miiko&master's dairy
2001/4/1(日) |
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| anchanと図書館に行った。anchanは癌でもうすぐ死ぬと言って病気の本を熱心に読んでいた。私ももうすぐ死にそうと言った。二人で不健康を張り合った。 anchanはエイプリルフールをしていたのか?ミステリー。 |
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2001/4/2(月) |
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| 前日徹夜でバソコン作業したら、親切なみいこは朝まで徹夜に付き合ってくれた。キーボ゙ードの上に座ったり、書類の上に座ったり…。どちらかというと寝ててほしかったけど。明け方日が昇って明るくなってくると、窓のところにハトくらいの大きさの鳥が来て窓の手すりに止まって、チチチチ、バタバタと騒いでいた。ブラインダ状の木の雨戸があったので、陰だけしか見えなかったが。 夕方は国道11線沿いから家への道をたくさん歩いた。いつもバスや車で通っている道を歩くと、気づかなかった物にたくさん気づく。ここにこんな空き地があったのかとか、目立たないけど新しい店ができていたのねとか。畑から香ってくる満開の菜の花の独特の匂いは、春の日向ぼこのイメージそのものでのんびりした気持ちになった。畑の真中に立っている壁に蔦が這っている妖しいレストランを発見した。宮沢賢治の童話に出てくるレストランのようだ。今度行ってみたい。途中ローソンで「ペットのおやつ」というの買った。ただのにぼしに見えるが、みいこにやるとガツガツ食べていた。比較的食が細いみいこがガツガツ食べるのは珍しい。みいこのお気に入りデータに登録しておこう。いつもみいこに噛まれているのでだいたい分かっていたが、硬いものも歯はまだまだ丈夫な様子だった。 |
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2001/4/3(水) |
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| 4日の夜からまた旅に出る。最近めっきり体調が悪く年なのでもう死ぬかも…とか思うと「いっとかなきゃ」と出かけることにした。っつうてもただのライブ(4/5東京中低域「東京中低域の夜桜」というライブ。興味がある方は、ココの一番下に。多分当日券で入れるだろうとタカをくくっているけれど、大丈夫かな)だけれど、今回はいつもよりハードな夜行列車利用を計画している。無謀。みいこも旅に連れて行けたら、ジョリーみたいに二人で旅を続けて何でも二人で半分ずつができて楽しいだろうなあと思ったりした。猫はあんまり旅が得意じゃないのは残念なことです。 | ||||||||||
2001/4/4(木) |
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![]() みいこと家から1kmほどのところにある日枝神社に花見に行こうとして連れて行った。けれども花見どころでなくなってしまった。みいこが行方不明になってしまったのだ。猛ダッシュで他所のお庭に入ってしまった。「みいこ」と呼んでも返事もない。30分も呼びつづけても姿も見えず声もしないから先に帰ったのかもと思い家に帰ってみた。しかし家中探してもいない。 |
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2001/4/5(土) |
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| 4日の夜から、夜行バスで東京へ。マスクをしていくが、咳が出て寝付かれない。他にもゴホゴホいっている人も何人かいたので、あのバスは風邪菌でいっぱいだったかも。朝早くに浜松町のバスターミナルに着くが、ダルくて、歩けないので、喫茶店に入る。結構寒い日だったし気分が悪いので、電車に乗ることにした。青春18切符を持っていたのでJRは乗り放題。適当に乗ったら、横浜方面行きで、これまた適当に桜木町で降りる。駅の改札の地図を見たら、ランドマークの中に病院があると書いてあったので、そのままランドマークへ。動く歩道に乗って行く。ランドマークから見た横浜は桜の木がたくさん咲いていて、海があって、観覧車や船やパシフィコが見えて、遊園地みたいだった。元気だったら、ウロウロしてみたいがそんな力もなくランドマークの7階まで行った。7階は全部病院で何だかかっこいい感じになっている。そのうちの内科のある病院に行く。熱を測ると38.6度あった。レントゲンを撮られるが結局何だか分からないと言われ、薬だけもらう。その後も気分悪いので、どこかで眠りたいが、眠るところがないので、電車の中で眠った。 電車はどんどん知らない方へ行って、田舎の方を走っていた。途中たくさん桜の花が咲いていてきれいだった。前の席にとてもキレイな顔立ちの老夫婦が座っていた。80才くらいだと思うけど、奥さんは特にとてもキレイで、外国の昔の女優さんみたいだ。顔を思わず何度も見てしまった。おじいさんの方もシルクハットのような帽子、長髪でとてもお洒落でかっこいい。そのうち、電車に目の見えない女の子が杖をついて乗り込んできた。おじいさんはさっと立って女の子に席を譲った。他の人がおじいさんに席を譲ろうとしたけれど、「まだまだ若いから」と笑って立ったままだった。奥さんは、目の見えない女の子と笑いながら話をしている。その笑顔がなんとも言えずまた美しいので見入ってしまった。笑うまでは、眉がキリリとしてツンとした感じの美人だったのが、凄く優しい顔になってますます美しい。見た目だけじゃなくて心もとてもかっこいい二人も途中の駅で降りていった。 電車が終点まで来たので、私はまた東京の方に向かう電車に乗りなおし、東京に帰った。電車の中で眠ったのでいくらかは楽になった。次に気が付くと、代々木上原にいた。この辺は、特に観光地もないところだが、きつい靴では足が痛むので、楽な靴でも買おうととりあえず商店街を歩いた。ちょうどインポートものの靴屋さんがセールをしていたので買おうかと見ていたが、熱のためか、ギックリ腰のようになってしまいそれどころでなくなり、また電車に乗った。かなり時間はあるが目的地である赤坂に向かった。ライブのある赤坂グラフィティというところを知らないので探しておかなければならない。でも地図どおりに探したらすぐ見つかってしまった。チケットも当日券を買ったし仕方ないので、ご飯を食べたり、コーヒーを飲んだりして時間をつぶした。東京中低域のライブはちゃんと椅子があったので、とりあえずほっとしたが、最早ここで死ぬと思うくらい体調悪かった。ライブが始まる前に既に1日3回しか飲んではいけない薬を4回飲んでしまっていたので、もうこれ以上飲めないので咳止めの薬を必死で舐めていた。薬は飲んで1時間くらいはよく効いた。それでも咳が出るので、演奏中に咳が出ないようにこらえるので精一杯でライブを楽しむ余裕は全くなかった。東京中低域(以下「東中」)はバリトンサックスばかり9本、しかもおじさんばかりのグループで、水谷紹さんと、矢口博康さんがやり出したものだと思われる。数年前見たときには水谷さんはバリトンサックスを矢口さんに習い始めたところだったと思う。その時にはまさかこんな大掛かりなことを始めるとは思わなかった。高野寛さんがプロツールという高い最新機材を買ってそのバージョンアップだけで50万くらいかかると言うと、バリトンサックスが買えるといって、仲間に引き入れようとしていた。バリトンサックスという楽器はよく分からないが、なんか人の声のようで、吹く人によって全然音も違うし感じも違う。水谷さんのように味で勝負だってできる楽器だ。やはり上手なほうがいいには違いないが。高野さんは、ゲストで参加するにあたって、ギターやカリンバを持ち込もうとしたらしいが、ルール違反ということで取り上げられ、歌だけで参加していた。高野さんは最近歌うとき客の目をじっと見る。自信の表れかもしれないし、何かメッセージを伝えようと必死で表現しているようにも見える。そんなときいつかライブで「死ぬまで歌い続ける」と言ってくれたときのことを思い出す。力強いけれど哀しみに満ちているようにも見える。自分の心のせいかも知れない。 苦しいうちにもあっという間に、ライブは終わった。矢口さんが歌ってたのが意外だった。とてもかわいく見えた。水谷さんは案外あんまり喋らなかった。変なことを言い出さず、残念だった。それにしても高野さんは、赤いパンツと赤い花柄のシャツのワイルドなスタイルだった。 その後、無謀にも夜行列車で帰った。生まれて始めての夜行列車は地獄のように感じた。ほとんど眠れなかった。家に帰って3日ぶりに横になって眠れたとき、ほっとした。熱は39.3度になっていた。 |
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病気の日々 |
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| 「インフルエンザの手遅れ」の状態のため、苦しんでいる日々。 | ||||||||||
2001/4/13(金) |
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2001/4/14(土) |
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2001/4/15(日) |
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| anchanちのたけちゃんことヤマトタケル君が近所の土手に来てるというので、みいこを連れて会いに行った。たけちゃんは犬なのでみいこはフルフル震えてすぐうちの方向に歩いていってしまうので、すぐに家に帰った。みいこの信用をまた失ってしまった。 みいこにひどいことをしたせいか、みいこの夢3本立てを見た。そのうち一つは、みいこと温泉ホテルに泊まるという設定だった。それでみいこがホテルのフロントの高そうな革のソファに爪を立てて穴を開けてしまう。そしてみいこと温泉へ。という夢だった。後は忘れてしまった。 |
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2001/4/16(月) |
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| 先月、たけちゃんち(人間のほう)にみいこと訪れたときのレポートをたけちゃんがまとめて、ファイルを送ってくれた。たけちゃんありがとう。ちょっとだけ治したけどほとんどたけちゃんが作ってくれました。見てください。ここをクリック。 | ||||||||||
2001/4/18(水) |
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くもりだ。水不足だそうだから、たまには雨が降るといいな。
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2001/4/19(木) |
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2001/4/20(金) |
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味付け海苔(みいこの好きなメーカーは地元の「大野海苔」)を見ると猫格が変わるみいこ。なぜ目に星が出るんだろう。いつものことだが本当に出てしまうのが凄い。これを見ると猫にも明らかに表情というものがあることが分かる。しかもとても分かりやすい。この顔は海苔の他では見ることができない。すべての猫は大野海苔が好きなのかどうかわからないが、大野海苔では味付け海苔の味付けにエビなどを使っていることを今日海苔の空き箱をじっと見て気づいた。この味付け材料が、みいこがメーカーを限定する原因ではないかと考えられる。しかし、エビそのものではみいこのこのような顔を見ることはできない。やはり海苔も大事な要因であることは明らかであろう(資料「にゃんこの味付け海苔の嗜好性と味付け原材料の相関関係についての考察」より抜粋)。 |
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2001/4/21(土) |
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2001/4/22(日) |
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ご近所猫さんレポートその1〜お母さんまだまだ若い風貌をしているが、とてもでかい猫のお母さん。野良さんである。今朝、お母さんは自分の5倍もありそうな大きな犬とにらみ合いをしていた。ガンの飛ばし合いといった緊迫した雰囲気だった。逃げていったのはなんと犬のほう。一見華麗にさえ見える華奢な体に似合わぬ豪傑である。犬と見れば震えているみいことは大違いな勇敢な姿に感動。特別にお写真を掲載することにした。しかしごく目と鼻の先に住まいながら、みいことは何の関係もなく生きている。ケンカ猫みいことも争わない。野良の中で子供を育ててきたという苦労猫だけあって猫格ができている。 みいことはなんの関係もないと書いたが、みいこと死闘の末、姿を消した巨大黒猫につきまとわれていた不幸な過去もある。現在は、柄のよく似た新しいだんなさんと、3匹生んだクロ、ミケ、白のうちたった一匹生き残ったミケ(誰に似たのか長毛でゴッツイ体つき。多分オス)と3匹で仲良く穏やかに暮らしている。(追加コメント 後にオスだと判明。お母さんはミケの奴でした。あまりに可憐なので勘違い) |
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2001/4/23(月) |
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2001/4/24(火) |
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少しの雨が降ったりやんだり。また家庭菜園に行く。今日も天使猫には会えなかった。写真は小鳴門大橋。渡し乗り場に続く桟橋から撮影。渡しに乗ると夏ならば2メートルもありそうなクラゲが見える。 「猫収集」と「花収集」を趣味にしようと、コーナーを増やした(注5/16に2つのコーナーは整理のため閉じました) 。収集といっても実物ではない。写真。同じくメニューのtsubuyakiから「たけちゃん日記」へもいけるようにした。たけちゃんシリーズが続々登場するはず。 |
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2001/4/25(水) |
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くもり。徳島公園に行くと、藤の花が咲いていた。藤の下に行くと、とてもいい匂いがした。藤の花がこんなにいい匂いだとは今まで知らなかった。ラベンダーの香のように爽やかでより柔らかな香。新製品を考案中の芳香剤メーカーにも「藤の香り」をオススメしたい。 |
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2001/4/25(水) |
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| 夜9時30分過ぎ、あまりにも突然にみいこは死んでしまいました。朝も散歩に行って、いつものようにバリバリ爪をといでいました。ご飯もたくさん食べてました。最後まで元気に楽しく暮らしていました。 19時ごろ、コタツの上で寝ていたみいこが突然痙攣し、泡を吹き、苦しみ始めました。すぐ病院に連れて行きました。検査に一時間かかると言われ、一時間後に看護婦さんが家まで呼びに来てくれました。人間でいう、心筋梗塞で、100%朝までもたないと言われました。迷った末、「安楽死」を選びました。家に抱いて帰る腕の中でみいこは落ち着いて、そして玄関に座り込んだ私の膝の上で安らかに息を引き取りました。涙は止まりません。でも、まだ寂しさや哀しみの実感はありません。本当の寂しさはこれから来るのかもしれません。しかし、家族や病院の記録では18歳という猫生をみいこは一生懸命生きて来ました。そしてその間、私はみいこのぬくもりに支えられていました。だから「ありがとう、最後まで楽しかったね。よかったね」とみいこに何度も言いました。 死はみいこの上だけでなく、生きているもの全てに訪れるものです。みいこほど、生き生きと生きた猫はいないと思うからみいこの死も生も大切に覚えていたいと思います。 まだまだ、みいこのことで自慢したいことがたくさんあります。またみいこに会いに来てください。 |
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2001/4/26(木) |
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みいこを家の前の駐車場の隅っこにあるビワの木の近くに埋葬しました。みいこが散歩に行っていた畑もよく見える、日当たりのいいところです。ゴミ置き場のすぐ側でキレイなところではないけれど、決めてしまうとココが一番だと思えました。家の側に埋めてもいいと母が言い出してくれることは殆ど思いもよりませんでした。哀しい中にもみいこと側にいられるのが嬉しく思いました。みんなみいこが大好きだったと改めて分かりました。大きな石がゴロゴロでてくる硬い地面を交代で掘りました。ぐったりするまで掘りました。ワザと泥だらけになってみたりもしました。私も入れるくらいの深い穴になったので、入って土のやわらかさを確かめたりもしました。穴を掘り終えるとみいこにしてあげられる最後のお世話は終わってしまうようで寂しくなりました。みいこは昨日の夜はわたしの部屋で過しました。とても眠れないと思いました。涙が止まりません。みいこをじっと見てみいこのスケッチをしました。みいこを隅々まで忘れないようにじっと見つめました。死んでいてさえ、かわいくて、みいこの顔を見ているといくらかココロが和むのが不思議でした。書き終わると気持ちがいくらか落ち着いてきて眠りにつくことができました。みいこの声に呼ばれたように思って朝目覚めました。でもみいこは昨日の夜と同じ姿勢で発泡スチロールにタオルをしいて横になったままでした。玄関に降ろしました。眠っているようにしか見えないので、みんななかなかみいこを埋めようと言い出しませんでした。できることならば、いつまでも見ていたい、触っていたいと思いました。最後のみいこの写真を撮りました。穴を掘り終えて2時間くらいしてようやくみいこを埋葬することにしました。みいこの好きだったフリスキーモンプチのシーフードミックスや、大野海苔も新しく買ってきていれました。みいこが水を飲んでいたコーヒーカップなども一緒に入れました。いつもみいこが食べていた猫草やみいこが昨日匂いをかいでいたタンポポの花もつんできて入れました。たけちゃんちや土手に散歩に行くのに使ったリードもみんな入れました。みいこがいつも爪をといでいた朽ち木の側に落ちていた木切れも拾って上に置きました。みいこに色々なことを話して、さよならを言いました。長い時間そこから離れることができませんでした。 写真の青いビー玉と水色のビー玉の下にみいこは眠っています。みいこはキレイな目をしていました。どんな宝石よりも美しい目をしていました。その瞳の虹彩の色と外側の色はちょうどこのビー玉の色でした。穴を掘っているときに出てきた2つのビー玉を見たとき、みいこは最初からここで眠ることを決めていたかのように思えました。花でも植えてあげようか、汚い周辺も片付けてあげないとなとまだみいこにしてあげられることを探しています。 |
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2001/4/27(金) |
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| 今日は、みいこのお墓の周りを片付けました。そして時々休んでインターネットを覗きました。たくさんの人がみいこと私のために言葉をかけてくれてました。会社を半休してしまうくらいみいこの死を悲しんで一緒に泣いてくれたしっぽなさん始め、多くの優しい人たちの存在、思いやり、気持ち、経験談やそれぞれの言葉ひとつひとつに力づけられました。一日中外で体を動かし、みいこのお墓に様ざまな気持ちを話し、多くの人の励ましを受けて、涙を止めることもできない衝動のような哀しみも、ゴミをおおよそ片付けて終わった夕方には、いくらか制御できるようにまでになりました。昼には、ご飯もたくさん食べられたし、夜にはコタツに座ってテレビを見ることも出来ました。 朝から夕方にかけて、みいこのお墓周りを掃除している間、死ということについてもたくさんのことを考えました。 出来の悪い飼い主のために、見守りつづけてくれたみいこは尊敬すべき存在でした。みいこのようになるにはまだまだ修行が足りません。 夕方、anchanが習い始めたばかりの日本画教室のお誘いに来てくれ、日本画教室に行きました。随分遅刻だったので、他の人の作業を見ているだけでした。みいこの絵をきっと描こう。みいこが満足してくれるように上手に描けるには、何十年もかかるかもしれないけれど。 今日もまた日向ぼこびよりの雲ひとつないいい天気でした。 |
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2001/4/28(土) |
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| 世間ではゴールデンウイークが始まり、近所の田んぼに水が入りました。 みいこは何故だか稲の間に入っているのが好きで、何時間も出てこないで私を心配させたこともありました。変わったやつでした。年より猫になってからも散歩大好きだったけれど、若い頃は私が歩いて出かけようとするとどこへでも着いてこようとして困ってました。たいてい途中で帰らせたけど、一度は母と私の散歩に着いて来て、吉野川大橋という1キロ以上ある長い橋を一緒に往復したこともありました。吉野川大橋に行く途中で興味あるものがあるとヨソミして、私と母が遠くになっていると、あせった顔して「にゃわわわん」と犬みたいに追いかけて来るのがおかしかった。吉野川大橋の真中では、身を乗り出して、遠くにある水面を眺めたりして。 初めて家に来たときは、野良猫で、自分から2階の弟の部屋に上がりこんで寝ていました。幼少時のトラウマで猫が怖い父がいるので当然何度も追い出されました。しかし気づくと、またそこで寝ていて、母に車で1kmほど離れた神社まで捨てに行かれました。でもみいこは近所のおばさんと話込んで帰ってきた母より先に家についていました。母は何回もチャレンジしたけれど何度もみいこは帰ってきて、いつしか「みいこ」と呼んで家の一員になっていました。母は本気になったらもっと遠くまで連れて行ってただろうから、きっといつの間にか、家族みんながみいこの魅力にはまっていたのだろう。後々になって、近所の人に「よくみいこちゃんが昼寝しにきてるよ」と言われて恥ずかしいこともあった。どこまでもずうずうしい奴だった。 人懐こいみいこは、お客さんの声が聴こえると、寝ていてもワザワザむっくり起きて階段を降りて玄関に出て行った。そしてできることならお客さんの膝に座ろうとした。多くの背広姿の銀行員のお兄さんなどに座っていた。きっと毛が背広について迷惑したろう。きっと「かわいいね」の言葉とナデナデを求めていたのだろうと伺われる。いつも私にもそれを求めていた。ひょっとすると、いい人見つけて連れて帰ってもらおうとしているのではみいこを疑ったことさえあった。 みいこは本当に死ぬまでに二回、死にかけている。爪が脚に巻き込んだときとケンカによる大怪我。二回とも近所の動物病院で命を助けてもらった。その他、耳ちぎれそう、しっぽちぎれそうなどと、若い頃の(いや、ほんの最近まで)ケンカの怪我は絶えず、病院に随分お世話になった。家から2軒先に動物病院ができたのは、みいこが来てからで、こんなに近くに病院がなければ、もうとっくに死んでしまっていたかもしれない。 みいこの思い出は、みんな笑える。本当に猫だったのか。どこから来てどこへ行ってしまったのか。 みいこは祖母が亡くなったとき、捨てられそうになったこともある。人が死んだとき猫がいると家の者が続々と死ぬとかいうデタラメなことを近所の人に言われた母が実行しようととたからだ。私は家族とさんざんケンカした挙句、家出を実行した。「みいこを捨てるなら、みいこと一緒に私も出て行く」と行って家出した。学生の頃。一日友達の家で泊まっただけで私とみいこが勝利した。 本当いろいろあった。おふざけモードになると、猫キック、猫パンチ、鋭い牙で乱暴した。まだ、この右手にみいこのつけた傷がうっすらと残っている。 今日は、お墓の横に花を植えた。 |
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2001/4/29(日) |
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| 雨なので今までのように一日中、みいこのお墓の前で過すことができない。昨日は母の隣に布団をしかせてもらって久々にぐっすり眠った。小さな子供と何にも変わらない。まだ、みいこのいない2階で一人で眠れない。行くことができない。弟がいるとなんとか居られるんだけれど。みいこが苦しみだしたとき、母も弟も出かけていて、弟はみいこをみとることができなかったので余計ショックだったろう。みいこが苦しんでいる顔は家族では私しか見ていない。(ここから、みいこの死んだときの詳しい描写になります。何かの役にたつかも知れないという思いから書きましたが、ありのまま過ぎるので、哀しく、不快な描写も含まれています。誰かを悲しませるためには書いたのではありません。どうぞ、リアルな死の描写などに耐えられない普通の方は、飛ばしてください。)読む方はココをクリックしてください。 たくさん童話を読みました。「葉っぱのフレディ」の内容は多分読んだことあるはずでした。多分一読して分かったような気になっていました。でもしっぽなさんに勧めてもらって初めて読んだように感じました。今日童話って、すごくよい詩の一篇を取り出して優しい絵と写真で飾った素敵なものだと初めて気づきました。ちょっとした言葉が深いので、大人でも全ては一度には理解することはできない、本当哲学書のようでした。この本に書いてある生と死の意味を私はまだ本当には分かっていないと思いました。私は死ぬことは怖くない、むしろ生を怖く思うような人でした(多分今も)。死ぬとこの青い地球に戻るというのが私の考えている死の意味でした。それはちょっと一見素敵そうだけれど、青い星に戻ってしまえば、個としての私は消えてしまいます。もし死んでしまえば「私」としての自由を永遠に失うと思っていました。 笑ったのは「100万回生きたねこ」という童話でした。これも何度も読んだはずなのに、初めて読んだ感覚でした。100万回死んで、死ぬたびに飼い主は泣き悲しむんだけど、そのたびのねこの感想は「きらいでした」と「全然かなしくなんかない」んです。みいこが死んでしまってから初めて本気で笑いました。弟に見せると弟にもウケて「みいこも嫌いでしただったかも」「そういえばイヤそうな顔をしていた」と言って二人で笑いました。こんなのがおかしいなんて自虐的かも知れないけれど、そんなたくましい精神を持っていそうなみいこだったので。そうであったら愉快だと思いました。母にはあいにく、このジョークは通じず、「みいこはmのことが好きだった」と言い張っていました。 後、「魂のいちばんおいしいところ」という谷川俊太郎さんの詩集を買いました。これは初めて見ました。まだ途中です。詩なんか読む人間ではなかったんですけれど、今は一生懸命に書かれたものしか読みたくなくて、これはそんな気がしたから選びました。 みいこのお墓の周りを花だらけにしてやろうと花の種を買ったら、忘れていたけどみどりの日だったのでおまけがいっぱいついて来てしまって植える場所に困るほど。みいこにも傘さして絵本読んだげたけど、「花や本は興味ないんにゃ」と言われそう。 |
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2001/4/30(月) |
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| 朝4時に目が覚めて、昨日考えてた「葉っぱのフレディ」をもう一度読んだ。ちょっとだけ分かった気がした。昨日私は死んだら地球に戻ると考えていたけれど、「葉っぱのフレディ」を見ると私は今は生きて動いていて地球に反逆する自由もあるけれど、私は今だって地球なんだという考えが浮かんでちょっと不思議な気分で、そうかもと思った。 今日は一日遊びに行って、グリ妻やanchanやたけちゃんと会った。映画に連れて行ってくれたり、うどんを食べたり面白い話を聞かせてくれたりした。いつもと同じように楽しく接してくれた。たけちゃんは朝私がいないときに来てみいこのお墓参りをしてくれていた。みいこに大野海苔とみいこのかわいい写真を持ってきてくれていた。みいこもう大野海苔食べ放題でフガフガ喜んでるはず。 |