東京の裏路地からみた情景〜夏休み書き下ろし番外編1〜 2008.8.14
<一人歩記(ひとりあるき) その1> 
 この夏も立秋を過ぎました。からから天気が続いていた日々が一転、日に何度もスコールや夕立に見舞われるような季節になってきました。その一雨一雨が乾ききった大地を満たしてくれるようで、季節を秋へと導いてくれているようでほっとした想いに包まれます。乾いた暑い季節も大好きなのですが、それはその次に秋が来ることを信じているからこそ。だから夏が好きと見得も意地も張れるのでしょう。
 7月の終りから8月の頭にかけて、一番暑かった時期に東京へ行ってきました。「一週間も東京、いいですね」なんて同僚の先生は言いますが、東京と言っても僕の東京は六本木ヒルズや恵比寿ガーデンではありません。僕が30年間暮らし、通ってきた杉並、武蔵野の裏通り、北鎌倉の山寺の木陰や月島の裏路地が僕にとっての東京の原風景なのです。とにかくその一週間、東京の裏通りをゆっくり歩いて過ごしました。今その日々を振り返りながらその一人歩記を綴ろうと思っています。
 東京歩きの初日は永福町から高井戸まで。これは幼児期から少年期の軌跡。僕の通った幼稚園の横を通り抜け、昔住んでいた浜田山の自宅方面へ向って歩きます。ちょうどお昼前、夏期保育だったのでしょうか、子どもを後ろに乗っけて自転車を走らせるお母さんとすれ違います。そう、ここいらの通園風景は時代が変わろうとこれなんですね。狭い車庫から出すのに一苦労、幼稚園には駐車場もありません、そんな都会の足はやっぱりママチャリなんです。ぶらぶら歩きの道中にそんな風景に出会えてうれしかったのでしょうか、遠い昔の記憶をひとつ思い出しました。いつも自転車で迎えに来てくれていた母がある日、時間になっても幼稚園に現れませんでした。思えばその頃から僕は変わり者だったのでしょう。「自分で歩いて帰る」と先生に告げ、帰り道を歩き出しました。その時の先生も先生です、よくも園児を一人で歩いて帰したものです。今だったら決してそんなことは許してくれないでしょう。町もそこに住む人々ものんびりしていたよき時代の昔話です。今歩いても30分ほどかかる帰り道、ちょうど半分ほど行ったところ、坂のふもとのパン屋さんの前で急いで自転車を走らせてくる母親と鉢合わせ。驚く母親とその顔を得意そうに見上げる子ども、そんな再会の場面でした。帰る途中いくつか違うコースもあるのに、出会えず家まで帰ったら玄関の前で座り込んで待っていなくてはいけないのに、そんなこと思いもしないんですね。目の前に訪れた冒険のチャンスにわくわくしながらその道を歩いたのでしょう。いつの時代も子どもとはそんなもの、ちょっぴり抜けたロマンティスト。その時の道を歩きながらそんなことを思い出していました。
 目的地のないひとりあるきというのはなかなか楽しい反面、普通に歩く3倍も歩かされることになります。『昔歩いた道を歩く』ということで歩いた今回の古里めぐりだったので、こっちの道も行きたいけれどあっちもというと一回ぐるーっと回ってこなければなりません。同じところで道路工事をしている人の前を2回も3回も通るたびに、「あやしく思うよなあ」なんて思ったりもして。でも「ここは僕の町だ」と開き直って、子どもに戻って町をくるくる歩き回りました。浜田山から高井戸にかけては小学校時代の遊び場、たまり場です。自分の足で、自転車で毎日あっちにこっちに行き来していたのでその通り道は無限通り。その一本一本を知り尽くしていたつもりだったのに、今こうしてそこに立ってみるとなかなか記憶と合致しません。このあたりの裏路地で毎日めんこや投げごま勝負をしていたはずなのに、町が変わったのか記憶が薄れたのか、その場所をなかなか見つけ出せません。突き当たりの袋小路にやっと当時の友達の家の表札を見つけて、「ああ、ここだったんだなあ」とほっとした思いになれたことも。昔闊歩していたはずの自分の町で度々迷子になってしまいました。
 この町歩きの中で新鮮に感じたことがひとつ。昔歩いた坂道がとてもなだらかに見えました。「しんどい坂だな」と思いながら歩いた坂、必死になって自転車を立ちこぎした坂が今見上げるとなんともなだらかな坂になってしまっているのです。もちろん坂自体は変わっているはずありません。「子どもの頃広く感じた道が狭く感じる」という話はよく聞きますが、こんな坂を見た感じの変化についてはあまり話を聞いたことがありません。ひとつ思うに小学生と大人の視線の高さの変化があるのでしょう。子どもの時分、視点の低さにより大きな仰角を持って見上げた坂が大人の目線ではたいした角度とならなくなったのかもしれません。でもきっとそれだけではないはず。目の前に立ちはだかるものへの恐れ、困難を過度に感じる感受性、そういった心の感度が子どもの頃の方が何倍も強かったのでしょう。そんなことを思いながら考えるのは幼稚園の子ども達のこと。登りきった後、いつも子ども達が「つかれたあ」と言って登る幼稚園への坂。あれこそこの坂道の2倍も3倍もしんどいはず。実はこの子達、たいしたものなのだなあと日頃のがんばりに想いを寄せました。でもでもこの子達、ただただしんどい苦難の坂としては捉えていないようです。「おさきにー!」と言ってとろとろ登る僕を追い越して駆け上がる子、途中で草を引き種を集めながら文字通り道草を食いながら楽しそうに上がって来る子にとってはなくてはならない幼稚園への坂道なのです。「この子達、大きくなってあの坂道を歩いた時、どんな思い出を語ってくれるだろうか」、今の自分と重ねながら未来の子ども達を想います。そう、こんな日常のひとつひとつの物事こそが子どもの心を育てる教材なのだと自分に言い聞かせながら。
 自他共に「日頃あんなに動いているのに・・・」と思われる仕事のはずなのに、東京歩き初日に4時間歩いただけで筋肉痛。足のスネの前の腱とふくらはぎの筋肉が炎症を起こします。それでも僕の東京歩きは続きます。その足の張りや心の張りを思い起こすたび、大切な何かを思い出せたような気がするから。つづく。


戻る