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God’s
love at Palm Beach やしの浜辺の神の愛
Jan 8th
1956 (1956年1月8日)
聖書 マタイ5:38-48
兄弟達
は、小羊の血と自分達の証の言葉とで、彼に打ち勝った。彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。(ヨハネの黙示録12:11)
1956年、5人の若い宣教師が、南米
エクアドルの奥地で最も凶暴と恐れられていたアウカ族に殺害された。もし、殺された人物があなたの父親や兄弟や夫であり、何の挑発もしていないのに殺され
たとしたらどう感じますか? その5人は多
すぎる犠牲を払ったにもかかわらず仕返しをすることなく愛を示した。それは彼らの流した血が丁度イエスが私達のために流された血により愛を示したものと同
じである。この実話は神の愛とその愛に全てを捧げて働いたクリスチャンの話である。
50年前の1月に起きた5人の死は、世界に注目を与え、福音宣教師に何世代にも感銘を与えた。
そして今、その話
を基にした映画“End of the Spear”が1月20日より全米1,200箇所の映画館で上映される。
それは“Beyond the Gate of
Splendor” (栄光の門を通って)と
いうドキュメンタリーDVDと『愛は犠牲の深さによって』という本から引用されている。
ジム.エリオッ
ト、(未亡人であるエリザベス エリオットがDVDの
ナレーションを務めている)ピート・フレミングス、 エド.マー
キュリー、 ロジャー.ヤンデリアン ネイル.セ
イント。5人の宣教師とその家族は、南米奥地のワオダニで、当時の軽蔑した言葉で“裸の野蛮人”と
して長い間恐れられていたアウカ族のことを聞いた。その部族は人類学者の間でも最も危険で暴力的な種族として恐れられていた。それまでにも外国人、特に白
人を狙って虐殺事件が起きている。
しかし、5人の宣教師とその家族は魂の救済への力強い神の声を聞き、危険を顧みず、未開拓伝道へと臨んで行った。
1955年9月、拠点地ワオダニからナイト セイントが運転するジェット機でその村に向かい、友好的な言葉を
かけながら3ヶ月間ずっとプレゼントを上空から落としていった。そして地上で彼らとのコンタクトが取れそうだと思う時を見計らった。彼らは川にある砂地の
川原(椰子の浜辺とニックネームをつけた)に
降り立ち、キャンプを張り彼らとのコンタクトを待った。そこには妻達と連絡を取るための無線と、銃を用心のために用意していった。数日後三人のワオダニ
人、 一人の男性と二人の女性がジャングルから来て一緒に過ごした。飛行機に乗り、食べ物を分け合った。そこでは何が来たのか示されなかった。
最初の接触は1
月6日、メンキウィと名乗る男と二人の女性である民族とだったが、それはうまくいった。元気な人たちだった。しかし侵入者のパーティは1月8日に一転、宣
教師は殺された。
映画には出てこないが、ネイルはワオダニ族の所へ飛び立つ前に妻と息子のスティーブに
別れを告げていた。息子が父親に「もし危険な事態になったら銃を使って」とお願いした時、父親は振り向き、「ワオダニ族の人々はまだ天国に行く準備ができ
ていないのだよ。しかし、お父さん達はもう天国に行く準備はできている」と答えたのだ。
1956年1月
13日 調査団はパームビーチに降り立ちネイルの丸裸になった飛行機をみた。フランクは小声で泣き、神に恵みと力とをお与え下さいと祈った。そしてナイト
とロジャーのカメラを見つけた。壊れた部品やアルミのシートやシャベルもあった。これらはそこで彼らのお墓を作るのに利用された。
しかし、彼らの
ビーチで流された血はこれで終わりではなかった。彼らの家族は絶望を乗り越えすぐさま仕事へと戻った。2年の内に殉教した宣教師ジム・エリオットの妻エリ
ザベスとネイルの姉レイチェルはワオダリ族と再び接触する。そして現地住民は彼女達の愛と親切に触れた。エリザベスと4歳の娘、そしてレイチェルは
1958年の1月8日に目的地に到着し、そこで1961年まで暮らした。レイチェルはその民族と共に残り、1994年、ジャングルでなくなった。
グキタは2人の
夫人が初めてキリストの言葉を聴いた人物です。彼はヨストに、「あぁ まさに我々が今まで捜し求めていたひとのことだ!」と答えました。彼は言います。『我々はずっと内部殺人をやめる方法を理解しようと努めてきた。それは他の
世界の人々とも関係を持つためだ。なぜなら他の世界の人は色々なものを持っている。それを何とか交渉して欲しいと思うからだ』そしてヨストは、復讐の殺人
はスグにやめると付け加えた。
次の言葉はワオ
ダニ族で最初にクリスチャンになったダユマが彼女の民族に向かって神の言葉を伝えたものだ。