(読む前に)今生きているかわいいにゃんこちゃんが元気でいるために、このみいこの死で、何かわかるかもしれないと思い、ペットと生活していく上での何かの参考に、ペットの病気を治す研究のためにでも役立ててくれたらと書き留めておくことにしました。不快な表現、深くお詫びいたします。これを書いている今の私は、まだ普通ではないのです。

その朝もみいこをいつもの畑の中の切り倒された木の上にぴょこんと乗せました。みいこはそこで、いつものように爪をといでいました。いつもならもっと遠くも行くのだけれど、寒いから帰ろうとみいこに声をかけたけれどいつまでも日向ぼっこしていたので私は先に家に帰りました。しばらくするとみいこは帰ってきました。母を恐れているので、母が脱衣場でいる間は窓の外で待ってて母がいなくなると急いで入ってきて、ダダダダと走り2階の部屋に行きました。2階の弟の部屋のコタツがここ数ヶ月のみいこの定位置になっていました。夜眠るのもちょうど一ヶ月くらい前からそこになっていました。昼も夜もつけっぱなしのコタツの中か、外かで居ました。その前までは私が苦しくても同じ布団でくっついて寝ていたのに、今思えば何かみいこは異常を感じていたのかも知れません。

それから私は一人で出かけました。徳島公園でデジカメでキレイな藤の花や緑の写真を撮り、駅前で買い物をしました。徳島公園で私はニワトリの死体を見てしまいました。公園にいる野生のニワトリで、犬に殺されたようでした。帰りにはもう片付けられていました。帰ってきてホームページに早めの日記を書いて、何だか気分が悪くなったので自分の部屋で眠りました。目が覚めて弟の部屋に行くとみいこはいつみのように弟の部屋で弟とコタツにいました。みいこをなでて弟と少し話しをした後、弟はでかけて行きました。私はまだ気分が悪く、寒かったので弟の部屋でコタツに入り寝転びました。少しして私はコタツの上の弟のパソコンを触っていました。みいこはコタツの天板の上にあがってパソコンの前にデンと居座りました。いつもと同じでした。けれど、いつもと違うことが起こりました。みいこが突然バタバタとコタツの上から下に転げ落ちました。そして横になってのたうち、苦しそうに脚は何かを蹴るようにもがき、口からは洗剤の泡のような白い泡を吹き出しました。私はすぐその泡を救って食べました。何か悪い物を食べて吐き出そうとしているようにも見えたからです。でもその泡は何の味もしませんでした。多分悪い物を食べたのではないもっと悪い何かかもと私はそれで思いました。水を飲めば楽になるかもと一階に抱えて水のコップの前にみいこを連れて行きました。飲まないので指に水を浸してみいこの口に浸けてみました。でもみいこは水を必要としているのではないようでした。クルクルと右回りに回りました。私はみいこを抱き、30秒後には動物病院で説明をしていました。「検査するので1時間後に」と私は家で待つように言われました。一旦家に帰りました。もう、心配で、じっとしていられなくなり、普段ろくにしないのに洗濯物をたたんだり、布団をしいたり、お風呂を洗ったりしてついに何もすることがなくなって、みいこのことを神様にお願いして祈りつづけました。「みいこを守ってください」「みいこが苦しみませんように」と祈っていました。みいこと遊んだ八坂神社の神様にお祈りしたけれど看護婦さんが呼びに来てくれたときにみいこを連れてきてくれてないことから、みいこは良くなっていないのだと悟りました。病院で奥に通され酸素の装置の中にいるみいこはいました。空気のない宇宙に放り出されたように泡を吹き続け、泡だらけで毛がびしょぬれになり、苦しんでいました。悪い物を食べたのではなく、心筋炎という人間で言う心筋梗塞であること、心臓が詰まって酸素が体に周らず、もう助ける術はないこと、100%朝まで持たないこと聴きました。肝臓も腎臓も異常はないとも聴きました。家に連れて帰るか病院で置いておくかどちらかの選択をしなければいけなくなりました。私は涙で何も返事できず、ただみいこを見続けていました。名前を呼んでも目の前にいる私のことも目に入っていないようでした。目も口も見開いていました。私には判断できませんでした。9時が過ぎていました。今考えるとじっとみいこを見て泣いていた時間は、私が思うより長かったようです。そっとしておいてくれたお医者さんがもう一度尋ねました。私はもう一度どうしても100%朝まで持たないのかともう一度聴きました。お医者さんは100%持たないと繰り返しました。私はそれでもどうしてやればいいのか分かりませんでした。みいこの性格から言えばまだ生きる気でがんばっているのは明らかです。しかしそれは無理と、1%の望みもない。そこで安楽死の提案がありました。私の真っ白な頭では何も判断できませんでした。「この酸素の部屋でいればみいこは楽なのか」とお医者さんに尋ねました。酸素100%だから外でいるよりは楽だと聴きました。楽といっても目の前のみいこはもがき苦しんでいるのです。その時の私の心は、とにかくみいこが少しでも楽になれるようにと考えて朝までそこに置いてもらうことに傾いていました。もうそろそろ、母も帰ってくる予定の時間でした。私は「家族と相談してきます」とまた家に戻りました。しかし、母も弟もまだ帰っていませんでした。父は安楽死してもらうようにと言いました。私は母を待ちました。けれども10分たっても帰ってきません。仕方なく病院に戻りました。病院はもう真っ暗になっていました。そこで私は気づきました。病院でいるということは誰もいないあのまっくらな病院の酸素の装置の中でみいこは外界よりは長く生きられるかも知れないけれど、もがき力尽き死に、朝来た看護婦さんに死体を発見されるということなのです。そしてみいこの青い目は赤くなっていました。もうきっと酸素が目にまで周っていないのでしょう。卑怯にも「父は安楽死と」とだけ伝えました。「それがいいと思う」とお医者さんはいいました。5分くらいですうっと息を引き取るからと注射を打ちました。みいこは眠ったように静かになりました。私はみいこを抱いて家に帰りました。途中で母に会いました。母は「安楽死なんかどうしてさせたん。しなかったらいけるのに」と怒りました。みいこを抱いたまま、私と母は玄関に座りこみました。みいこは静かに眠っていました。内臓の動きが私の手に伝わっていました。みいこはまだ生きていました。泣きながらみいこを抱いてなでていました。そして5分くらいしたとき、みいこの内臓の動きは全て止まりましたがしばらくは暖かい体を撫でていました。母が発砲スチロールの白い箱を準備してくれ、みいこをそこに寝かせました。

私の判断が何か一つ違っていたら、条件が何か一つ違っていたら、行動が一つ違っていたら、みいこは今も生きていたかもしれません。けれども、何か違っていたら逆に今までいないかも知れないと言い聞かせています。みいこの定まってしまった運命に後悔することは許されないことのような気がするのです。でもこれからがある猫ちゃんには何かの参考になることもあるかもしれないから。

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