ロゴキャラクター

 このシニカルな笑いを浮かべた猫は、親戚の家に住み着いている奴で、名前をサダハルといいます。
 名前の由来はさだかではありません。過去にそういったキャラクターがあったのかもしれませんが、れっきとしたひとつの個性で存在しているはずです、生きていれば、多分…。
 しかしながら、あまり評判が決して良いわけではなく、かといって悪い奴というわけでもありません。
 有り体に言えばバカ猫だという評価なのです。 そんなやつです。
 

記事欄
 2025年、元日の朝は何をして過ごす?
 いいえ、単に仕事をしているだけです。かわりばえのしない日常生活の一環として元日の朝があるだけで、歳を重ねるにつれその印象は強くなる一方で、不可逆的な時間の経過が積み重ねられ、なお一層単調さを増して、新たな世界が入り込む隙間を埋めて行くわけで、これは人間の脳と体の限界を意味しているのかもしれない。
 外部メモリーでも付けたらもっと面白くなるんじゃないか。

 そんなわけで、今年もよろしくお願いします。しかし、やっぱり冬よりは夏の方がええな。
                         2025.1.1  




 あっという間に一年が過ぎ、気がつけば2024年も残すところあと少しといったことになってしまっている。
 ほとんど浦島太郎状態でこの一年を過ごしてきたのだなあと、われながら感心しきりです。
 
 また、なんぞごぞごぞ書こうかなと思っています。まだ全然元気なので、仕事以外なにもしないのもどうかと…、退屈だし。
 
 相変わらず世間は騒々しく、世情不安で戦争はあっちこっちでドンパチやってるし、まあ戦争はなくならないわな、人間の歴史も結構長いし、無くなるもんならとうの昔になくなってますわな。
 戦争の必然性なるものを考えた方がまともかもしれませんね。そういうものでも書こうかな。
 そんなわけで、海の向こうのアメリカでは、女性のハリスじゃ頼りにならんから、トランプがええぞてなことで、トランプ氏が次期大統領に当選してしまいました。シビアな見方をすれば当然か、まあ仕方ないなといったところでしょう。

 中山美穂さん、亡くなったって? 元気そうなおばはんだったのに…。人間いつ終わりが来るかわからんもんです。
 原水協がノーベル賞を受賞したって? えらく時間がかかりましたな。
 広島へ落す前に、模擬爆弾30発以上落していたらしいという話は初めて聞きました。まあ、当然と言えば当然かな。
 昔、中学生の頃に、広島型原爆の構造を、理科の先生が教えてくれたのが印象的で、単純な構造なので興味深く憶えています。
 
 来年は巳歳、蛇なのでお金が溜まるかな?そういえば、菜月が蛇の皮くれたかな、期待しよう。
                         2024.12.14




 新年あけましておめでとうございます。
 ちょっと、二日ほど前からコロナ気味で、鼻水はでるわ、喉は痛いわ、ちょと熱っぽいわで、調子は悪い。
 しかし、検査はしたくない。しようとしても正月で病院はどこも開いていない。陽性になっても、職場に代わりはいない。
 それってブラック企業やん。まあそうかも。

 そんなこんなの年明けです。
 ちょっと、足元冷たいやろ。夜だし、事務所の床Pタイルやし。
 明日、休みなんで、ゆっくり休んだらどうやとも思うけど、大晦日やし、正月の準備せなあかんし。
 手伝わんと、奥さん機嫌悪いやろうし。なにかと気遣いの人生というものです。
 うう、頭が痛い…。
 そんなわけで、今年もよろしくおねがいいたします。
                         2023.12.30  




 ひさびさに記事欄を書こうと思い立った。
 最近、鬱々とした気分が晴れず、しかし気ぜわしく、なおかつ疲れている、という状態で、もうどうでもええやんか感が否めない。
 こういうのをツイートというのだろうか?
 私は、海外生活をしたことがないし、英語圏の人間に親しい友人もいないので、tweetという言葉のニュアンスはわからない。日本語で言う(つぶやく)とは、こういったものなのだが…。
 6月に、親しい友人が死んだ。高校時代からの友人で、釣りに行っていて河で溺れて死んでしまった。
 予想外の出来事だったので、ひどくショックを受けた。もともと丈夫な人間だったので、自分より先に死ぬことは想定していなかった。大きな誤算にただ戸惑っている。
 彼は、大変な読書家で、いつも本を読んでいる人間だった。どうしてこんなことになってしまったのか、なんでやねん、最近載せた小説で、実名を使って殺したのがいけなかったのか?
 おまえのせいか、といわれかねないしょーもないはなしがあるというのも偶然なのか。身内の方にはとても言えないはなしだ…。
 私が小説を書く動機のひとつに、彼に読ませたいというのがあるのも事実なので、モチベーションは下がった感がある。

 最近、読書離れが目立っているようだ。本を読む人間が少なくなった。少なくとも日本においてはそうだ。動画、アニメは、単純明快で便利だ、想像力を働かせなくとも、勝手に与えてくれる、労力を使わなくていい、楽だ。
 私もアニメは好きだが、好きなものは好きだが、嫌いなものは嫌いだ、になってしまう。とくに、あらかじめ本で読んでいて、面白かったとしても、映像化したものは、つまらなかった。ということもけっこうある。
 逆に、映画で先に見て、あとから原作を読むパターンもけっこうあったが、これは、わりと、「へぇ、こんなに原作は面白かったんだ」という印象がほとんどで、映像化するとかなりの部分がはしょられて、ダイジェスト化する傾向にあるようだ。
 宮崎駿氏の、風の谷のナウシカもそうだ。
 氏にしてみれば、映画を作るための宣伝として、漫画(全7巻)を書いたとのことだが、たしかに、アニメ映画はとてもよかった。私としては、氏の作品の中ではいちばんの作品だ。
 しかし、原作はもっとよかった。しかし、これを長々とやると、重苦しくて、一般うけはしないかもしれない、とは思う。
 本を読む、ことは苦労をする、ほどでないにしろ労力を使う、ただしそれだけに面白いわけで、苦労が多いと楽しみは大きくなる理屈通りで、楽あれば苦あり、なにごともメリハリ、比較対象があってこそということになる。
 ちなみに、子供を育てる際に、なんでもかんでも望むままに与えてやるという行為は、ロクでもない人間を作ることに他ならない。どういう意味かというと、なんでもかんでも望みを叶えてやるということは、その人間の夢を奪っていることに他ならないのである。なにしろ、叶わない望みが夢そのものであり、目標であり、生きるモチベーションなのだから。
                         2023.10.25  




 12月にコロナにかかった。
 感染して発症し、熱が、39.8度出て、けっこうしんどかった。
 もともと、風邪をひくと、高熱が出る体質なので、少々の熱ではどうってことないのだが、40度近いとさすがに堪えた。
 どこからもらったものか、感染経路は不明だ。周りにあれこれとばら撒いて迷惑をかけたが、皆それぞれ症状が違って、私のように大熱をだす人もいれば、咳だけとか、喉の痛みだけで熱はあまりない、といったもので、どうも様子を見ていると、ワクチン接種後の副反応とほぼ同じであるらしい、ということを感じた。
 要するに、コロナウィルスとの、仲良し度合いによって症状が決まるのではないだろうか。うん、きっとそうだろうと、自分で納得している。
 コロナウィルスは、多分、新しい微生物で、新たに体に取り込むことによって、色々影響があるようだ。
 後遺症というかたちで、色々悩まされている方も多いようだ。
 私は、といえば、最近、持病のぜん息があまりおこらなくなった。ということだろうか、それとも季節的なものだろうか、しかし、確実に程度が軽くなった感がある。
 いずれにしろ、人類の歴史は、細菌やウィルスといった微生物達との共存共生の歴史で、彼らを抜きに我々の存在を語れない、といったもので、体の中のバランスが崩れると、彼らに喰われて死ぬということになる。老化なんかは、その典型的な例ではないだろうか。

 ところで、話変わって。
 ウクライナの戦争に、新たにドイツの戦車(レオパルド2)が、ウクライナにドイツ等から供与されることになったらしい。
 ドイツ戦車といえば、第二次大戦時に、パンサー戦車、タイガー戦車、ロンメル戦車等優れた戦車が多々あって、私達は、子供の頃そのプラモデルを作って遊んでいたのだが。これがまた、たいへんカッコ良くて、心を躍らせたものである。
 そもそも、戦車というのは、平地で活躍するものなので、大陸のヨーロッパ戦線で発達し、南方の島が戦場の日本では、あまり造られなかった。あっても、小回りの効く小型戦車で、見た目もあまりかんばしくない。
 最新のレオパルド2も、うーんと唸らせるようなフォルムで、サイズも大きく、その機動性と、照準性能で、世界最高の戦車と言われているらしい。
 それをウクライナに提供するらしい。
 供与にあたっては、ドイツ国内の反発とか、戦争の泥沼化に対する危惧とかがあったようだが、周辺の国家との協調もあり、決定されたようだ。
 ロシアの脅威は、大量の核爆弾を保有していることにある。
 当然、それは、地球上を広範囲にわたって破壊できることを意味している。破壊して、汚染する、というやっかいな行為を人間がすることになる。それで、人間が滅んでしまえば、面倒なことは解消するのだが、生き残ると、その汚染に苦しむことになってしまう。
 つまり、いずれにしろ、自分自身を苦しめるだけのはなしなので、やっかいな物を開発し、保有しているというのが、ざっくばらんな現状なのである。
 汚染そのものは、地球規模の時間からするとわずかな時間なので、どうってことはなく、自業自得で滅びてしまえば、他の種族にしてみれば、うっとおしい奴らがいなくなってせいせいするわ、という話になる。
 地球上では、人間は、単一種族が支配した、初めての例ではないだろうか。人間すべてが、賢く優秀で、冷静な思考ができるわけではない。むしろ、それができないのがスタンダードのように思われる。
 種族の集団をうまく導けるのかが、存続のカギとなる。個人的には、否と思う。
                         2023.1.28




 2023年、新年あけましておめでとうございます。
 などということを、2022年の挨拶の上に書こうとは、思ってもいませんでした。
 反省しきり、です。
 
 時代小説は、結局載せたのだけれども、その後、ウクライナで戦争が起こったりして、キナ臭い雰囲気になってきて、記事欄がおろそかになってしまった。(なんか関係があるのか?)
 載せている時代小説、「助市の嫁取り」は、私の先祖をモデルにしたもので、伊達秀宗が、宇和島に入部した折に、志願して侍になったもので、元は大浦地区の庄屋の子弟であったものらしい。
 子供の頃、私の回りでは、ごく近年に侍になったものだとの言い方をされていたので、まさか、四百年前のはなしだとは思ってもいなかった。実にいい加減なものである。
 エンターテインメントとして書いたので、少々構成に無理をしたが、人間社会のなかで起こり得る範疇で書いた。
 太刀回りは、私自身が剣道家でもあり、リアリティを目指して書いた。しかし、リアルなだけでは面白くないので、多少の奇抜さは使っている。
 助市と源右衛門の立ち会いは、そのまま、木刀で再現してみると面白いと思う。ただし、剣道家でないとわからない部分もあるので、少し難しいかな?
 一年経っての解説は、あまりにも遅すぎるのですが、勘弁してください。
 今年もよろしくお願いいたします。
                         2023.1.1 




 2022年、新年あけましておめでとうございます。
 なんとなく、コロナも落ち着いてきた感があるようで、オミクロン株はあるものの、ワクチンの効果も助けになり、人類自体が、コロナウィルスに慣れて来た様子で、これが、人類の歴史のパターンであるということで、決着しそうである。
 
 最近は、特別なにも言うことはなく、平和なこの国で、あるがままで良いのではないか、という気がしている。ずっと、平和であれば、という条件付きなのだが。
 そもそも、人間というものは、平和であると、ロクでもないことをするもので、時々、動乱があって、戒めを自分に課さないと、駄目になる生き物のようであるので、やっぱり、あるがままで良いのだという結論に達してしまう。
 
 それはそうと、最近、気が向いて、時代小説を書いている。特別、なんの方向転換もなければ、今月、載せようと思う。
                               2022.1.1




 予想通り、と言おうか当然、衆議院選挙の結果はこうなった…。
 
 やりたい放題やってきた自民党政権が圧勝した。
 立憲民主党のマニフェストは、これまでの野党にはなかったひどくきっちりと作られたもので、理路整然としていてかなり現実的なものだった。
 専門家、知識人等の予想も、自民党は苦戦するだろうというものだった。
 にもかかわらず、なぜ?という結果になった。
 だから、私が日本人には民主主義は千年早いと言ったでしょう。
 はっきり言って、日本人の有権者は専門家でも知識人でもないのであって、「わたしがぁ〜投票してもぉ〜なにも変わらないとおもうしぃ〜、みんなの為にいいことをする人を選んでほしいんです〜」てなぐあいで、街角の大学生と称する女の子がインタビューに答えていた。
 なにゆうとるんじゃお前はー、自分でえらばんかい、世も末じゃ。
 政治家もひどいが、有権者はもっとひどい。つまり枝野氏も知識人もこれほど世の中の人間のレベルが下がっている事など想像もしていなかったのだろう。政策マニフェストなどとうてい理解できない人間がどれほどの割合で存在するのかなどということは考えもしなかったのだろう。
 安倍氏の加計学園問題にしろ、菅氏のコロナ対策にしろ、こんなんどう考えてもあかんやろ、ということすら、関心がないか全く知らないといった塩梅で、これではまともな民主国家とはいいがたい。
 香港の留学生が、先日、日本の投票率の低さを過去の香港のそれと比較して、警鐘を鳴らしているとの記事があったが、こんな実態、世界の国が知ったら危ない事になるんやないの。交渉事にはその国のトータルな力がものをいうわけでっせ。
 
 枝野氏は選挙の議席減の責任をとって辞任した。はっきりいって彼のせいではない。彼はとてもよくやった。今後もこれを根気よく継続する必要があるのだ。党の方向性など普遍のものを貫き通すものがあってはじめて認められるものだ。
 枝野氏の後任に立候補している人間がいるが、どーれもたよりない顔をしている。もうちょっと自分を知ったらどうや?鏡見て相談せえ、と言いたい。
 まあ、やっぱり日本人には民主主義は千年、いや二千年早いような気がする。
 
 ついでに言わせてもらえれば、最近のジャーナリズム、メディアの凋落ぶりはひどいな。選挙の敗北の原因は、戦略ミスだとか、だれそれが悪いとか、その場限りの話に終始している。内向きな話ばかりで、根本的な原因には目をつぶり、一般大衆にごまをするような記事ばかりを書く。まあもっともそれにすら気付いていないのかもしれないが。
 世の中を変えようやないかなんて記事はいーっちょもない。
 だれがこんな教育したんや、これでは他所の国につけこまれるのがオチやで。
                       2021.11.3 




 予想通り、といおうか当然、コロナは蔓延した…。
 
 有識者会議の尾身会長が、「こんな時に、どうするべきか考えたらわかるでしょう」とおっしゃっていたが、考えてもわからないのが現代の日本であり世界的な流れである。世界まで巻き込むのはいささか失礼かもしれないので、少なくとも日本の現状なのは確かである。
 こんなもんやろ。と割り切ろうとしてもなんやら不満は残る。
 「近頃のやつらは、使命感もなけりゃ覚悟もない」そう言ったのは、亀井静香氏だが、それは政治家に限ったことではない。
 そもそも、政治家を選ぶのは国民で、ありがたいことに今の日本は民主主義国家で、まっとうな選挙が行われ、不当な外部からの圧力も無い。こんなもったいない話で、議会の代表を選べる筈なのに、選ばれた連中は見渡す限りろくなやつがいないっちゅうのはどういうこっちゃ。
 日本人に民主主義なんて千年早いわ、ということなのか?日本の民主主義は、自らが戦いの末に勝ち取ったものではなく、第二次大戦後アメリカによってもたらされたもので、当然その意識は低く、価値観も低い。つまりそれほど大切なものだと思っていないわけで、自由と民主主義が俺達の命だという、アメリカ人やフランス人とは歴史的根本的に違う。
 いともたやすく売り渡してしまいそうだ。
 
 今、入って来たニュースで、自民党が菅総理では選挙を戦えないので、首をすげ替えると言っている。
 私は、別にどこかの政党を支持しているわけでもないが、毎度毎度の馬鹿げた話にはうんざりくる。
 しかも、毎度毎度それに乗っかる日本人にもあきれはてる。きっと、今度もそうなんだろう。
 こんなもんかな?こんなもんやろ…。
                        2021.9.3




 東京オリンピックが始まった。
 もう一度、東京でオリンピックをというだれかさんの想いで、どうしてもということで始まった訳だが、私はまだちびすけだったので、それ程の思い入れは無い。自分が想像していたよりも、東京オリンピックに対する思いは無かったようだ。
 こんな状況下で、オリンピックをやる意義なんかおおよそ思いつかない。楽しみに観ていたメジャーリーグ中継はどっかにふっ飛んでしまって、夜のMLBスポーツも消えてしまって跡形もない。
 多くの人にオリンピックを観てもらって勇気を与えたいっちゅう意義だということらしいが、私はMLBが観れなくなってがっくりだ。出場する選手達にとってはうれしい話だろうが、あっちこっちからコロナウィルスを持ち込んで、また、こちらから持ち帰るという図式になるわけで、祭りの後に、ゴミばらまいて帰りまっせ、てなことになりそうで、到底そんなイベントに意義があるとは思えない。
 
 梅雨が明けて湿気が多い。そもそも空気中に湿気が多いというのは苦手で、なんだか溺れているような気分になる。実際、呼吸困難を起こしてぜんそく気味になるのでちょっとつらい。ちなみに私はかなづちだ、おおよそ水には浮かないようにできている。

 テニスの大阪なおみは、やる気の無さそうなプレーで早々と負けてしまった。
 そもそも、なにかとひんしゅくを買って、面目躍如のオリンピック出場じゃなかったのか?かんがえられーん、といった話で。観てる方が頭が痛くなりそうだ。ふつうここは、ファイト溢れるプレーで国の為に金メダルをとって、一気に世界中のテニスファンにさすがだと思わせ、マイナスのイメージを払拭するチャンスだった筈で…、こいつの頭は大丈夫か?と言いたくなる。
 まあ、そうでなければ、記者会見でみんなにいじめられるからそんなものはしない、なんてことは言わんわな。
 全米オープンには出るらしいが、もう観る気もしない。畳に這いつくばって、ヒーヒー言いながらやってる柔道選手との対比は極端だ。  アメリカ人はオリンピックなんかより、メジャーリーグ中継の大谷翔平を観ているんだろう。うらやましい…。
                        2021.7.31    




 職域接種を奨励します。などというと、いかにもワクチンがいつでも供給できる、問題なくあるぞとと言ってるように聞こえる。
 しかし、実際には無かった…。
 そんなわけで新規受け付けは中止します。では、受付のすんだ分はあるのか?それもどうも怪しい。
 そもそも、もともと在庫の数や、調達可能な数なんて判っていた筈で、こうなることは想定内ということで、予定通り中止すると発表する。
 要するに単なる政府のパフォーマンスだったのね。というはなしで、なんの宣伝だったのかよくわからない。国内外へのアピールか、それとも、強引にオリンピックをやる事への批判の矛先を変える為だったのか?
 なんにしろ、馬鹿正直に接種体制や会場を確保した企業は馬鹿をみたわけで、損害賠償を政府に求めてもよさそうなものだが、どっちにしろ国の金は国民の税金なので、そんなことをしたらえらい顰蹙を買ってしまうので、こんな折、到底できない。
 なんか、面白くないことばかり書いているような気がする。
 何処へ行ってしまったんだ、僕らのジョーディマジオは?というフレーズが、サイモン&ガーファンクルのミセスロビンソンという歌の中にある。
 大谷翔平は、今のアメリカの子供達のジョーディマジオになるのだろう、もうすでにそうなのかもしれないが…。
 誰かに愛される、みんなから愛されるというのは大事なことで、自分を愛する人間を幸せにできる。つまり彼は多くの人間を幸せにしているのだ。
 引退したメジャーリーガーや現役のメジャーリーガー達が彼のファンになり、子供のようにはしゃいでいる。彼らが子供の頃に思い描いたヒーローが、今まさに目の前にいる。もう時の流れなんかどうでもいい、時間の流れは意味を失ってしまったようだ。
 そもそも、時間とはそういうものなのかもしれない。時間とは、生を感じる者達の持つなんらかの量なのかもしれない、不可逆性のものだと考えるのは間違っているかもしれない。
                        2021.7.4




 最近、世相に対する不満やらがやたらに多いような気がする。私が言ったところでどうにかなるもんでもない。そんなことをぶつくさ言ってもはじまらない。なにかもっと面白い事はないものだろうか?最近ちょっと太り過ぎではないだろうか?という人間がいる。見る度にあきらかに太っている。見る度にといっても、一か月に一度とか一週間に一度見ている訳ではない、ほぼ毎日見ているわけで、それはおかしいやろ、という分野だ、他人事ながらちょっと恐怖だ。
 太るというのは、体脂肪が増えるということで、それはあまりよろしくない。高脂血症になって、血液の流れが悪くなったり、それに伴って心臓に負担がかかったり、動きが緩慢になって運動不足にもなったり、血管に脂肪がついて血管そのものに栄養が行き渡らなくなり血管の壁が弱って柔軟性を失って、ちょっとの血圧変化についていけず破れたり破裂したりということになる。そもそも血圧の変化に対する柔軟性があるのが健康だということで、単に血圧が高いのが不健康だというわけではない。血圧が低すぎるのは当然やっぱり危ない。
 太り過ぎは注意せんとあかんね…。

 時々、健康食品いわゆるサプリメントというやつを、必要に応じて使っている。もともと剣道をやったりして、膝の関節等に負担がかかる事をやっているので、時々膝が痛くなったりする、そういう時に少量飲んだりする。表示してある使用量の三分の一程度だがそれでよろしいようで、まあまあ効果がある。どれくらい使用すれば良いかは個人差があるので、自分で試して判断している。
 あれこれ試しているが、わりと役に立つようだ。基本は膝が痛い時はスクワット、腰が痛い時は腹筋と、基本はどうしてもそうなのだが、やはり医食同源、食事からの栄養補給は必須で、自分でそれを見つけなければならない。
 医療業界の方は、わりとこのサプリメントというやつが嫌いなようで、あまり良いように言うのを聞かない。使い方次第で、けっこう役に立ちまっせ。

 古来より、毒を薬として使うのは常識で、少量の毒は薬となりうるし、多量の薬は毒となるということで、使用方法や使用量によって毒にも薬にもなるということだ。
 サプリメントも多量に摂取するのはよろしくないということです。なかには理屈に合わない物や、あまり意味がないやろとか、逆に害があるのではないか、というものも無い訳ではない。
 製薬会社もサプリメント会社も仲良くやったらよろしいやないの。医療業界というところはわりとプライドが高くて、縦割り社会で、資格によってステータス順位が決まっているところで、その中に居るとそのように思い込んでしまう様で、まあ狭い世界にありがちなことで、もっとおおらかにいかんかな?という感がある。
 村社会から脱皮しよう!  なにせ、とりあえず自由の国やから…。
                        2021.6.13  




 5月になった。コロナウィルスは一向に治まる様子はない。ワクチンもさっぱりだ。他所の先進国は着実にワクチンの接種を進めているというのに、この国はGOTOトラベルじゃ、イートじゃと言い続ける馬鹿な指導者がいる訳で、もともと終息させる為の手段はワクチンしかないので、何をおいてもそれに全力を注がなければならないはずなのに、なーにを考えているのかさっぱりだ。
 そもそも、ちょっと考えたらその程度の先は見通せる筈で、昔の日本人ならそんなことはなかったと思う。いつの間にか日本人は馬鹿になってしまい、それすら気付いていないという体たらくで、ゆとり教育とかで、どうしようもない若者を増やして、こんなんではお先真っ暗だ。
 IOCのバッハは、日本人の根性に期待するなんちゅうことを言っているし、無理でっせ、医療体制がひっ迫して、オリンピックどころやないと現場は言っている。
 バッハは、日本が出来ませんと言って、違約金を払ってくれたらそれでええんや。てな利己主義的な腹で、人類が一致してこのパンデミックを乗り切ろうなんて意識はこれっぽっちもない、といったところであきれ果てる。出来ないものなら、さっさとやめるべきだ。
 
 てな事を半月前に書いて、ほったらかしにしているうちに何故か梅雨になってしまった。
 やたらに早い入梅で、経験がない。そらそうやろ、観測史上初めてだということなので。
 今年は無いだろうと思っていた会社の健診があるらしい、という通知が来た。ということは、医療現場もそれほどひっ迫しているわけではないのか?それこそ健診なんぞやってる暇があったらワクチン接種でもしたらどうや?つまりは、政府の段取りの悪さを象徴的に証明してる訳や。
 まあええわ、どうせこの国はそんなもんや。

 とにかく、今年の梅雨はどんよりと曇って、降ったかと思ったら、いつのまにか止んで、時折激しい雨が降ったりして、わりとスタンダードな日本の梅雨だ。気分も鬱々として盛り上がらない。大谷翔平のチームもなかなか勝てない。なんなんだ、このエンゼルスっちゅうチームは。しょっぱなから大量失点はするは、ブルペン(中継ぎ、抑え)投手は打たれて逆転負けするわで、見てる方はストレスが溜まって最近は試合を見るのもおっくうになった。
 こんなことなら、日本で出番が少なくてくすぶってる投手でも連れて行けばいいのやないか?今なら割合よりどりみどりでお買い得のような気がする。そもそも、アプトンなんちゅう選手はやる気があるのかないのか、体つきなんかから才能があるのはわかるが、おおよそ集中力が感じられない。それとも、もともと集中力がないのか?なーんでもない球をスカッ、スカッと空振りする、ふつう集中してよく見てれば振らんだろ。 腹が立つ…。
                       2021.5.22  




 春になった。
 春になったが、朝晩はまだ肌寒い。昼間はちょっと汗ばむくらい暖かい。
 いつもの年より2週間程新緑も早い気がする。
 コロナウィルスはいっこうに治まる気配はない。これからはイギリス型の変異ウィルスが主流になりそうだ。
 官公庁のモラルの低さも、変異ウィルスなみにパワーアップしてきている。
 そんなわけで、庶民としては傍観しているしかないという状況だ。
 まあええわね、所詮、泣く子と地頭には勝てないっちゅうことで、いや今はSNSがあるやろ、といってもおおよそそれがたいしたことになっているようには思えない。どーでもええようなしょーもないことは取り沙汰されるようだが。
 ミャンマーでは、軍部が国家の主導権を掌握しようとやっきになっているようだが、そもそも一体なにをしたいのか、おおよそ私には理解できない。権力を握ってどうしようというのか、毎日うまい飯でも食いたいのか、はたまた酒池肉林に耽りたいのか、王様だとあがめられたいのか、それとも宮殿に住んで気が向けば世界旅行でもしたいのか、いつ果てる命かもわからないのに。
 
 常太郎のコンクールは奨励賞をもらって終わったようだ。会場のピアノの鍵盤が重たかったらしく、低音部の音がうまく出ないので、焦って弾きすぎたという印象だった。もともと子供の弾く曲ではないので仕方がないといったところだろう。
 なおは審査員賞だったらしいが、簡単な曲をまことしやかにすまして弾いている。ただ、音は良い音を出している、悪くはないと思う。
                       2021.4.11




 常太郎が、ピアノコンクールの全国大会で弾く曲が決まったとかで、youtyubeでチェックしてみたが、セシル・シャミナードのアラベスクOp.61という曲で、こんなん小学生の3年生が弾けるんかいなという曲で、いろいろ聴いてみたが。ダニエル・ラヴァルというピアニストがとても上手で、 それを聴いているとますます子供の弾く曲ではないなという塩梅で、テクニック的にも難しく、ましてや子供の感性では弾けそうもない。
 どうするんやこんなんということで、ちょっと興味深い。
 ちなみに、ダニエル・ラヴァルという人は私は知らなかったが、あれこれと聴いてみるとなかなか上手な演奏家であることがわかった。それで、調べてみるとフランス人の女性で、年齢はよくわからない。写真を見ると、ヒラリー・クリントンのような いけ好かない風情のおばちゃんで、それで、演奏のわりには再生回数が少ないのかと、あれこれいらぬ詮索をしている。どーでもええやないか、上手けりゃええんやという訳にもいかない、やはり見てくれも大事でっせ。
 それと、今度の全国大会には常太郎の弟のなおも出ることになったのだが、僕もコンクールに出るんだ、ということで出たらしいが、これはなんか冗談みたいだ。そもそも、本人には絶対に言えないが、全国大会なんて…なにかの間違いだ、ちゃんちゃらおかしいやろ。
                       2021.3.7




 髪の毛は子供の頃から多い方だったので、少し伸びてくると頭に熱が籠ってやたら暑くてうっとおしい。
 そんな訳で月に一度は散髪屋へ行く。散髪屋のマスターはとても腕のいい人なのでもう30年来通っている。最近、髪が薄くなり始めた、と言ったところ、減ってはないけれど髪の毛が細くなってるだけだ、多い方ですよ。と、ぜいたく言うなと言わんばかりに言われた。そういえば、マスターは髪の毛があまり無い。
 白髪はまあまあ多いので、染めている。最近それも多くなってきて、以前は無かった頭頂部にかけて増えてきている。
 世の中を見渡してみてもあまり白髪の人は見かけない。もし白髪染めがなかったら日本中の風景はえらく景気の悪いものになるにちがいない。してみると、白髪染めのメーカーは世の中にかなり貢献していることになる。
 などとわりと毎度どうでもいいような事から書き出すくせがあるようだ。

 最近、森喜朗氏が、女性蔑視の発言をしたとのことで世の中をにぎわせている。氏は以前からそういう人で、なんだまたかという印象だが、どうも海外のメディアからはあれこれとバッシングを受けている。そもそも、森氏は高齢で、現在の職を任せられるとはとても思えないものをあえてとどめておく事自体問題があるわけで、その当人がなにかを言ったとかで、ゴシップ記事の材料になるのは多少の刺激になるのか、週刊誌の発行部数が増えるのか、ネットを賑わすのか、炎上させるのか、多少の経済効果はありそうだ。
 大体、セクハラだ差別だといっても、以前同じ時期に、女性選手にエレベーターの中で酔ってキスをしたとかしないとかで、クビになった柔道連盟の関係者か会長かは即刻クビになり、高橋大輔に酔ってキスをしたとかいう橋本聖子氏はクビにもならず、現在は五輪担当大臣なんちゅうはなしなので、どういうこと?って思ってる人も多いと思うが。
 わりとこの国は女性に甘いので、海外の人達は女性の管理職が少ないとかのデーターを覗き見て勘違いしているようだが、日本という国はおおむね女性が強い。とくに社会情勢が安定していればおおむね女性が強く、歴史的、伝統的にそんな気がする。そもそも私自身女より男が強い姿を見た事がない。もちろん私のやっている剣道では圧倒的に男性が強いが。要するに力は強いが…ってとこですな。

 「おうおう熊公、おめえ女房を離縁したんだそうだな」
 「なんだ、留治かえらく耳がはやいな?きのうのはなしだぜ」
 「そりゃこんな狭い長屋の話だ、すぐに知れるさ」
 「おうさ、そうよゆうべのことだ、三行半を突き付けておんだしてやったのよ」
 「三行半てあれかい、後はどこへ行こうと文句は言いませんってやつかい?」
 「そうさね、おれはあんなやつに未練なんかねえんだ」
 「そのわりには、おめえが今抱えてるのは女房の枕じゃねえのかい?」
 「なんだ、おめえ泣いてんのか、なさけねえ話だな」

                       2021.2.7  




 今年の冬は思った通り寒く、寒いと言っても近年では寒いというだけで、昔はこんなもんだったろうというはなしで、それでもやたら寒く感じるのは、最近の温暖化による暖冬に慣れてしまっているせいだろうと想像できるわけで、ある程度身近な環境を見るだけでも昔よりは暖かいだろうと推測できるのであって、地球規模で大気中にある二酸化炭素の量は少しも減っていないというのも本当だろうと思う。
 しかしながら、地球規模での人間活動の停滞はかなりの影響を及ぼすようだ。基本的に人間の生み出すエネルギーなどたかが知れている、というわけなのだろう。自分たちを含む身近な生物にとっては致命的な影響を及ぼすかもしれないが、地球環境そのものにとっては大した問題では無いのだろう。
 要するに人間にとって不都合な環境に陥れば人間はいなくなるだろうし、そうするとすぐに本来あるべき環境に戻るということのようだ。
 でも、月はいかんよ月は。他の地球上の生命に迷惑がかかる。あと何十億年かは命を育まなければいかんのやから。
 ところで、今日、アメリカ合衆国の第46代大統領にジョー・バイデン氏が就任した。
 トランプ政権下で混乱し、分断を深めたアメリカを再び融和に向かうようこの国の国民ために尽くす、と力強く宣言したわけだが、彼の言葉に嘘は無いように感じた。  彼はとても誠実で、残りの人生を自国のためにささげるということのようだ。
 アメリカという国は、とんでもなくロクでもない奴がごまんといるが、立派な人間も大勢いる国だ。対して、日本という国は、とんでもなくロクでもない奴はいないが、立派な奴もいない。なんにしろ中途半端だ。
 そもそも、立派な奴が見当たらないというのは由々しき事態で、国や社会を正しい方向に導いていけないということになる。教育が悪いのか、何が悪いのか、誰もがご都合主義でどうにもならない。多分、刺激が少ないせいじゃないのか。
 スマホばっかり見てても、思考力は身につかないし、刺激も得られないし、情報量も少ないし、ちなみに、五感で獲得する情報量はスマホなんかに比べたらはなしにならないくらい膨大なものでっせ。そんなわけで、賢くなるはずがありません。
                      2021.1.21  




 とにもかくにも年が明けて、暮れに言っていた年賀状はなんとか出来ました。
 まあまあかな、こんなもんやろ…プロやないんやし。
 などと、ぶつぶつ言いながら年を越した状況です。
 昔、島崎藤村の「夜明け前」という小説を読もうとしたが、途中で頓挫してしてしまった。歴史の教科書にも出てくるような、あまりに有名な本なので読んでみたかったのだが、なにしろ出だしから登場人物の説明について行けず、延々と続く家系図の様なあまたの人物を思い描けずあきらめた。
 当時としてはこれは画期的な小説だったのか、それともありきたりの表現だったのか、それとも私の頭脳がついて行かなかったのか、私としては謎として残っている。
 先日、義妹から良い本だから読んでみなさいと言って、一冊の絵本を送ってきたので読んでみたが、シンプルで万人受けする良い本だろうとは思ったが、私にはもっと複雑な感情が入り混じった方がピンと来るようで、我ながらややこしい人間性のようだ。
 複雑なのは嫌だの、シンプルなのも嫌だの、一体どっちなんや?

 おあとがよろしいようで…
                      2021・1・1




 師走に入って、今年もあと僅かということになってまいりました。
 今年は感染症対策に追われ、非活動的で、あまり面白くもなかった一年でした。当然、我慢するべき場面で、ワクチンが行き渡るまでの辛抱というわけで、確実に未来は見えている。そういう筈なのに、日本人は我慢という言葉を忘れてしまったようで、えろうGO TOキャンペーンとかでなにかと賑わせてまんな、ついでにコロナもにぎわって まっせ。
 もう、なんかどーでもよろしいやないのといった塩梅で、それは居直った庶民のわてらが持つ感覚で、国を導くべき立場の政治家が持つ感覚ちゃいまっせ。まあおおむねそんな連中ばっかりやから、(俺は別におやじのあとを継いだだけで政治家になりたかった訳やないんや)てなぼやきが聞こえてきそうでんな。  しかし、なった以上は責任感を持ってもらわにゃ困るんですけどね。
 そもそも、東京都知事なんかは、政府が始めたんやからそっちが決めてもらわんと困る。わたしゃ知らんちゅうことで、あんた都政を預かる最高責任者でしょうがね。誰が選んだんやこんなおばはん。とは言っても、都知事選の対抗馬はろくなやつがおらへんし。だいたい東京都知事なんてほとんどろくでもない奴以外見たことないし。
 そやそや、そんなことより来年の年賀状書かなあかん。今年は、どこかのデザインをあっちこっちからパクッてきてレイアウトするという方式はやめにしようかと思ってます。
 オリジナルのデザインでと思ってますが、あんまりデザインセンスは無いので、気に入ったものができるかどうか。デザインセンスがないのは生まれ持った乱視のせいかも。なにしろ細かい作業が苦手で、色感はとても良いのだけれど…。
 いったい何をぶつぶつ言っとるんや、ぼやきが多いんとちゃいますか?
 いやいや、つぶやき(ツイート)ですわ。
                      2020.12.12                      




 リスト作曲のラ・カンパネラは、鐘という意味らしいが、具体的にどんな鐘なのかは知らない。
 もともとの曲を編曲したものとのことだが、誰が書いたのかは知らない。なんでもかんでも知らないですますなよ、すぐに調べられるだろう?その通りで、なんとも便利 な時代になったものだ。しかし、面倒くさい時は面倒くさい。
 ピアニストの辻井伸行氏の演奏するラ・カンパネラが私は好きで、中でも2013年のBBCプロムスでアンコール曲として弾かれたものが好きで、私の人生で聴いた ピアノ演奏で最も感動的で優れた演奏です。
 私は子供の頃から何故かクラッシック音楽が好きで、もともとそういった音楽環境のある家庭で育った訳でもなく、せいぜい学校の音楽鑑賞で聴くぐらいで、 それでもなぜか好きで、まあ波長が合うといったところでしょうか…。
 
 昔、中学生の頃に、ある女の子にラブレターを原稿用紙14枚に書いて渡したことがあった。何故原稿用紙なのかは憶えていないが、もともと100枚書くつもりだったのは憶えている。
 100枚書くつもりだったのだが、当時の私の知識力と文章力ではそれが限界だった。それ以上書こうとすると、同じ事の繰り返しになってしまい諦めた。
 溢れる思いを綴って彼女に伝えたかったのだろうが、それでどうしようというつもりがあった訳ではなかったように思う。そんな中途半端な手紙をもらった彼女にしてみれば、さぞ困ったことだろう。その後、聞く機会はあったのだが、結局聞かなかった。
 私はその頃ひどく孤独だったように思う。仲間はたくさんいたがひどく孤独だった。それがゆえに友達を求めたのかもしれない。
 孤独であるかないかは、友人や家族が居て愛されているかいないかで決まるものではないように思う、その人間の中になにかが足りないせいのように思う。
 それがどうして起こるのかわからない。環境によるものなのか遺伝子によるものなのか、物心ついた頃にはすでにそうだったような気がする。
 
 人の思いはなかなか伝わらない。地球上の生命や、自分達の子孫の事など、自分の明日の命も知れない人々には振り向く余裕はないし、欲に目がくらんだ人間にも伝わる事はない。宇宙や月資源の開発許可など血迷った話がどうして出てくるのか。地球上の資源を地球上で消費するのとはわけが違う、地球内で循環させるエネルギーはそのまま形を変えて残るが、月から削り取られたものは重量として失われてしまう。重量が失われてしまえば質量が減り、引力が弱まって、地球の軌道からいなくなってしまう可能性があり、月が無くなれば地球上の生命は存在できなくなってしまう。そもそもそれまでに一体どんな事が起こるのか想像すらつかない。確実に起こるであろうリスクはすでにリスクとは呼べない。どうやって自殺するのか検討しているというはなしなのである。
 しかし、欲に目がくらんだ人間には伝わらない。どうしようもないはなしで、これが人間の限界なのだろう。
                      2020.11.15  




先日、テニスプレーヤーの大坂なおみ選手の悪口を書いたところ、すぐ後の全米オープンで優勝してしまった。
 縁起が良かったのか、めでたい話である。
 最近の日本のスポーツ界にとっては久し振りの朗報で、大坂選手にしても、どんな場面でも我慢をして自分の実力を発揮できたというのは大きな収穫ではないだろうか。本人はどう思っているのか知らないが、見ている側としては実力を出しさえすれば、今の女子テニス界で彼女の右に出る者はいないだろう、というのが大方の見方のような気がする。
 とりあえず、当面の義務は果たしたということになるが、期待に答え続けなければならないという義務は残る。以前、長嶋茂雄氏が、長嶋茂雄で有り続けることは大変なんですよ、という趣旨のコメントをしたことがあるが、もっともだと思う。

 今回、彼女は、アメリカでの黒人に対する不当な暴力で死んだ人達の名前を黒いマスクに書いて試合に臨んだが、人種間による確執はいっこうに治まる気配を見せない。アメリカでは、この場合白人の力優位の状況が続いているが、力の逆転は容易に起こり得る。
 なぜそのような人種差別感覚がおこるのか?日本人の私には感覚的にあまり理解することはできない。
 その大きな原因に、アメリカという国は、分別された多国籍国家であるということだ。
 日本人にしても、もともと単一人種、民族ではなかったが、同化する事によって一つの民族という意識を獲得した。したがって、日本人の意識の中には、この国で同化すれば、仲間なのだという本能的な意識があるように思う。
 かたや、アメリカでは人種ごとにコロニーをつくり生活していて、混在して交わる事がない。そもそも差別を根本的に解消しようという意識がない。したがって、国家を維持するために同一の方向性を持たさなければならない。スローガンが要るわけで、経済、自由主義、愛国心、がそれにあたる。ひどい場合、それらを維持するために戦争の出前すらする場合がある。

 ちょっと視点を変えて、人種差別はなぜ起こるのか。ひょっとしたら、歴史的にはもちろんとして、遺伝子的及びそれに内在する記憶も影響しているのかもしれない。
 たとえば朝鮮人と日本人、中国人と日本人、いずれもあまり仲が良いとは言えないが、朝鮮人と日本人は互いに征服された歴史を持っている。日本人は2000年前に、朝鮮人は第二次大戦前にそれぞれの国に征服された。日本人の場合はすでに同化され、朝鮮人と同じ遺伝子を多くの人が持っている。かたや、朝鮮人はその記憶を持っている。記憶のレベルになるとそれは歴史的背景の分野になるが、征服され同化されてしまった記憶は遺伝子に刻みこまれたと考えると、お互いに虫が好かないというはなしも納得できる。それは、白人の中にある、ネアンデルタール人の遺伝子が純粋なホモサピエンスである黒人に対して抱く感情もそれに起因しているかもしれない。しかし、白人の差別意識は他の有色人種にも向けられるので、そうとばかりも言えない。
 長い歴史の間に教育によって刷り込まれたものか、短期的な教育によって刷り込まれたものか、もしくは、単に生存競争のなせる技なのか、生物間の争いは自然の摂理と言ってしまえばそれまでなのだが。

             2020.9.13

                   

 近頃、最近とか近頃とかいう出だしが多いのは退屈している時のため息に似たもので、ほとんど愚痴のようなもので、(なんか近頃のパソコン、訳のわからん変換の仕方せえへん? そもそも訳のわからんろくでもない漢字の使い方する奴が多いからこうなるんやないの?もっと勉強せんと。大体、近頃の人間の考え方って自分勝手で思慮不足でおおよそ考えて いるとは言えないレベルの奴が多すぎるんじゃないのか。そもそも、プロのスポーツ選手なんかはファンや大衆に支持されてなんぼな訳で、膨大な数の人間が少しずつ出した お金が集まったものを報酬として受け取っているので、それはTVを見ている人間もそうで、放映権料、スポンサーの宣伝料は視聴率によって決まるし。なんか、テニスプレーヤーは 職人で、俺は俺の仕事をやってれば金がもらえると思ってるとしか思えない連中がいるのは納得できない。錦織とか大坂なんかは典型的で、毎度毎度ファンの期待を裏切り続けて それで莫大な金がもらえるのはおかしいやろ、彼らはそれぞれの実力に応じたヒーローになるのが義務であって、その為にここぞと思う時には選手生命が絶たれようとやる義務が ある訳で、今のままだととんでもない報酬に見合うまでの仕事をしているとは思えない、早い話が給料泥棒だ。他所の国の一流プレイヤーといわれる人間からは、あまりそんな感じは 受けないので、日本人はおおよそ考えが甘いのじゃないか。)発展性がない。
 ちょっと、脱線話が長くなってしまった。そもそも愚痴のようなもので、と変換したら口のようなもので、と出たので腹を立ててカッコ書きが長くなってしまったというしょーもない はなしです。
                                         2020.9.2

                   



 季節がさらに進み、暑くなって湿度も増して、新型コロナも若干勢いを失ってきているようで、秋まではこのままいくのかなという様相で 落ち着いてきている。
 長い?かどうかはともかく、人類の歴史は感染症との闘いの歴史でもある訳で、コロナの感染力の強さはまったく知らない奴に対する無防備の せいで、まるでジャイアンツ(サンフランシスコジャイアンツではない、あくまで東京だ)が初めてのピッチャーに弱いのとおんなじ話で、 早く対策を立てて攻略をしなければならない。
 そんな中で、日本がなぜ比較的コロナの抑え込みに成功しているのか、理由は憶測を含めて様々にとりざたされているが、その中の大きな要因 のひとつは衛生環境の良さだろう。
 なにしろこの国は水が豊富だ、森林が多く、川は急流で短路だ。したがって水質は良く不純物が少なく細菌が繁殖しにくい。
 水道は完備されて、トイレは水洗式だし、下水もほぼ整っている。あちこちに公衆トイレはある、しかもタダだ、手洗いの水道もついている。
 食べ物屋の店舗には、手洗いの設置が義務づけられている。
 風呂屋は多く、どれも大きな湯船があって、じゃばじゃばとお湯がそそぎこまれる風になっている。いろんな湯船のスタイルがあって、大抵は 激しくもしくはゆるやかに流動していて淀むことはない。まあ、なにしろいたれりつくせりだ。
 家はというと、土足厳禁だし最近はフロアリングの床が多いが、掃除はしやすい。畳は通気性がいいし、ぜいたくをいえば昔のように隙間だらけが いいのだが。住宅にはおおむね風呂がついていて、そのまま衛生的な空間で着替えをしくつろげるといったあんばいだになっている。
 空気清浄機もあまたのメーカーが開発して売っている。電気シェーバーだって丸洗いが出来る。掃除機だって手を汚さずゴミをそのまま捨てることができる。 焼却炉だって公共のものがあって、ゴミの分別だって国民そのものが熱心だ。
 まあ、ゴミに関しては捨てれなくてどうしようもなくなっているものが一つだけとんでもない物が大量にあるが、まあそれは命より金が大切だという 馬鹿な連中がどうしても言うことをきかないせいで、いたしかたない。
 うがい薬だって、こんなにメーカーがあって成り立つのかと心配する程度にはある。
 これ以上数え上げてもきりがないのでやめるが、要はコロナの抑え込みが比較的うまくいっているのは偶然ではないということなのだ。
 衛生的な国民性が、それを可能にしているといえるのかもしれない。
 それに関連して、ドイツ人の気質を表した言葉のなかに、イム ハウスハルト ムス アレス ブリッツェン(家の中の物はすべてピカピカにしておかなければ ならない)というのがあるそうだが、それもコロナの抑え込みに影響しているのだろうか。
                    2020.5.19  




 近頃、ちょっと肌寒く、つつじも咲いてはいるがちらほらでなかなか一気にという訳にはいかないらしい。
 新緑もスピードを失い、五月の季節に追いつきそうだ。
 かつてはそうだった様相に、こんな感じだったというものが体の感性に入り込んで来て、なにやら寒いがちょっとうれしい。 そういった感情は私だけなのだろうか?
 世界的に人間活動が抑えられると、これほどの効果が生まれるらしい。こんなグローバルな規模での実験はなかなかできるものではなく、コロナウィルスの正(ポジティブ)の影響の重要な部分だといえると思う。
 はたしてこの貴重な教訓は生かされるのだろうか?
 そんなわきゃないわな、飯が食えない、遊べないという切実な環境をなんとかせなあかんので、それはそれで重大なことで、それがゆえにまた同じことをせにゃならん。そうそう、もっともな話ですな。
 馬鹿やないの?遊びなんていくらでも作り出せまっせ、スマホ持たんと遊べんなんてどうかしてまっせ。
 
 昔、古文の授業で、枕草子だったか、今昔物語だったか、出典はもうまるっきり覚えてないが…。
 ある貴族のところへ友人が訪ねてきて、酒を呑み始めたところ、つまみがないのに気づき、主である貴族が立ち上がって台所に行き、お椀か鉢かをかかえて戻ってきて
「あった、あった、ありました。味噌が少しこびりついていました。」
「ああ、それで上等です」ということで喜んで酒をのみました。昔はこのように質素でした。
 
 そういうくだりがあったのを、けっこう強い印象で憶えている。 そんなもんです。
                    2020.4.24




 新型コロナウィルスの影響で、人間活動が制限されている近頃なので、剣道会の運営もままならず、 稽古ができない剣道家にとっては(特にご高齢の方達にとっては)、体調管理ができずに体調を崩す方が いるのではないかと危惧しているわけで、コロナで死ぬか稽古不足で死ぬかの選択を迫られるような 高齢化社会で、なにがなんだかよくわからない。
 現代の閉塞感はもう結構前から続いていることで、改善する方策がなかったわけでもないのだけれど、 欲と自己中心的な考えに振り回されてどうすることもできない。
 コロナウィルスのパンデミックで世界的に人間活動が低調になり、多小温室効果ガスが抑えられて地球温暖化を ほんのちょっと遅らせることになるのかもしれない。

 昔の話だが、県立美術館でやっていた20世紀の印象派展を見に行った。学生の頃だったように思う。
 ピカソの軽業師という絵だったと思うが、その絵はピカソの若い頃のもので、さらっと描いているようなのだが、 その質感と存在感に驚かされた。
 その絵を見ているとそのまま手を伸ばして触れば、人間の皮膚に触れることができるのではないかという 印象を受けた。
 マティスやブラックのファンの方には申し訳ないが、その後はそれらの絵がひどく陳腐に見えて、そのまま美術館を 出てしまったということがあった。
 ご存知とは思うが、その後のピカソは青の時代を経て抽象画の画家として名を馳せたのであって、ちょっと一般的には わかりにくいかなという感がある。
 もともとピカソは20世紀最高の画家というキャッチフレーズが付いていた画家だったのだが、少々理解に苦しむ 画風の絵だという印象が強かった。しかし、美術館でその絵を見た瞬間からピカソが絵画の天才であることを知った のだった。
 そうすると、ピカソの絵のゲルニカが強い切迫感をもってせまってきたり、泣く女の腹立たしさが(見る人によって 印象はさまざまだと思うが)理解できた訳で、するとなにか?お前は泣いている女性を見て腹立たしさを覚える訳か? いやまあそんなことはこの際とうでもええやないか。
 とにかく言えることは、よくわからん形の絵が見る者に強烈な印象を与えるのは、表現者が絵画の天才であるがゆえ なのだ、ということである。
 
 ごく最近、常太郎がオスティナートという曲をYoutubeに乗せた。
 全日本ジュニア音楽コンクールの全国大会で弾く予定だったものが、コロナウィルスで延期になったのでその曲を終わらせる為に 乗せたという話なのだが、曲調はトリッキーでテクニカルな曲という感じで、よくわからない。それが事前にあれこれ聴いてみた 印象だったのだが、常太郎が乗せたものを聴いて、やっとどういう曲なのかわかったという具合で、常太郎の才能には驚かされる。
 弟のなおもピアノを弾いているが、これはそんなに才能はなさそうだ。そもそも兄弟そろって同じことをやるというのは私は 気に入らない。
 なにはともあれ、かなりの危機感を感じる世界状況で、彼らに未来があるのか?活躍の場が与えられるのか祈るしかない。
                    2020.3.31




 明けて2020年、区切りの良い年号で、なんとなく字面がよくて期待が持てそうで、なにごとも景色が良い方が
気持ちが良いということでしょう。
 常太郎のピアノの演奏も、Youtubeにママがあれこれ乗せているようで、時々開いては観ています。
 それを聴いていて、ピアノの演奏というのは、基本的にはやはり美しい音で演奏するのがベストだと感じました。
 ピアノという楽器は、鍵盤を押さえるあるいは叩く指の強弱やタイミングが伝わりやすい楽器なので、演奏者に
よって、音の響きや音色が違ってくる。つまり奏者の個性が反映されやすい、反映しやすい楽器で感情移入もやり易い。
 そういった反面、音を安定させるのは大変難しいという感があります。鍵盤を叩く位置でも音が違い、それを32分
音符で安定させるのはひどく困難なように見えます。
 感情を込めて演奏することがわりと容易なので、そういった演奏は多々みられますが、音色や強弱のバランスが崩
れやすく、音そのものが快ではなくなり、演奏そのものが美しくなくなってしまう。つまり、聞いていて心地よくなくな
ってしまう。そう感じます。
 常太郎の演奏にも、なんやわりとさらっと弾いてるやんか、でもなんかなんべん聴いても意外と飽きんな。
 そういうのがあるかと思えば、ちょっと感情込めて弾いてるけどいまいちやな、本人は満足したように言ってたけど…。 てのもあります。
 まあなんにしろ、8歳のがきんちょの演奏について、とやかく言われるだけでもたいしたもんです。
                    2020.1.13




 2019年 いよいよ暮れも押し迫って、残すところ2、3日となってしまいました。
 仕事がらあまり動くことが少なくて、当然運動不足になってしまいます。
 しかしながら、筋肉はわりとつけているので、使わないと体調不良に陥ってしまうわけで、しかし寒いし。横着が
身に着くと不健康になってしまうという典型的な例です。
 体の代謝を活発に保つというのが健康の秘訣のようです。分泌系も同様に組織の保護殺菌等の為にということに
なります。
 ストレスによって、代謝、分泌系の働きが悪くなると体調に支障をきたすことになるということです。
 プレッシャーやストレスで唾液の分泌が悪くなると、口中等に細菌が繁殖して口臭がしたり、汗をかかない為に
皮膚や毛穴に細菌が繁殖したりと、様々あるようです。さらにもっと重篤な病も引き起こすようです。
 そんなわけで、極力リラックスしてお過ごしください。
 楽しく過ごすというのは、そういう才能も必要ですが、あきらめるという行動も効果的みたいです。
                    2019.12.29




 2019年 暮れも押し迫って、今年一年も無事乗り切れそうな感じになってきました。
 無事終わるというのはめでたいことで、温暖化という環境異常の中、なんとか生き延びれたねっちゅうはなしです
 環境活動家のグレタさんの言うことは、実に的を得ていて正しく、若い人たちにとっては切実で、私達にとっても
自分の子孫たちが生き延びれるかどうかという重大な問題でもあります。
 生存より経済、命より金という訳ですが、以前も言ったことがありますが、経済は人間活動の対価ですから人間が
いなくなれば消滅してしまいます。
 つまり、命より金という理論は成り立たないわけです。
 なのに、何故そんな輩が多数を占めるのか?
 要するに、自分達が死ぬとは考えていないのです。
 夢を見ているのか、まぼろしを見ているのか、はたまた何かにとり憑かれているのか
 常識ある思考力を持った人々には理解できない思考をする、あるいは思考が出来ない、そんなところが現実といっ
た状態でしょう。
 地球温暖化、放射能の地球への持ち込み等、現在のこのあたりまでなら、数多の種族をまきぞえにして、人間とい
う一種族が滅びればすむはなしなので、いたってシンプルな地球上の種族交代で、とくに問題はないことなので
まあええじゃないか、という範疇です。
 そういうことを言うと、俺達が滅びてなにがええんじや、という意見が出るのは想定内で、どうせどうにもならん
やろ、というほぼ高確率の現状があるので、それならなにがマシかという話をしとる訳です。

 技術力がそれを使う人間自身の資質を越えてしまった今、決定的なダメージを地球環境に与える前に滅びた方が
いいのかも知れません。なぜなら私達人類は地球そのものから生まれ、地球によって生み出された遺伝子でできて
いるからです。
                     2019.12.12




 秋になり、秋と言っても残暑厳しく、おまけに職場のエアコンもコンプレッサーの冷却ファンが壊れてしまい
とにかく暑い、暑がりでない人はそうでもないかもしれないけれど。
 なんだかあついあついと言うと愚痴っぽくて、言い訳がましく弁解しているへんなやつというところでしょうか。
 常太郎のコンクールも終わり、満足のいく演奏ではなかったものの、銅賞と4位という結果になり、ひと安心といった
ところではないでしょうか。
                     2019.9.24




 ちびっこコンクールも大詰めを迎え、いよいよ全国大会と相成ったようです。
 二つのコンクールにエントリーしているようで、どちらも好成績で終わればよいのですが…。
 さてさて、どうなりますことやら。
 私の物語の常太郎なら、審査員の頭の中をちょちょいとコントロールして、わけもなく優勝してしまうところですが
そうはいかないでしょう。それに、そんな優勝のしかたでは、ちっとも面白くないですからね。
 音楽家たるもの、良い演奏をしてみんなを幸せにしたいものです。
 いくらエンターテナーの才能を持っていても、ママのようにけちくさい性格だといけませんね。
                     2019.8.26   




 最近、常太郎にママと同じ才能があるということが判り、ママが熱心にピアノの指導をしてちびっこコンクール
やらに出場させて、一喜一憂している様子で、それがいいのかわるいのか、当人はどう思っているのか、なにせ厳しい
ママとおべんちゃら常太郎との関係で本当のことはわからない。
 ただ言えるのは才能を伸ばせる可能性があるということで、ネガティブで悪いことではなさそうです。
 テクニカルな才能はいうまでもなく、天性の持ち合わせた感性はいかんともしがたく、それらを持ち合わせた人間は
儲けもんで、それを伸ばすべくいかに努力するかで決まってしまう。
 あとは、その人並み外れた才能でおまんまが食べれるかどうかというはなしです。
 おまんまが食べられるかどうかは、その才能がいかにその時代にポピュラーかどうかで、だーれも見向きもされない
 ものではどうにもなりません。
 うーむ、ごはんが食べられるかどうかは難しい。
 なにせ根本的な問題なので…。
                     2019.6.18





 2019年になりました。
 なにげなく、さりげなく年は過ぎ、また新しい年がやってくる。
 そうした月日の営みと、それと不可分な人間のそれと、人があるがゆえにそれがある。
 われ思う、故に我あり
 我があるがゆえにそれがある。我なくしては月日は意味を失ってしまうのか、誰にもそれは分からない…。
 人間が言葉を持ち、複雑な思考をするようになって以来ずっとその答えを探し続けている。
 しかし、未だにその答えは見つかっていない。それは人間が何千年生きようと何万年生きようと、きっと
見つけることのできない探し物なのだろう。
 もっとも、人間が何千年何万年生きたとすると今よりもう少し賢いかもしれないけれど…。

 不釣り合いな技術を手に入れた者に未来はない。ロードオブザリングで指輪を手にしたゴラムのように…。
 だがしかし、ゴラムはゴラムであり人間そのものなのだ。そこに例外はない、誰が手にしても同じなのだ。
 不釣り合いな技術を持ってしまった。
 それが現代であり現実なのだ。だれもそれを止められそうもない。

 自分達が未熟であると、なぜ人間は気づかないのだろう、私にはそれが不思議でたまらない。
 なぜ自分は完璧で優位者で、すべてをコントロールできると思うのだろう。
 それは、なにかの意志によって破滅へといざなうプログラムなのだろうか。

 とうとう満足のいく挿絵ができなかったが、新しい年に一つの物語を載せました。
 読んでください。
               2019.1.1    





 2018、年も押し迫って参りました。
 去年も同じようなフレーズで書き出した暮れの挨拶だったのだけれど、一年経っても何も変わらない
ということで、実際それ程自分の人生が劇的に変化するというのは滅多にないことで、それはそれで
平穏無事ということでめでたい話ではありませんか。
 ところで最近、私的な話ですが、我が家の車が壊れてしまい使用不能となったために、新しい車を
買わなければならなくなり、あれこれと物色したところ、意外と車の車種を知らないことに気づいて
しまいました。なんだそんなことか、必要が無ければ誰もそんなこと知らんだろと思うかもしれま
せんが、長年自動車業界に身を置いた者としては、なにがしら釈然としないものがあるわけで、どうやって
車を売ってたんや、無責任ちゃうか?ええかげんなやっちゃ、等々、非難の声が自他ともにあがってきそうで
ああ恐ろしい…

 そんなわけであれこれ調べてみると、近頃はハイブリット車にも種類があって、従来のエンジン駆動と
モーター駆動併用のものと、エンジンは発電専用で、駆動はモーターのみというものがあるのが判りました
 なるほど、発電専用にすれば大きな蓄電池は不要で、重量も大幅に軽減でき、理にかなっているかな。
 発電機を回すだけだと発電量に応じての回転数の変化があるだけで、エンジンにかかるストレスがかなり
少なくてすむかなと、ひとしきり感心したところで、中古の日産ノートを買ってしまいました。
 やっぱり新車のe−powerは買えませんな。

                2018.12.17





 兎にも角にも最近異様に蒸し暑く、まるで季節が逆順したようで、暑いのが苦手な私としては不快なので、
筋肉質がゆえんで運動した後は発熱して体に熱が籠り、筋肉が炎症を起こしアイシングが必要で、まるで
なにかのアスリートのような話だという、人間体が資本だということです。

 最近の政治家は、経験不足で根性が無く、坊っちゃん育ちで世間知らずでプレッシャーに弱く、自己中で
おおよそ高邁な理想は無く、使命感も覚悟も無く、政治が飯の種で、愛も無く思いやりも無く、適切な判断力
も無く、そりゃ経験不足だから推してしかるべしで、嘘つきで、おおよそ資質のかけらもない。

 そんな連中が世の中を動かしているんだから、お先真っ暗ですわな。
 日本のジャーナリズムの連中は地に落ちて、我が身可愛さでまともに突っ込む事も出来ない。
 なんなんだこの国は、若者は脆弱で少数派で、18歳で選挙権なんてとんでもない。まともな判断なんか
できるわけないでしょ、当然体制派の票になるわけで、単純な理屈の積み重ねで成り立っている動きでっせ。

 人間はプレッシャーを受けてはじめて強くなるので、プレッシャーも刺激も無い状態で育った連中なんて
ひ弱そのもので人間の競争に打ち勝っていけない、人間間の競争は好むと好まざるにかかわらず、逃れられない
宿命なのだから真剣に向き合わなければならないわけで、なんなんだこの国は。
 分かりやすく言うと、不衛生でとても汚い公衆便所しかない国と、とても衛生的で快適なトイレが常識な国では
それだけでプレッシャーの度合いが違う、プレッシャーの有る無しが違う訳です。
 つまり鍛えられる度合いが違う、それは精神的にも思考的にもということです。要するにそれだけで負けてしまう
というはなしです。
                     2018.9.16  





 昨日、スパゲティを食べようと思い、近所のドラッグストアにそれを買いに行ったところ、色々と種類があり、
種類と言っても、麺の形の種類ではなく、産地、メーカーのたぐいの種類で、それでも専門店ではないので、そん
なにたくさんのメーカーの商品がある訳でもないのですが、麺の太さの選択もあり、まよったあげくにイタリア製
のものを買いました。
 こんなことを書いているとスパゲッティには素人なのかと思われがちでしょうが、ところが意外とうるさくて、イ
タリア人でもないのに週に1〜2回はスパゲッティを食べるという食生活で、しかも使うのはオリーブ油で、トマト
は生もしくは缶詰というぐあいで、もちろんバジル等の香辛料も使います。
当然ゆで上げたばかりのものを調理します。平打ち麺はのどごしが悪いので嫌いです。サラダ油を使うと麺が油を吸
い取ってしまって油っこくなるので美味くありません。油の分子の大きさの関係かなあ?
 なんだか段々と口やかましくなってますねん。荒引きの黒コショウなんかもシャープな味わいでいいかも、塩は海
水塩の荒塩がコクがあるやろ。イカスミでうまみを出すのも最高で、にんにくなんぞは定番で、トウガラシなんかは
常識で、日本生まれのナポリタンなんかもわるくない。
 こうしてみるとけっこうやかましいのですが、どういう訳か麺そのものをあまり意識したことが無いことに気づき
ました。意識したことがまるっきりないわけではないのですが、漠然と外国製がいいようだ、てな感覚で選んでいた
ので、今回のイタリア麺はうまかったな、っちゅうのが麺にもこだわってみようということです。
                        2018.8.7





 なんだか記事欄を書いていると、みょうにかたい話になってしまうのはどういう訳なのか、自分でも不思議に
 思うところではあります。
 なんや知らん、面白いはなしありませんな
 暇のつれづれに、などと書くとそんなに暇な奴なのになんでページを更新せんのや、と言われそうだし…
 
 暇のつれづれに、私が生涯を通じてやっている剣道について話をしてみようと思います。
 剣道と言うと、スポーツなのか武道なのか?
 大抵の人は武道というイメージを抱くと思いますし、関連団体もそうだと思ってるでしょうから
 それでいいのだとおもいますね。
 基本的に剣道は、竹刀もしくは木刀を肘と手首をつかって切り下ろす。という動作の繰り返しで
 振り上げる時間は短ければ短いほど相手の攻撃を受けにくいということになります。
 中段の構えは自分の中心をガードしながら、相手に攻め込んでいくという構えで、いわば理想的な
 構えです。
  中段の構えは、そのままだと剣先が相手の喉元に向けられているので、相手は攻め込むことができません。
 つまり、守りはほぼ完璧で、相手が攻撃するには上から攻めるか、足元をすくうか、もしくは長い道具
 を使うかですが、竹刀の長さはルールで決められています。
 攻撃するには飛び上がるか、ねっ転がるかぐらいしかないので、現実的ではありません。
 
  実際には相手の構えを崩して、できた隙を攻撃するわけですが、相手が達人になるとこれが容易ではありません。
 へたに動いたり相手の剣先を牽制したりすると、逆にこちらに隙ができてしまいます。
 達人の剣先はこちらがどう動こうともこちらの喉元から離れることはないのです。なにしろ達人ですから。
 
  冗談のように言ってしまいましたが、じつは本当なのです。
 達人とよばれる彼等は、気を使って剣の方向性を確定させるので、それに引っ張られるように相手の喉元に
 剣先がついて行きます。
  気とはいわゆるキのことで、気功とか気合いとかのキです。
 体に気を流すことで筋肉の方向性とか力をコントロールします。とくに方向性を安定させるのには効果的なようです
 
  では、どうやって竹刀の方向性を安定させるのか。
  まず、自分の竹刀から相手の喉元に向って勢いよく水が噴出すると想像してみてください。
  その水はどんな時も必ず相手の喉元にあたっていると想像するのです。
  それによって竹刀の剣先は安定します。そしてその水の勢いの強弱によって安定の強弱も変わってきます。
  それと、そのことによって自分の腕が竹刀に引っ張られるということがおこるので、それを手元に引き戻す
 という作業も最初は必要になります。
 
  次に、攻撃についてですが、中段の構えの守りはほぼ完璧と述べましが、攻撃するには基本的に竹刀を
 振り上げなければなりません。
  したがって振り上げるという動作は、構えを自ら崩すという行為になります。
  ですから、振り上げる動作はできるだけ短い時間におこなわなければなりません。
  できればゼロにおさえたいのですがそういう訳にもいきません。極力早く振り上げ振り下ろすという動作になりま
 す。
 
  ではそのタイムラグを埋めるのはどうすれば良いかという話になりますが、それには相手の呼吸を読む必要があり
 ます。相手の呼 吸を読むとは相手の動けない瞬間を見極めるということです。
  ふつう人間は呼吸を吐いて、吸い始める瞬間は動くことができません。したがって呼吸を読むとは文字通り相手の
 呼吸を察知することなのです。
 
  しかしながら、そのわずかな時間の隙を攻撃するには、その瞬間に確実に打ち込むことができなければなりません
 それには一拍子で打てることが必須条件なのです。
  今回はこのへんにしときましょう。
                        2017.7  





 膀胱がんについて
 知人に数年前に膀胱がんを発症した方がいた。
 膀胱がんというのは非常に発症率が低いらしく、当時で2万人に一人と言われていたような気がする。実際にはもっと多いようなイメージがある。というのは、私自身何人もそういう話を聞いたことがあるからだ。
 とにかく、その方は会社の検診でそれを発見したとのことで、それは大変というので大病院で手術をすることになった。
 当初の説明では検査の結果、膀胱内の表層にできたものか、上部層にできたものか、筋層まで達しているのか、はたまた筋層を突き抜けて膀胱外にまで達しているのか。それを判断する為に、内視鏡で膀胱内をかき取る手術をし 並行してステージレベルを判断するとのことだった。
 結果、がん細胞の悪性度はレベル5ということだった。しかし、その折にはステージ検査はなぜか行われず、氏は気丈な人なのでその手術の一部始終をモニターで注視していたとの事だった。
 その病院では、方針として再度手術を行うということだったので、それについては、氏は疑問を抱きながらも同意した。
 二度目の手術の後、膀胱内にBCG(いわゆる弱毒化した結核菌の事で、結核予防のワクチンにも使われる)を注入し結核菌に感染させ、がん細胞を駆除するという説明だった。
 術後は、とにかく次の検査で悪性のものがさらに出たと病院から報告を受けた時に、氏はなにを言っとるんだと思ったとの事だった。
 そもそも、最初の手術の時に大まかにしか取らず、多くを残しているのを氏は確認していたので、当然レベル5のがん細胞なら、あっというまに増殖するに決まっている。 にもかかわらず、二度目の手術とはどういうことか、しかも、院内検査で判断とはどういうことか、そもそもレベル5なんてものは転移性ではないのか。
 氏は不信を抱き、転院を決意し、担当医師に告げたところ、「どこへいっても一緒ですよ」と言われたとのことだった。
 氏は、その後新たな病院に移り、BCG治療を受け完治したという経緯だった。
 問題点
 ・当該病院の手術例は発症率に比較してあまりにも多く、実績重視で無意味な手術を繰り返しているとしか思えない。
 ・最初の手術で、大幅な取り残しをした意味、あるいは意図はなにか?
 ・何故、最初にステージ検査をしなかったのか?
 ・それほどの症例を診ていながら、何故、その癌が表層性及び非浸潤性の複合だと当初より推測判断できなかったのか?意図的な可能性は否定できない。

 治療経緯
 BCG治療の経緯としては、基本的には8週間にわたりBCGを一週間おきに投与する。
 抗がん剤ほどではないと思うが、けっこうきついものだった、とのこと。
 2、3週目あたりから、結核菌による炎症がひどくなり、出血するようになる。
 その後、患部が結核菌に破壊され、剥がれ落ちて尿道より尿と一緒に排出される。
 それを繰り返し、8週間経過してすべての癌細胞が破壊されるというものである。

 なかなか、目にすることが出来ないものだと思うので、多くの方々に参考にしてもらえたらと、記しました。

 ステージ1までのものであれば、おおむね完治するようである。理論としては、結核菌が細胞を破壊する性質を持つ細菌であることに着目し、それを閉鎖されたエリアに満たすことで、 そのエリア内の癌細胞を細胞レベルで残らず破壊するといったものだと考えられる。
癌細胞そのものは異常細胞であるがゆえに、免疫を持つことはなく、結核菌の格好のターゲットとなるようである。

 しかしながら、実績重視で無意味な手術を繰り返すというのはとんでもない話で、やってるほうはいいかもしれないが、それを受ける方は多大な苦痛を受けるわけで、 ひどい場合だとそれが原因で死に至ることもあるのではないか。
 とにかく、他人の重要な部分にかかわる者は、それなりの資質が必要である。性格も含めた資質試験もするべきではないのだろうか。2017・4・12




   最近、ちょっと気になる話があった。
 近々に、なにやらどこぞの団体が主催で、月面で遠隔操縦の月面者の能力を競うレースがあるそうな。というドキュメンタリー番組をどこぞの局でやっていた。
 まあその番組自体は、メカ好きの私にとっては興味深いもので、月の探索、調査、分析を行なうものとして面白いものだった。
 そのなかで、どこかの国のそれに従属する団体が、月の将来的な資源利用を目的として興味を示し、協力を申し出たということであったのだが。
 これを見る限りでは、どこにでもあるような話のような気がする、しかし、これが地球上の事であればなんら問題はないのだが、事これが月面の事となると話が違ってくる。
 それはどういうことかというと、地球にとって、月は単なる遠いところにある天体ではないということである。それは、まさに地球環境にとってなくてはならないもので、現在の月とのバランスがちょっとでも崩れようものなら、 人間を含めた生物は多大な被害を被ることになる、おそらく存在することすら出来ない筈である。
 そもそも、そこで開拓した資源をどこへ持って行こうというのだ。地球上に持ち込んだりしても、一気にその重力バランスは崩れて、最悪の場合、月は何処かへ飛んで行ってしまう かもしれない、そうなればもうまるっきり地球上の生命は存在出来ない環境に陥ることになる。
 誰かが、その重力計算をしてみるといいと思うが、しかし、それが必ずしもそのシュミレーション通りになるとは限らない。ほとんど100%不測の事態が発生する筈だ。 つまり、こればかりはリスクを覚悟でという訳にはいかないのだ。つまり、ジ、エンド(the end)なのだ。
 地球は私たち生命にとって、かけがえのない揺りかごである。生命は脆弱で、わずかな環境変異で生きる事すら出来ない。宇宙空間では人間は生きてはいけない。それができるのは SFの世界だけだ。宇宙空間から降り注ぐ放射線を、大気が遮断してはじめて生命は存在することができる。今あるすべての条件がそろってはじめて生きていけるのだ。
 すなわち、月はタブーなのだ。一木一草この地より持ち出してはならぬ、という物語じみたタブーと同様、月より何一つ持ち出してはならない、何一つ持ち込んではならない、 という、現実のタブーなのだ。
 タブーとは何か?
 人間は信用できない生き物であるが故の、問答無用の戒めなのである。2017・4・2





 近頃、私の通っている剣道の道場も高齢化が進み、ちょっと危機的状況に陥ってきました。
 子供たちの数も以前に比べると随分少なくなりました。現在の少子化を如実に表している訳で、いかんともしがたい状況です。
 人口減少は経済状況にあからさまに反映します。というより経済状況そのままなのです。
 他国の人間から見れば、日本の経済はあきらかに衰退期に入っている訳です。しかしながら国内ではあたかもVirtualな取引が新たな経済を生み出すかのように 宣伝されています。
 そんなことはあり得ないわけで、そもそも経済活動というものは人間の活動なくしては発生しないのです。つまり人間がいなくなれば経済は消滅します。
 経済の基本は人間の活動エネルギーなのです。その対価が経済であり、貨幣はその媒体です。
 従って、基本的な活動力の高い人間、つまり若い人間が増えなければ未来はありません。
 ではそれを増やすにはどうしたら良いか、当然子供を生み増やすわけですが、その前に子供を育てる環境を整えなければなりません、しかし一朝一夕に整える事はなかなか難しい、 ならばそれをやりつつ、子供を増やす宣伝をしなければなりません。それは恋愛ドラマでも、お見合い復活でも良いでしょう。はたまたインチキ臭く扇動的な プロパガンダでも効果的なのではないでしょうか。つまらんプロパガンダより、よっぽど前向きで建設的で明るいものになるでしょう。
 
 最近、いい歳をして寝とぼけたことを言う人間が増えてきました。馬鹿げたことを平気で口にします。それは取りも直さず経験不足資質不足からきているわけで、 人間の短い人生の中で、どれだけタフな経験をするか、そしてタフで的確な思考を積み重ねるかが重要なのです。
 現代の膨大で危険な技術をコントロールする為には、いちいち目の前の事象から逃げていたのではとても追いつきません。常に前向きに経験し、思考しなければなりません。
 記憶する事が大切ではありません、単純な記憶はベースであり、その記憶をもとに思考したものを記憶し積み重ね使うことが重要なのです。その単純な記憶のなかの 最も大きなものは経験という記憶です。
 余談ですが、言葉というものは思考をつかさどる最も重要なベースですので、できうる限り子供には早く言葉を覚えさすことが大事です。ちなみにうちの娘は 生後6か月から喋っていました。なぜ大事かというと、言葉がなければ抽象的な事象を思考することはできないからです。画像でものを考えるということは犬や猫の レベルなのです。
 自国語も満足に使えない人間に、外国語を覚えさす必要はありません。2017.3.1記事
 
 

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