園庭の石段からみた情景〜園だより2月号より〜 2009.2.22
<誰が生徒か先生か>
 二月に入ってすぐ暖かい日が続き、「もう春、もう春」と心浮かれていたのもつかの間、後半は寒い日に見舞われまた身を縮こまらせて過ごした、そんなひと月でした。三寒四温とはよく言ったもので右肩上がりの直線グラフのようには行きません。ぐんと上がってちょっとへこんで、まるで子ども達の成長の過程を思わせる季節の移り変わりに、「自然ってそういうものなんだよな」と改めて自然の摂理を感じさせられます。ぐんと上がるから一休み、へこんだ分を反動にまたぐんと伸びるこの姿、トルク一定でぐんぐん巻き上げて行く機械と違って、人や自然はそんなメリハリによって先に進んでいく推力を得ようとしているのかもしれません。でも行ったり来たりしているようでもこの時節、春に向ってすべてのものが大きな流れの中で動いているのは確かです。そんな大きな流れをゆったり捉えながら、その中に顔を見せ始めた春の足跡を、自然の一部である子ども達の成長の跡を見つけていきたいと思う冬の終りです。

 自由時間の外遊び、すみれの女の子達が縄跳びをしていました。さすがすみれ組ともなると上手に上手に跳んで見せてくれます。「かぞえてー!」と言う声にこちらも跳んだ数を数え出すのですが、なにせ5回や10回でかわいく終わるばら組なら「10回!やったー!おめでとう!」でいいのですが、50回も100回も跳ぼうと言うすみれさんに付き合うのは一苦労。それでも自分の成長の跡を定量的に評価したい子ども達の想いを汲み取るために、毎日50も60も何十も、縄を跳んだ数を声に出して数えています。
 それを見ていたもも組女子。「私も!」と縄跳びを持ち出して「ぴょこ、たん!」、「ぴょこ、たん!」と跳び出します。そういえば秋以降クラスの時間には縄跳びをやっていないもも組なのですが、こうやって気が向けば自分達で縄跳びを取り出して自主練習に励んでいます。人のやっているのを見てやりたくなるのか、出来る気がしてくるのか、その辺はこの子達らしいご愛嬌なのですが、いずれにしても「やれ!」と言われてやるのではないこの子達の心意気に「おー、やってる!やってる!」とうれしい目線を送っています。
 その横で黙々とやっていたのがばら組の子。ばらさんは跳べたら『がんばりましたシール』がもらえると言うのでみんなそれを目指してがんばっています。縄を回す腕と縄を跳ぶ足の動きが直結している男の子。頭の真上から最高速で縄を振り下ろしバネ仕掛け人形のようにぴゅっ!ぴゅっ!とやるのですがどうしても縄を跳び越せません。『腕の始動に対して少し早めにジャンプして滞空中に縄をゆっくり送ってやれば跳べる』というシーケンスを体得するのが至難の業のようです。それを口で言っても伝わりません。ただひたすら自分の流儀でぴゅっ!ぴゅっ!を繰り返し見事に毎回引っかかっています。それでも彼はあきらめません。毎日毎日ぴゅっ!ぴゅっ!を繰り返します。それがあるとき突然何の拍子かぴょん!が出来たのです。うれしそうな男の子。得意になって何回も跳んで見せてくれます。理論やノウハウを聞いて器用にやってこなす子もありますが、この子は自分で『ぶつかって、ぶつかって』を繰り返し、その自分の壁を自分でぶち破ったのです。こういう子は強い。言ってみれば不器用なのかも知れませんが、こうした『突破力』、きっとこれからの彼の心の糧になってゆくでしょう。
 そんなクラスメイトを横目にシールが欲しい男の子。「ねえ見て見て!」とフラフープを持ってきて跳んで見せます。「ほらできた!」と言う彼に笑ってしまいながらも「先生のところに行って『これでもいいですか?』って聞いておいで」と言って行かせました。一生懸命交渉していましたがどうなったでしょう。でもこういう子もいいですね。『青年実業家タイプ』とでも言うのでしょうか。世の中の枠組みを越えて自分でスタンダードを作り出してゆく発想とパワー。こういう子は楽しみです。世の中そうそう甘くはないですが、それを通すための努力と頑張りが身についてくればきっと大きな仕事をする人になってくれることでしょう。それで思い出した去年の卒園生の話。算数の足し算は好きなのに引き算が嫌いな女の子。学校で出た引き算のドリルの宿題で『12−5』の『−』記号の上から鉛筆で縦線を書き加え、『+』に書き換えて計算して出したそうです。これもただの笑い話で終わるか、彼女のサクセスストーリーの第一章となるか、これから実に楽しみです。
 そんなばらさん達のがんばりにびびったのがもも組女子。目の前のばらの女の子が上手に上手にぴょんぴょん跳んで見せるのに危機感を抱いたのか、気合を入れて跳び出しました。そんな『誰が生徒か先生か』、教えるわけでもなく教わるわけでもない、みんなで影響しあって自分達を高めているこの子達の姿を楽しく見つめています。「そんなこと我知らず」、とまだまだそこまで想いを熟させることなく無邪気に遊んでいるばら・もも男子には、「この子達もいつかこんな時がくるんだよね」と思いながら、それぞれが自分のやりたい遊び、出来るようになりたい想いを持って遊んでいることをうれしく思っています。

 順番どおり、例年通りに行かないのが自然と言うもの。ばらがももを、ももがすみれを追い越すことも多々あります。でもそれで終わらないのも自然というもの。そんな不順さにお尻をたたかれ、士気を高め、自分の持っている力以上の馬力でがんばり返します。それが幼稚園のいいところ。満三歳から六歳までの子が一緒に生活し、影響しあって自分を高めて行くのです。一方的に先生に教えられるカリキュラムの中では得られないこんな『子ども達の学び』、大切にしていきたいものです。


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