園庭の石段からみた情景〜園だより11月号より〜 2008.11.24
<僕の贈り物>
 寒い日に加え雨風の多かった11月、冷たい雨の日などにはお部屋遊びでしのぎながらも子ども達は鉄棒、フラフープ、マット運動に跳び箱と気持ち良さそうに身体を動かして遊んでいます。新しく買った遊具がこれ見よがしに運動会でお披露目され、その後は一年お蔵入りなんていうのはよくあることですが、お母さん達ががんばった夏のバザーの想いがそこに込められているようにこれらの遊具は今も子ども達を惹きつけています。

 『子どもへのプレゼントは子どもが欲しがる物を与えるのではなく、大人がその子のためになるようにと思い願うものをあたえるべきだ』、前にも引用した何かの本で読んだ言葉です。ただただ物質として与えられたものは子ども達の心に一瞬のトキメキを与えてすぐに燃え尽きてしまいます。そう、物も心も消費されてしまうということ。だから今の子ども達はゲームのソフトを何十と持っていても「まだ足りない」、「もっと新しいものを」と次々に消費を繰り返して行くのです。
 一方で大人の想いが込められた贈り物は本当のプレゼントとなりうるのです。『もの』ではなく本当にプレゼントしたいのは『その想い』の方だから。だからお母さん達が「子ども達のために」とバザーでがんばり、僕達が「子ども達のために」と一生懸命考えて選んだこの遊具達に今もその想いがいきづいているのです。最初は運動得意な子ども達が喜んで飛びついていたこれらの遊具、『苦手ちゃん』はちょっと遠巻きに見ているようなところがありました。でもこの秋の季節を経て、いろんな運動遊びを子ども達に紹介し、クラスの時間などでみんなと一緒にやってゆく中で「私にもできるんだ!」というほんのちょっとの自信を手に入れた子ども達、その子達が今頃になって自由時間に自分から鉄棒に向って練習をしているなんて姿を見かけるようになりました。これは本当にうれしいことです。

 その子が『喜ぶか喜ばないか』を基準に考えたら、きっと与えられた時にはこれらのプレゼントはうれしくなかったと思います。いえそれ以上にできる子をうらやみ、できない自分に劣等感を与える忌まわしいものにさえ感じられたかもしれません。でもそういう子にこそがんばるきっかけは必要だったのです。がんばれる対象を目の前にポンと置かれた子ども達。それに対して僕は「みんなでこれが出来るようになるまでがんばろう!」とは言いませんでした。無理やりやらしてまで『出来るようにする』ことがこの子達への『願い』ではなかったからです。「『出来るようになりたい』と願う心、そしてそれに向ってがんばれる心をこの子達の心に灯してあげたい」、それが子ども達への想い、僕達からのプレゼントだったから。だから鉄棒などもみんなで時々やりながら、その子も一緒に励ましながら、「私もやりたい!」と思える心をくすぐるように付き合ってきました。そのアフターケアーも含めてそれが子ども達へのプレゼントだと思ったから。
 いまこうしてその想いが少しでもこの子達の心に届き、子ども達がそれに応えてくれたこと、うれしく受け止めています。想いをプレゼントするということはそういうこと。ただ大人のエゴを押し付けてしまうことと背中合わせの危険はあるのも事実。だからこの子達のことをどれだけ真剣に考えられるか、それがこのプレゼントの一番大事なところなのです。ものと言う『ハード』だけではない『大人の想い』と言うソフトと『のちのちまでのお付き合い』というメンテナンスを全部ひっくるめたプレゼント、それが本当のプレゼントなんだと今回のことでこの子達から教えてもらいました。子どもは大人の先生なんですよね。

 もうひとつ、雨の日のお部屋では音楽好きなすみれさんの面白遊びが僕の目をひきました。僕がピアノに向ってぱらぱらと弾いたメロディー、その子達が寄ってきて「それ教えてください」と言うのです。手には自作のノートと鉛筆。「ミミミーミミミーミソドレミー」と教えてあげるとそこに「みみみーみみみー」とひらがなで書き付けて行きます。「おー、耳コピー、口コピーしてる!楽譜起こしまでやってる!」と大いに感動してしまいました。本来なら五線譜で表さないとリズムや音の長さが分からないので音楽的には「そんなのダメ!」なのでしょうが、この子達の想いがうれしかったのです。ピアノは「教本通りひかなくちゃ」が基本、でもそれだけでは楽しくないでしょう。それがきちんとできる一部の子はそこから楽しくなってゆくのでしょうが、そこに行くまでにイヤになってしまうのがほとんどでしょう。ピアノを習っても大人になるまでやる人ってなかなかいないのはそういう理由。「自分には才能が無い」とそのレベルまで行って挫折してやめる人などほとんどいないはず。そう『音楽』は楽しくなければできないものなのです。だって自分の楽しい想いを表し、表現するのが『音楽』なのだから。
 「自分が好きな曲を弾きたい」その想いは何よりも尊く力を秘めたもの。そのための練習や努力ならこの子達、決していとわないでしょう。そのひらがな楽譜を見ながらオルガンに向うその子達。その曲がすぐに弾けるようになりました。さすがのすみれ女の子でした。想いは力なりです。

 このように自分からがんばれる、好きなものに取り組んでいける心はこの子達の宝物です。この想いがいつも心に灯っていれば、この子達はどんなことにも挑戦していける子どもになれるでしょう。僕達はそんな心を育んでいきたいと思いながら毎日子ども達と向き合っています。それがこの子達への『僕の贈り物』なのです。


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