園庭の石段からみた情景〜園だより4月号より〜 2008.4.26
<友達になるために>
 新年度が始まって、はやひと月が経とうとしています。今年も満開の桜と共に迎えた入園式(嵐の中でしたが)が今では桜も花を終え、新緑のまぶしい季節へと移りつつあります。「今年のばらさんはおりこうさんで入園式でも泣く子はありませんでした」なんて言っていましたがそんなはずはありません。泣くのが子どもなのです。泣かない子は涙こそ見せねど、自分の中の不安と一生懸命戦っているのです。そんなことを改めて教えてくれたひと月でもありました。
 幼稚園の始まった最初の週に大泣きした子達もだんだんとペースをつかみ始め、自分の遊びを楽しめるようになって来ました。それは粘土遊びやお絵描き、工作と言った遊びではなく、往々にして砂遊び、水遊びなのが興味をそそるところです。何かイメージを持って形や絵を構築してゆく遊びが前者なら、心の揺らぎが砂や水と言った無形無常のものに投影され、それを見つめることで心に安らぎを覚えるのが後者なのかもしれません。大人でも心が疲れた時、川のほとりで水の流れをじーっと見つめたり、たき火の炎の揺らぎをぼーっと見つめたりと言ったことで心癒されることがありますが、そういう心が子ども達にもあるのかもしれません。先生や友達から離れて一人たたずむ砂場や水たまり、スコップで砂をすくい水を掻い出ししているうちにその所作がだんだん自分自身で楽しくなってきます。ひたすら水を掻い出し波立てているうちにほろっと笑顔もこぼれ出します。人が何かしていると興味を持つのが子どもです。その子のところに一人二人集ってきて、一緒に遊び出します。同じものに興味を持ち、一緒に笑った瞬間にお友達の出来上がり。こうやって幼稚園では毎日新しいお友達関係が構築されて行っています。「友達になろう!」というアクティブ(能動的)な関わりではなく『共感する』というパッシブ(受動的)な関わりが集団生活の第一歩なのかもしれません。
 その『共感』も個人個人の興味の対象や感度が異なるので、皆同じ様にと言う訳には行かないようです。いつも一人でぽつんといた女の子、『恥ずかしい』と感じたり、『こんなのいや』という想いが素直に相手を受け入れたり自分からその中に入って行ったりすることを妨げている様子。そんなときこそ教師の腕の見せ所、その子にあれこれいろいろ投げかけを行ってみました。相手もなかなか手ごわいものでなかなか自分を見せてきません。それでもその子の所作やぽろっと漏らす言葉の端々をよくよく見つめ拾います。カメラやビデオに写るその子の映像を見せてみます。これはあまり反応なし。この映像作戦、かなりの確率で子ども達が食いつき、大喜びしてくれるものなのですがその子はしらーっとしています。「折り紙、折ってあげようか?何色がいい?」と問うとその子は思わず「きいろ・・・」、これには反応がありました。でもその子の横で黄色い折り紙を折り出すと、「あっちいって」と言われてしまいました。折り紙は欲しいけれどずーっとそばにいられるのはいやなのでしょう。そんな想いが伝わってくるので、「そう」と言ってその場を離れます。園庭の石段に座りながら先ほどの黄色い折り紙でゆりの花を折り始めます。この折り紙、結構手数が多くて時間がかかるので、出来たところで「はいどうぞ」と言ってあげるのがいいと思い、他の子ども達を眺めながら折っていました。その花が折りあがった頃、ふとさっきの女の子がお外に出てきて僕の前に通りかかりました。「できたよ」と差し出す花をじっと見つめる女の子。「いる?」と聞くと「うん」とうなずきます。手渡すと少しうれしそうに笑ってくれました。その花を手にしたままアスレチックロープを登りはじめます。笑って話しかけてもくれるようになりました。こうしてやっとその子とお友達になることができました。
 次の日からその子のほうから僕に話しかけてくれるようになりました。三輪車の大好きな女の子。「こっちおいでー」、「押してくれよー!」となんとも楽しい言葉で話しかけてきてくれます。すっかり仲良しにしてくれたみたいです。その子の表情もまるで別人のよう。しらーっとして細面のように感じていた表情が笑うととても豊かにふくよかに見えるようになりました。しゃべりだしたら止まらない、明るいお茶目ちゃんになりました。でもこれが本当のこの子の姿なのでしょう。入園式の母の会総会のときも「お母さんは?」と聞きながら、でも涙も流さず必死にがんばっていたその子のことを思い出します。そうこの子はいつもがんばっていたのです。
 がんばるための手段は子どもも大人も同じです。何かを励みにがんばるか、それとも自分を押し殺して心をつっかえ棒で支えるか。新しい子ども達はみんなそれぞれ心につっかえ棒をしながら新しい生活をがんばっています。その子たちのつっかえ棒が一本一本いらなくなり、自分で励みを見つけてがんばれるようになったなら、幼稚園はもっと楽しいところになると思うのです。そのために今は子ども達をしっかり見つめ、投げかけを行っています。子ども達の励み、それはうれしいこと、楽しいこと、面白いことを自分で見つけることです。その子にとって面白いこと、これは私たちはもちろん、子ども達自身もまだまだわかっていないのです。だからそれを一緒に探していこう、見つけていこうと思いながら子ども達と関わっています。
 だんだんと新しい子ども達の『好き』が分かってきました。ゴーオンジャーになりきって遊ぶ子、飼育ケースの中のダンゴ虫をうれしそうに見つめる子、ブランコを押してもらうのがうれしい子、さらさら白砂遊びが大好きな子、それぞれの子ども達の『うれしい』がひとつみつかると不安や寂しい顔がひとつ消えてゆきます。僕は教師である以前にこの子達の『うれしい』を一緒に探してあげる友達でありたいと思っています。だから決して押し付けがましくなく、大きなお世話も焼かないように、子ども達が自分自身で自分の『うれしい』を見つけられるように、『うれしい』を共感できるように、子ども達を見つめて行きたいと思っています。


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