皆さんお帰りなさい。本日はこのように年に一度の野外礼拝を行なえることを感謝いたします。天候が心配でしたが、主は守って下さいました。また本日は父母の日礼拝でもあります。今から約100年前の1908年5月10日、アメリカウェストバージニアに住むアンナという少女は、母の命日に追悼式を開き、そこで母が好きだった白いカーネーションを参加者一人ひとりに手渡しました。彼女の母ミセス・ジャービスは早くに夫を亡くし、残された2人の子を女手一人で育てました。アンナは母親を想い、母に感謝する日を祝日にするように訴え続けました。そして1910年にウェストバージニア州が、そして1914年にアメリカ合衆国の国の祝日として母の日が認められたのです。こうして母を感謝し母にカーネーションを贈る日として、母の日は広がっていきました。
これが一般に言われている母の日の起源です。しかし実は、これは実際の物語の半分だけと言うか、提唱者であるアンナの意図とは異なったものでもあることはあまり知られていません。この日は、母親への感謝(当然そのことは含まれていますが)元々は“平和を願う母親たちの社会運動”を記念するものとしてスタートしていったものであったのです。
アンナの母、ジャービスは、1852年に牧師である夫と結婚し、1858年に“Mothers’Day Woking Club”(母の日仕事クラブ)を結成し、病気で苦しんでいる人を助けるための募金活動などの社会運動を行ないしました。また、南北戦争中には、中立を宣言して双方の兵士を看病し、互いの敵意を失くそうと南北双方の兵士たちや地域の人々を招いたイベントを行なうなど、平和を願って献身的に働きました。実は彼女自身、戦争や病気で8人の子どもを亡くしているのですが、母としての愛情を残された2人の娘だけでなく、全ての人々に注いだのです。このように平和を願ったミセス・ジャービスを思って、娘のアンナは母の追悼式で白いカーネーションを配ったのです。このことは社会的にも注目を浴び、最終的には国民の祝日とされていったのです。
そんな素晴らしい理念でもって始まった「母の日」だったのですが、男性中心の政治家や商売人たちによって歪められていきました。彼らにとっては「母の日」は絶好のチャンスであったのです。政治家たちは「家族のために捧げてくれている母親に感謝しよう」という日にすり替え、商売人たちは“平和のための祈りの日”よりも“母親へのプレゼントの日”とする方が儲かると考えたのです。アンナの思いとは裏腹に「母の日」の行事は年々盛大になり、町には「母の日には花をプレゼントしましょう」という広告があふれていきました。
1923年の母の日に、アンナは母のシンボルであった白いカーネーションが1本ドルという当時では考えられないほどの高値で売られているのを見て激怒し、「貪欲のために母の日を侮辱している」として行事差し止めの訴訟を起こしました。しかしアンナは裁判で負け、世間からは皮肉屋さんのレッテルを張られ白い目でみられるようになりました。このためその後はますます「母の日」の商業化が加速することとなっていき、それは今でも、日本でも続いているように思えます。死ぬ間際にアンナは次のように語ったと言われています。「私は自分がつくったこの祝日の商業化を自分の手で止めることによって、お母さんの恩に報いたかった」
この日に自分の母親に感謝を献げること、その感謝のしるしがカーネーションなどのプレゼントであること自体が悪いとは、私も全く思いません。しかしそれが商売となっていること、クリスマスも全く同じだと思いますが、そのことを憂えます。そして、母ジャービスが行なったように、娘アンナが献げたように平和のための祈りを献げる日としたく願います。
さて、“主の祈り”四回目。昨年の十戒の時にもじっくり十戒を読むことで新たに占めされたこと、再確認させられたことが多く、とても有益な学びでありましたが、今回の“主の祈り”も全く同じ感想を抱いています。説教準備のために、聖書の読み込みに始まり、様々な資料を読む作業がとても面白い。それは説教作成者としてというより、一信徒、聖書に学び神さまに従っていく一人の信仰者としての思いであります。神さまは、次に何を示そうとされるのか、聖書を読むこと、聖書教育に目を通すことが楽しみで、ワクワクするような思いで説教準備をしています。本来は毎回そうあるべきなのでしょうが・・・。しかし説教作成ということに限っていうと、こういった時の方が説教は難しいのですね。言いたいこと示されたことが多く、まとめるのが大変。実は先週はまとめきれずに、見切り発車の典型のような説教となりました。私としては祝福に満たされ、喜びいっぱいで語らせていただいたのですが、それがまとめきれなかったのです。今、インターネットのホームページにも説教は載せていますが、今日は先週の説教の原稿をコピーしてきました。こんな形になるのは全く良くないのですが、私としてはどうしても不本意なものですから、お持ち帰り下さり、目を通して下されば感謝です。こちらにおいて置きます。足らない時はコピーして下さい。
本日は“主の祈り”中の第二と第三の祈りです。この二つを同時に取り上げます。それはこの二つは明確に一対のものとなっているからです。「御心の天になりますように」とは「御国が来ますように」という祈りを説明、補足するものであり、この二つの祈りで神の国の定義が示されていると思います。つまり、ここで言われている「御国」とは神の国のことであり、それは「神の御心が天で完全に行なわれるように、地上でも行なわれている社会」のことです。
マルコによる福音書には、イエスさまの宣教の第一声が記されています。1章14・15節ですが、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」、と言われました。「神の国は近づいた」とは“神の国が来た”という意味であります。また、ファリサイ派の人々から「神の国はいつ来るのか」と尋ねられた時、イエスさまは、ルカによる福音書17章20節で、「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に神の国はあなたがたの間にあるのだ」とも言われました。明らかにイエスさまご自身が来られることによって、神の国はもうすでに地上に来ているのだとおっしゃっているのです。
この神の国とは、神の支配と訳してよいのだとよく言われます。“国”と聞くと、どうしても国境という境を意識して、どこからどこまでが神の国なのだろうと思いかねないからです。もちろんこの場合の国境といっても、目に見える形の鉄条網や入国審査所のようなものがあるわけではありません。それは私たちの心の中につくられる境目のことです。しかしこう聞いた弟子たちは誤解して、“自分たちはもうその神の国の中に入っているが、他の人々はまだ神の国の国境の外側にいる”とでも思ってしまったようであります。人々がイエスさまのもとに集まってきた時などは、イエスさまと自分たち、それから周りの人たちという具合にその間に目に見えない線を引いてしまう。こちらは神の国、あちらは違う、と自分のいる方を神の国として境を作ってしまったのです。これは弟子たちだけのこととは思えません。私たちも同じ思いにとらわれていないかを問い直す必要があります。クリスチャンは良い人、ノンクリスチャンや他宗教、特にイスラム教徒は悪い人と無意識のうちに思ってしまったり、教会(チャーチ)に来る人は神の国に入っているが、そうでない人は神の国にはいない、といったようにです。
ある時こんなことがありました。子どもたちがイエスさまのもとに連れられて来た時、子どもは神の国に関係ないものと考えて、弟子たちはその子どもたちのことを斥けてしまったのです。イエスさまはこれを見て激しく憤っておっしゃいました。「子供たちをわたしのところに来させない。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく、子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(マルコ10章14〜15節)
イエスさまのご生涯は、まさにこの神の国、神さまのご支配は特定の人のためだけに及ぶのではないこと、全ての人々のために既に地上で始まっていることを示す戦いでありました。律法を守ることで自分たちは神の支配の中にいると思っていたファリサイ派の人々との戦い、また虐げられ、斥けられ、自分は神からも見捨てられているかのような思いにとらわれている人々の所に近づいて行き声をかけられた生涯。神さまの支配は「あなたのために新しく始まったのだ」と告げられたのです。これこそがイエスさまの伝えられた、良きおとずれ“福音”であります。神の国、神の支配を私たち一人ひとりに届けるために生き抜かれたのです。そしてそのイエスさまが十字架について死なられた。「御国を来たらせたまえ」という祈りを教えられたイエスさまは、何よりも切実にご自身の祈りのとしてこの祈りを祈られたにちがいありません。「御国を来たらせたまえ、御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」とお教えになられたイエスさまが、十字架で死んで下さった、そして甦って、甦りの光の中で、この祈りを私たちに与えて下さっている。そのことを幼な子のように受け入れること。ここにこそ、この祈りに相応しい心が生み出されるのです。
「御国が来ますように、御心が行なわれますように」という祈りは、私たちが生きている間に神の国のための何か事業を企てて、その事業が成功するようにという祈りでは決してありません。しかしこれも私たちが陥りやすい過ち、罪であります。伝道とは福音を伝えるわざであるのですが、それが自分たちのシンパを増やすためのものであったり、勢力拡張のためのわざとなっていないか、また、伝道所開設なども自分の願望や自己実現の手段となっていないかということです。
使徒パウロの言葉をみましょう。第一コリント4章16節以下です。304ページ。 14〜21節
「わたしに倣う者となりなさい」とパウロは勧めています。すごい言葉です。自信家というか、取りようによっては傲慢な言葉とも思えるほどであります。パウロは「私の生活を見て、まねをして御覧なさい、そうすれば間違いはないから」と言っているのです。それも確信に満ちて。これはもちろん、「模範的な道徳的生活を自分が出来ている、だから私をまねなさい」と言っているのではありません。彼、パウロが伝えようとしたのは、「自分は主イエスによって生かされている、イエスの支配のもとに、神の国、御国の中に生きている」ということです。神の支配に従っている、生かされている、すなわち神の国にいる、その私に倣え、と言っているのです。
この手紙はコリントの教会の信徒に宛てた手紙であります。この教会は様々な問題があったようですが、高ぶりの思いを持っている人たちがいたようです。「パウロはもう一回来ると言ったけど来やしない、だからパウロの言葉や生活に倣わなくともよい」と自分たちなりのやり方で良いと高ぶっていた人たちがいたのです。彼はその人たちに向かって言います。「神の国は言葉ではなく、力にあるのですから」と。自分は主から行けと命じられれば、すぐにでもそちらに行く。だからその高ぶりに生きているあなたたちが言葉ではなく、力に生きているかどうかを見せてもらいたい。これはその人の実力でもなく、また言葉によるものでもありません。神の国の力です。信仰の力とか、模範的な生活の力ではなく、神の支配に生きているかどうかということです。それを見せてもらいたいというのです。それはキリストに結ばれているパウロの生活を生かしている力でありました。神の国、神の支配とはキリストの教会の中に生きて働く力です。パウロが「私に倣いなさい」と言った生き方は、神の、キリストの支配の元に生きている生き方のことです。今日の「御国が来ますように、御心がなりますように」という祈りは、「イエスのみわざがなりますように、主イエスのみわざが実現しますように」という祈りです。そして更に言うと、私たちの生活が“キリストのものとなりますように”という祈りであるのです。
今日のメッセージのタイトルは、「マラナ・タ 主よ、来たりませ」です。“マラナ・タ”とはイエスさまの時代に人々が話していたアラム語で「主よ、来て下さい」という意味の言葉です。正に今日の祈りの言葉であります。この後、新生賛美歌414番の“マラナタ”を讃美します。これは主の晩餐式の時によく歌われる賛美歌であります。主の晩餐において、読むみ言葉に「主が来られる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである」とあります。「御国が来ますように」と祈ることは、甦られたイエスさまが一日も早く来て下さいますように、最後の救いを全うするためにこの世にもう一度来て下さるように、これを“キリストの再臨”と言いますが、そのことを深い切実な思いで祈り続けることです。今日は主の晩餐はいたしませんが、この後、共に昼食を食べます。主の晩餐はイエスさまの十字架を心に刻み、イエスさまと一つとされるための儀式でありますが、同時に教会につらなる私たちが主において一つとされるしるしでもあります。どうぞこの後の食事を共に食することにおいて一つとされることを願いましょう。お祈りをします。黙想の時を持ちましょう。
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