2003年5月10日(土)
屋根の上の猫
屋根の上の猫。みいこは屋根の上で寝るのも好きでした。田んぼも好きでした。こころなしか写楽風?に見えないこともない。

こどもの日、自転車に乗り、文化の森にでかけました。その日は偶然文化の森の脇にある猫神さんのお祭りの日でした。お祭りといっても出店などはでてなかったのですが、私は呼び寄せられるようにふらふらと神社の階段を上っていきました。

猫神さんはかつて行ったときとは違ってすっかり改装されていました。「君が代」に出てくる「さざれ石」もあり、これが徳島の神山でだけとれる神のよりしろになるもんだということとか、猫神さまの由来とかを見て、興味を持ち早速図書館で郷土史本を開き、調べてみました。猫神さんは受験の神様とだけしか思っていなかったのですが、猫の伝説が残っていました。お松大権現と王子神社の猫神さまのことは私が書かなくても結構研究しているがネット上にもいるのでここではおいておきます。願いごとがなんでもかなうというので、はっちゃんのことをお願いしてきました。今考えると、なんでもというなら、もちょっと欲深くあれもこれもあんなこともお願いしとくべきだった・・・と激しく後悔。

郷土史の本をぺらぺらとめくっていると、東洲斎写楽の墓が眉山のふもとの寺にあるというのでのぞきにいきました。写楽の版画はさすがに有名なので見た覚えはあるけれどもまったく人物については知らなかったのですが、わずか活動暦が10ヶ月でその後姿を消した謎の人物だそうで専門家の間では喧々諤々いろんな説があるようです。阿波の蜂須賀公お抱えの能役者という説は一番有力な説だそうです。それもどうだか今になっては分からないし、そうだとしても八丁堀ずまいなのに墓が徳島にあるっていうのはなんとも怪しいかもしれないと思ったけれど、分骨ということもあるしとにかくみいこの絵のことをお願いしておきました。考えてみればめったに描かないのに、進歩を望むほうが無理かもしれないので、神頼みと浮世絵師頼みをしておきました。

そして図書館の帰りにふらりと立ち寄った100円ショップで、キャンバスが売ってたので、絵を描く障害のひとつになっていた画材が高いという条件もクリアできたのでした。

みいこが死んだとき、忘れてしまうことを恐れて急いで絵を描いたけれども、今になって分かることは何年たっても忘れてしまうことなんか何ひとつないのだということです。そういうものだったのです。

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