園庭の石段からみた情景〜園だより6月号より〜 2008.6.29
<花に寄せる想い、それぞれ>
 今年の6月はまさに梅雨らしい梅雨となり、雨もよくよく降ったひと月でした。そうは言っても初旬の雨は夜にざざーっと降った後、翌朝ぴかぴかいい天気。園庭の水たまりが子ども達の格好の遊び場となりました。僕はと言えば水たまりの造成で水をはけさす水路作り。年中、年長の子はお手伝いを買って出て、一緒に水路を切り開いてくれました。その様子を見ていた年少さん、「僕も!僕も!」とお手伝いに立候補まではよかったのですが、水たまりをザックザック掘りかえし、水をじゃーっと流し込み、先ほど治したばかりの所に大きな大きな水たまりをまたまたこさえてくれました。「僕もお手伝いしたんだ!」という得意げな満面の笑みで見つめられれば、こちらも笑うしかありません。そう、誰のためにしていることでもありません。全てはみんな子ども達のため。一緒に笑ってしまいました。
 中旬からは雨の季節。週の半分以上雨降り天気。その頃TVの放映にあわせたように流行っていたのがバレーボール。ホールにネットをぴっと張れば、たちまちコートの出来上がりです。身の丈ほどのネットに向って子ども達は果敢にジャンプ!アタック!してました。それを見ていた僕のいたずら心がうずきます。あるとき「ネット張って!」という子ども達の声ににんまり笑って大人の身の丈以上にネットを張ってみせました。初めは「ちがう!ちがう!」と言っていた子ども達でしたが受け付けられないので仕方なくそのままバレーが始まりました。僕もコートに立って参戦です。「ブロック!」なんていって子ども達のアタックを軽くシャットアウト。「ずるい!ずるい!」とよもよも抗議を始めるすみれ男子。「うるさい!うるさい!ずるじゃないもん!」と受け付けないと考えました頭脳攻撃。すぐさま天井にぶち当てて鋭角に相手コートに突き刺さるスーパーアタックを開発しました。これには大人のブロックも役に立ちません。勝ち誇ったような子ども達の顔。これには本当にまいりました。やっぱり子どもとは逆境に追い込んでこそその真果を発揮するものだと思わされました。口先だけと思っていたこの子達がこんなにやってくれるようになったこと、本当にとてもうれしかったです。今度はどうやってぎゃふんと言わせてやろうかとこの子達を見つめています。
 またこの頃になると園庭の紫陽花が淡い色の花をつけだしました。紫陽花はだんだんと色を深めてゆく不思議な花です。まだ色もつかない頃の花を子ども達が喜んで摘んで、「お母さんへのおみやげ!」と持ってきます。僕もまだ色も浅いこの頃の紫陽花が好きなのでその気持ちはよくわかるのですが、「うん、きれいだね。でも採らずにもう少し置いておいたらもっときれいな花になるから、今は採らずに置いておいて」と子ども達にお願いしました。本当は自由に採らせてあげるべきなのです。子ども達はその時の花がきれいだと感じ、それを大好きなお母さんに届けたいと思いました。お母さんの喜ぶ顔が見たい一心でその花を摘んでいるのですから、その想いは大切にしてあげたいと思うのです。日土幼稚園においてはそういうことが往々にしてあります。花壇に咲いたビオラやマリーゴールドが砂で作ったケーキのイロドリとして添えられ、子ども達はその作品に大満足。すべりだいの横にキショウブが咲けば、すぐさま子ども達が摘み取ってしまい、思わず「あー」と声をあげてしまいます。けれどもその辺に咲きほこるカタバミや菜の花を採って来た子には、「ああ、きれいだね」とその行為を肯定し推奨さえしてしまいます。本来は『どれが採っていい花でどれが採ってはいけない花』などというものは無いはず。どの花も一生懸命咲いて私たちの心をなぐさめ、喜びの想いで満たしてくれます。ですが希少価値や手間隙かけて咲かせたという我々の一方的理由から、いつもその良し悪しを判断してしまいそうになります。一番大切な子ども達の想いとは関係のないところで。だからそういう時は頭ごなしにしかってはいけない、まずは子ども達の想いを肯定・共感するところから始めるべきなのだと、「とってもきれいだね」と言葉を返してあげるべきなのだと思うのです。しかったところで摘んでしまった花は元には戻りません。誰かを喜ばせてあげたいと言う子ども達の心は大事に育んでいきたいもの。ならばまずは一緒に喜んであげるべきものなのではないか、そういう風に思うのです。そしてそれからこのお花をお世話してくれた人がいること、このお花を大事にしている人がいることを教えてあげるのが教育だと思うのです。
 全てが野生の草木で、摘んでも摘んでもなくならないほどの豊かな自然があるならば、この子ども達の行為をまるごと認め、受け入れてあげることもできるのでしょう。でもこの日土においてでさえそれはかなわぬもの。『山の上の幼稚園』なんていばってみせても、ひげのおじちゃん達が草木のお世話をしてくれているからこそいつもこんなにきれいな草花に囲まれた幼稚園でいられるのです。おじちゃん達もただ年寄りの趣味で花のお世話をしているのではなく、幼稚園の子どもに、そして幼稚園に遊びに来てくれるお母さん達に喜んで欲しいという想いから一生懸命お花の手入れをしてくれています。そのことは子ども達にも伝えるべきことだと思うのです。自分の豊かな想いを育ててゆくのも大事、人の想いを感じることができる心を育んでゆくことも大事。それが私たちの役目だと思うのです。
 そんな私たちの想いを子ども達はしっかりと受け止めてくれています。この間、サッカーボールを花壇の中に蹴りこんでしまった子が、「お花にボールをあててごめんなさい」なんて言ってくれました。みんなお世話してくれている人のことをしっかりと感じてくれているのです。こんな真直ぐで素敵な魂に育っている子ども達を見ていると、この日土の豊かな自然、私たちを支えてお世話してくれている人々、ここに毎日子ども達を送ってくださるお家の方々、そしてそんな私達をいつも見守ってくださっている神様に心からの感謝を感じる梅雨の週末です。


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