
高知大学の坂本先生は「土佐の最大の文化は『おきゃく』である。昔は祭りなどがあれば、近所の人々や親戚の人々が総出で料理をこしらえる習慣があった。これは世代を超えた交流の場であり、土佐人は『おきゃく』をすることでコミュニケーションを図り、地域文化の伝承を行ない、生きる活力を得ていた。その『おきゃく』文化が食事の西洋化、それもアメリカ的な食事(ファーストフード)と共に薄れていったと感じている。今再び、高知の活力を取り戻すには、『おきゃく』という文化を再考し、再興する必要があると考える」とおっしゃっています。
今年は高知市の中心街を会場に、土佐を感じる「24のイベント」が行なわれました。映画あり、音楽祭あり、よさこい踊りから、近年高知で盛り上がってきたストリートダンスあり、また伝統料理である「皿鉢料理」の紹介からお座敷遊び、当然ながら地酒まで。ま、言ってみれば町全体を会場にして、お客さまを招いてみんなで盛り上がって酒を飲もうというお祭りといったものでしょうか。
受難節の季節のお祭り、厳格なクリスチャンであれば、「うーん」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私はそんな野暮なことは申しませんし、教会暦にいい意味で捉われないバプテストですから、私は大らかに捉え、今日も午後からの音楽祭に行って来ようかと思っています。金曜日の映画上映会にも参加して来ました。
先日もある方と、他教派の葬儀をどのように捉えるのかについてお話しする機会がありました。私たちバプテストは一般的に言って(あくまで私の捉えているバプテスト主義によりますが)、個人こじんや教会によって考え方の差はあるでしょうが、教派の教えとしてこの事(他教派の葬儀)に関しての厳格なきまりはありません。仏式の葬儀には出席すべきでないとか、焼香や神道の拍手を打つべきではないとも考えません。今日はこのことに関して詳しく述べることは出来ませんが、これらのことは最終的には個人の裁量と言うか、一人ひとりが神さまとの関係において捉えるべきものだとしております。何だか自由で楽そうに思われるかもしれませんが、これは逆な意味でとても厳しい考えであります。それは一人ひとりが自分の行動に関して一人の信仰者、イエスさまに従っていく者として責任を取ることが求められるからです。事細かに指示されるのは窮屈さや束縛を感じるのも事実でしょうが、人間の心理としてその方が楽だとも言えるのではないでしょうか。自分で考えなくても良いのですから、そして自分がとった行動に責任を取らなくても良いからです。もし間違ったり、批判されれば、その指示した人間やきまりを理由にすればよいからです。その意味でバプテストは、非常に成熟した信仰が求められることとなるのです。ちょっとかっこつけた言い方をすれば、“大人”であるべきなのです。
私は受難節の間に肉を食べたり、お祝い事をしても構わないと考えています。要は、大切なのは、イエスさまが受けられた苦しみと十字架について忘れずに覚えて過ごすことなのですから。レントの期間を十字架のイエスさまと共に過ごし、喜びのイースター、今年は4月16日ですが、そのイースターを迎えることが出来ればと願います。
聖書にはイエスさまの十字架の姿を見かけた人物が、何人か登場します。またその処刑の場面に立ち会った人たちがいます。しかし、イエスさまと一緒に十字架を背負った人物と言えばこの人しかいない。それが今日のキレネ人シモンです。このシモンの行なったことは、全く特別のことだと思えます。何せ、イエスさまの十字架を、イエスさまと一緒にゴ、ルゴタの丘にまで運んだのですから。
福音書が語るシモンに関しての記述はとても簡潔です。今日のルカにおいても1節だけです。しかしヨハネ福音書を除く三つの福音書、マタイ・マルコ・ルカ福音書のいずれにも、イエスさまが処刑場であるゴルゴタの丘に引かれていく途中で、キレネ人のシモンという名前の人物が捕えられ、無理やり十字架を背負わせられたことが記されています。キレネは当時北アフリカ最大の町でした。おそらくシモンはキレネ出身のユダヤ人だったのでしょう。今日の箇所には「田舎から出て来た」、マルコ福音書には「田舎から出て来て通りかかったので」と記されています。これは何かの用事で偶然出て来たのか、過越しの祭りに参加するためにエルサレムにやって来たのか、両方の推測がなされています。しかし理由はどうであれ、彼が望んでこのような役割を演じたはずがありません。私たちは十字架を何か神々しいものであるかのように思っていますが、処刑のために引かれて行く囚人の処刑道具を運ぶことが、当時の人々にとって、名誉ある役目であったわけがありません。体格がよく頑丈そうに見えたからか、たまたま都合よくそこに居合わせたがためであったのかは分かりませんが、シモンにしてみれば全く迷惑な話です。もしかしたら、偶然ローマ兵と目があったからだったのかもしれません。とにかく彼は無理やり有無を言わせぬ形で命じられて、処刑道具である十字架を運ばされたのです。シモンはどんな気持ちだったでしょうか。おそらく自分の不幸や運の悪さを叫びだしたいような気持ちであったのではないでしょうか。
この場面以外で直接キレネ人シモンに関して、聖書は何も述べていませんので、この後シモンがどのような歩みをしたのかははっきりとしたことは分かりません。しかし聖書は私たちにヒントを与えてくれます。今日の箇所の並行記事であるマルコ福音書には、このシモンが「アレクサンドロとルフォスの父でシモンというキレネ人であった」と彼の息子たちの名前を記しているのです。あたかも当時の読者たちが「ああ、あのアレクサンドロとルフォスね」と気づかせるかのようなさりげない書き方です。この頃にはこの二人は、特にローマのクリスチャンたちの間では名の知られた人物たちであったようです。その証拠に、ローマの信徒への手紙16章13節に次のような言葉があります。(297ページ)「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです」パウロはこの16章で個人的な挨拶をローマの信徒たちにしているのですが、ルフォスとその母について触れているのです。ルフォスには主に結ばれ選ばれた者、またその母、これは今日のシモンの妻ということでしょうが、その彼女のことを、パウロが自分の母親のような存在であると述べているのです。このことからも、シモンの家族に信仰が伝わっていったことが分かります。シモンは十字架を背負った後、キリストを信じる者となり、その家族に信仰を伝えるものとされていったと想像できるのです。
イエスさまの有名な言葉の一つに「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」というのがあります。そして私たちはこのイエスさまの言葉に従うかたちで、それぞれが自分の十字架を背負って生きています。その十字架は今日のシモンのように自らの意志を越えて、時には全く望んでいないようなことを背負わせられることが往々にしてあります。そして自らの不運を嘆く、「何で自分がこのような目に遭わなければならないのか」と。
この時のシモンもなぜ自分が十字架を背負う羽目になったのかと、自らの不運を呪ったかもしれません。またその原因となったこの犯罪者のこと、すなわちイエスさまのことをを恨んだかもしれません。しかしそのシモンが、イエスさまを信じる者とされていったのです。そこには一体何があったのでしょうか。
シモンは気づいたのです。十字架を運んでいる最中であったのか、その後の十字架でのイエスさまが絶命された時であったのか、はたまた復活のイエスさまのことを知った時であったのか、聖書はそのあたりのことを語ってはいませんから、想像するしかありませんが、シモンは、このお方と共に十字架を担うことが大きな恵みであること、そしてこのお方と共に十字架を担ぐことが大いなる感謝な出来事であることを知らされたのです。
今日のこの23節には、シモンに「イエスの後ろから運ばせた」とあります。「後ろから」ということは、キリストが前を進んでいかれたことになります。シモンの前にはキリストが先立って進まれました。重い十字架を担いでのことですから、イエスさまのうしろ姿の全部は見えなかったかもしれません。しかしそのシモンにもイエスさまの足元だけは見えたことだと思います。シモンは先立って進まれたイエスさまの足元を見つめて、重い十字架を背負って進んだのではないでしょうか。
私たちは突然の不幸や苦しみに遭う時、なぜ自分にこのようなことが起こるのかを問い、答えが得られないことに失望することがあります。しかしその強いられた苦しみが恵みであることを知らされる時が必ずあります。それは苦しみそのものを喜びと感じるようになるからではなく、それこそが十字架を背負ってイエスさまに従っていることであることに気づかされるからです。その苦しみの大きさは変わりません。しかし常に自分の前を進み導いていて下さる方がおられることは大いなる慰めであり、力となります。そしてその時キリストの十字架を背負うことの恵みを教えられます。なぜならその先立つキリストが、共に十字架を背負って下さるからです。
私たちも人生の歩みにおいて突然の不幸や理不尽とも思える試練に出会うことがあります。その時には今日のシモンのことを思い起こして下さい。そしてその時にどんな中にあっても、今日のシモンがそうであったように、イエスさまが先立ち、共に十字架を背負って下さることを信じて歩みたいものです。
最後にイザヤ書46章3・4節の言葉をお読みいたします。(1136頁)
「わたしに聞け、ヤコブの家よ イスラエルの家の残りの者よ、共に。
あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。
同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで 白髪になるまで、
背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背
負い、救い出す。」
お祈りをいたします。本日与えられたみ言葉と先立って進んで下さるイエスさまに思いを馳せて、少しの間黙想をしましょう。
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