「剣を打ち直して鋤とする」   


 イザヤ2章1〜5節
 2006年8月13日
 高知伊勢崎キリスト教会 牧師 平林稔



  皆さんお帰りなさい。先ほど賛美いたしました教団讃美歌372番はほとんどの方がご存知ない讃美歌だったのではないでしょうか。昔はいざ知らず、今ではほとんど歌われることはない讃美歌だと思います。私のこの讃美歌との出会いはちょっと変わっています。それはスポーツ漫画の代表作である『あしたのジョー』に出てきたことで知りました。この漫画は原作が梶原一騎そして作画はちばてつやという漫画界の大御所の手になる作品です。そして実はちばてつやさんは、お母さまが熱心なキリスト者で、ちばさん自身も洗礼を受けられたかどうかははっきりとは分かりませんが、子どもの時から教会で育たれ、大人になってからも教会に通われていたと聞いています。ちばさんの漫画には教会が舞台になることもちょくちょくあり、この『あしたのジョー』においても主人公の矢吹丈の親友の結婚式が教会で行われていました。

 この372番ですが、ジョーの対戦相手であるベネズエラ人のカーロス・リベラという選手がジョーとの対戦前に会いにやって来る場面に出てきます。このリベラ自身がベネズエラの貧民層の出身者であることから、ジョーのジムがある(これは東京の山谷地区がモデルであると言われていますが)ドヤ街の公園でギター片手に労務者たちに歌っていたのがこの讃美歌であったのです。ストーリーの流れからすると、何故この歌であるのかは分からないのですが、カーロスにちばてつやはこの讃美歌を歌わせているのです。話の中で讃美歌であるという解説や説明もありません。歌詞からして讃美歌だと感じた私の妻が調べたところ、教団讃美歌の372番であることが分かったのです。私たち二人とも聞いたこともない讃美歌でありました。周囲の人に尋ねてもどなたもご存知でなく、ヒムプレーヤーでおぼえました。メロディーも垢抜けていない、全く今風の曲調でもありません。讃美歌の楽譜の左上の作詞者を見ると、藤本伝吉とあります。この方がどのような方であるかを私は知らないのですが、何曲か讃美歌集にはこの方の作の歌が載せられています。よく知られたものとしては、新生讃美歌では392番である『みどりの牧場に』があります。名前の横の数字は作られた年ですが、1930年の作です。この歌は1節や3節の歌詞から勤労の歌として作られたと思いますが、私の興味を引いたのは2節です。「剣を変えて鎌となす 平和の御代も近づきぬ」と歌うところです。1930年、昭和5年と言いますと、その前年に起こった世界恐慌の影響を受け、わが国にも不況が訪れた所謂“昭和恐慌”が起こった年です。不景気による社会不安が広がり、この翌年の1931年昭和26年には満州事変が勃発し、1937年には日中戦争に入っていきました。民衆の生活が大変になり戦争の影が忍び寄った時代。そんな時に『剣を変えて鎌となす 平和の御代も近づきぬ』と歌っているのです。

 さて本日与えられました聖書の箇所イザヤ書2章1〜5節を見てまいりましょう。ここは新共同訳の見出しにもあるように終末的平和の預言の言葉です。これとほぼ同じ内容の預言がミカ書4章1〜3節にも記されていますが、イザヤの言葉が先だろうと言われています。終末の日にエルサレムが世界の中心として全ての山よりも高く聳え、諸国の民が主の教えを学ぼうとしてシオン、エルサレムに集ってくるが、その時戦いの平和が実現しているとイザヤは予言しています。
この時(紀元前8世紀の後半)の世界を席捲していたのは、アッシリア帝国でした。ティグラテピレセル三世の元にアッシリアの世界帝国建設活動はスタートしていました。この帝国の統治政策は徹底していました。単に強力な軍事力を整備するだけでなく、占領地の支配者たちを捕囚として他の地域に移し、占領地にはアッシリアの息のかかった新しい支配者を送り込み、属州として統治していきました。圧倒的に強大な武力を背景に貢ぎ物を迫り、それに応えられないと今度は全面的な捕囚と属州化とを行なっていったのです、アッシリアは。

 イスラエルのあるシリア・パレスチナ地方はアッシリアのこのような侵略の波にさらされ、紀元前738年にシリア北部のハマテが占領され、北イスラエルやダマスコなどに重い朝貢が課せられます。その後もアッシリアの西方への侵略は続き、最終的にはエジプトにまで達しますが、その途上にある小国は反アッシリア同盟を結成しても抵抗のかいもなくアッシリアの攻撃を受け、捕囚と属州化の道を辿っていきます。

 このようなアッシリアの攻撃に対してイザヤが取った態度は、エルサレムの民たちが真の王である神の教え、即ち律法の教えに従うならば、エルサレムは決して外敵によって脅かされることはなく、神が常に守って下さるというものでした。そしてそれがイザヤの確信でした。彼にとってはエルサレムこそが世界帝国の中心となるアッシリアの都にまさる正に世界の中心であったのです。エルサレムの民の不信仰に対して絶望的な怒りを抱きながらも、「あなたがたゴモラの民よ、わたしたちの神の教えに耳を傾けよ」(1章10節)と呼びかけた。この神の教えこそが世界の真の支配者である神の御意志にほかならなく、神はこの教えを他のどの国民にでもなく、エルサレムとユダヤの人々に語られたのだとイザヤは考え民たちに迫りました。しかし彼らはこの教えに耳を傾けようとはしませんでした。それゆえ神は外敵を用いてイスラエルを罰せられたのです。イザヤにとって、アッシリアはイスラエルを罰する神の“怒りの鞭” であり“憤りの杖”でした(10章5節)。

 エルサレムはアッシリアからエジプトに至る道の最後の地点の山の上に建てられた町でした。ここは古代オリエント世界のある意味辺境に位置していましたが、同時にメソポタミヤからエジプトに至る文明世界を展望できる位置にもありました。主なる神の世界支配はエルサレムを中心にして行われていました。そしてそれは軍事力によるのでなく、神の教えによって行われます。
幸いエルサレムの位置は、アッシリアからエジプトに至る経路を少し外れた山の上にありました。従って南ユダ王国は北イスラエルと違って、反アッシリア同盟に加わることを拒否することも不可能ではなかったのです。イザヤはそのことを常に主張しますが、この国の王も政治の指導者たちもイザヤの主張を聞かず、常に外国からの誘いに動揺しました。遂にヒゼキアの時代に、エルサレムはアッシリアの攻撃を受け、ヒゼキア王は降伏しました。しかし奇跡的にヒゼキアと指導者たちは捕囚を免れ、北イスラエルの様に滅ぼされること無く名目的な独立を維持することが出来たのです。アッシリアとしては、帝国支配にとって政治的にも経済的にも大きな意味を持たないこの町の占領に固執しなかったのでしょう。エルサレムは辛うじて生き延びましたが、この国の指導者たちのモラルは絶望的な状態でした。しかしそれでもイザヤは神の約束に対する信頼だけは変わる事はなかったのです。
今日のこの2章2〜5節はヒゼキアの降伏の後のことです。この時のエルサレムの状態は1章4〜9節にあるような状態でした。

 「災いだ、罪を犯す国、咎の重い民 悪を行う者の子孫、
  堕落した子らは。彼らは主を捨て、イスラエルの聖なる方
  を侮り、背を向けた。何故、お前たちは背きを重ね、なお
  も打たれようとするのか。頭は病み、心臓は衰えているのに。
  頭から足の裏まで、満足なところはない。打ち傷、鞭のあと、
  生傷はぬぐわれず、包まれず、油で和らげてもらえない。
  お前たちの地は荒廃し、町々は焼き払われ、田畑の実りは、
  お前たちの目の前で、異国の民に覆されて、荒廃している。
  そして、娘シオンが残った、包囲された町として。ぶどう畑
  の仮小屋のように。もし、万軍の主がわたしたちのために
  わずかでも生存者を残されなかったなら、わたしたちは
  ソドムのようになり、ゴモラにも似たものとなっていた
  であろう。」
そのような中でイザヤは神の約束の言葉は不変だと信じ、民と指導者たちに向かって語ります。2〜3節です。
 「終わりの日に主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、
  どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のよう
  にそこに向かい、多くの民が来て言う。
  『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたし
たちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう』と。
   主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る。」

 諸国の民が河の流れのようにエルサレムに巡礼して来る。戦いのためではなく、主の言葉である律法を聞きに来る。たとえこの都のほとんどの人々が悔い改めず神の教えに耳を傾けようとしなくとも、イザヤとほんの少数の弟子たちの間にこの神の言葉と教えは生き続けました。
軍事大国であったアッシリアがパレスチナ地方を含めて当時の世界を制覇したとき「アッシリアの平和」と呼ばれる時代が到来しました。しかしイザヤはこの「アッシリアの平和」が実は戦うことを学んだだけで強力な武器を背景にした一時的な平和に過ぎないことを知っていました。神の約束を信じた預言者イザヤはここで真の平和について語ります。4節です。

 「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは
  剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は
  国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」

 「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」この言葉はニューヨークの国連本部に面した公園の壁に掲げられています。戦争の武器である「剣と槍」を農耕具である「鋤と鎌」に打ち直すとは、もはや人間の間に戦いがなくなったことを象徴的にさしています。「鋤と鎌」は平和の象徴のしるしであると同様に、私たちの生の営みを象徴するものです。日常生活そのものを指していると言えます。戦時中の日本はこれと反対のことを行ないました。国中にある鋤や鎌、更に鍋などありとあらゆる金属を国民から徴収して武器を作らせました。国民から地道な日常生活を奪い、国民非常事態へと駆り立てていったのです。

 「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」これは生きるための営みがこの時から始まったことを告げるみ言葉です。それは戦争で荒れ果てた畑を耕すことにつながります。容易なことではありませんが、鋤で土を耕し、種を植え、実りを鎌で刈り取る。もはや戦うことを学ばないのです。神さまによってもたらされる平和は剣や槍といった武器によるのではありません。剣を取るものは剣によって滅びます。真の平和は主の言葉によってもたらされます。そこでは鋤や鎌を用いた生活が営まれ、国は国に向かって剣を上げません。真の平和はこの世の本当の支配者である主なる神の願いであり、もたらされるものです。主のみ言葉のもとに集いましょう。そのみ言葉による主の光の中を歩みましょう。

 お祈りをいたします。しばらくの間黙想のときを持ちましょう。


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