東京の裏路地からみた情景〜夏休み書き下ろし番外編3〜 2008.8.18
<一人歩記(ひとりあるき) その3> 
 なぜか意図したわけではないのですが今回は幼少期よりさかのぼって歩いてきた地元歩きとなりました。最後は武蔵野・吉祥寺です。ここは大学時代、毎朝一限に通い、休講でたまの早上がりの日には(通常、毎日五限・午後6時まで講義がびっしりありました)カメラを片手にぶらぶら歩いた街。記憶に一番新しいはずの町が一番様相を変えてしまっていてあきれかえるばかりです。この街が時代の流れの中で経済というオバケに消費され、食べつくされてしまっているようでなんとも気の毒な思いにつまされてしまいます。人の集る街では生き残りをかけた現代版『国取り物語』が今でも繰り返されています。その日の日銭を稼ぐためだけの舞台となってしまったこの街。古くなったらこわされ、人が来なくなったらつぶされる。それでもこの街でのアメリカンドリームを夢見て新たな店舗が今日もお店を開きます。大量生産・大量消費の時代と言いながらいろんなものを使い捨て、この時代をあやつっているような顔をしていますが、実は消費され捨てられようとしているのは私たち自身なのかもしれません。こうやって生きる道を選んだ私たちに何が残せるのでしょう。いつかまた私たちの世界に純粋で心豊かな時代が訪れることを願いながら、この目の前で私たちを見上げる無垢な魂たちにその祈りを込め育てること、それくらいしか今の僕にできることは思い浮かびません。時代に流されてしまわないように、心まで消費されつくしてしまわないように、自分の生き方を自分で選べる知恵と、いつも何が正しいのか自分の心に問いかけられる勇気を子ども達に伝えてゆくことが僕の生きた証になるのかな、そんな想いを胸に抱きながらなつかしの街を足早に通り抜けてゆきました。
 同じオバケでもここいら武蔵野はトトロの古里。井の頭公園なぞ歩けばその面影をかすかに感じます。井の頭池からこぼれ落ちた水が流れる神田川。しばらく小川と林に囲まれた小道が続きます。源流に近い小さな流れとそこにしなだれかかる雑木の木々の枝。もちろんそのように演出され造られできた公園なのでしょうけれども、この地の人々はあの情景が好きだったのでしょう。「こんな武蔵野の風景を残したくて」という想いをそこに感じることができ、ちょっとうれしい気持ちになれました。街を一歩外れ『町』に入れば、そこに暮らす人々の想いがその町の表情を作り出します。そんな中に足を踏み入れ、ほっとゆっくりあたりを見回してみればやはりここは僕が好きだったあの町なんだと今更ながら確かめることができました。
また効率の悪い道順でふらふら歩きながら成蹊大学までやっとたどり着きました。そう豊多摩もそう、さっきの井の頭公園もそうでしたが、僕はこの武蔵野の林、木立のある風景が好きみたいです。高校時代、自転車でこの学校の前を通った時、ここの校門へ続く欅(けやき)並木とそこから出てくる大学生の群れを見かけました。その時、そこがなんという学校かさえも知らなかった僕ですが、その情景にいたく惚れ込んでしまいました。それでそこを選んでしまったのですから、僕の学校選びの基準とは実はそこの並木道ということになるのでしょうか。この欅の前に立つといつもそんなことを思い出し、自嘲してしまいます。ここの歩道もレンガが敷き詰められきれいに演出が施されてしまいましたが、高くそびえる欅の木は変わりません。欅の息吹に背筋を伸ばされ、大学生に交じって正門をくぐりました。
 以前来た時、本館の前でカメラを構えたら警備の人がやってきて「写真は撮らないでください」と言われたのがいつまでも心に残っています。「ここは僕の学校なのに・・・」と思いながらも、僕や僕の思い出や思い入れとは何の関わりを持たないこの人を、そういう学校の方針が打ち出され業務として自分のやるべきことをしなければならなかったその人をわざわざ困らせることもないだろうとカメラを納めました。あれから何度かここに来ていますがカメラを構えたことはありません。大学の写真部に入りたての頃はこのキャンパス、校舎が僕の練習台でした。被写体としてはたいしたものではないのですが、何度も何度も撮って撮影からフィルムの現像・プリントまで練習、研究したものです。でももうそこは僕のキャンパスではないのです。他人に言われて初めてもう自分はここの人間じゃないんだなと思った一方、久方に尋ねてきた人間のそういう幻想や思い出を踏みつけてはいけないと心に誓いました。ここに来るたびにその想いを思い起こしています。幼稚園にも卒園生の方が時々尋ねていらっしゃいます。この地で幼少の頃を過ごし、古里を後にして働きに出て行った人々が久方の帰省の折に寄ってくださるのです。警備や治安などの問題は様々あるでしょうが、その人たちの想いを大切にできるだけのことをしてあげたいと思うのです。もともと古びた建物で(変えようがないのが実情なのですが)キリスト教保育を謳って行っている私学の幼稚園。物事を教える以上に幼き魂を健やかに育むことを旨としている幼稚園である以上、アフターケアーも大切なお仕事。ここに訪れた人々に懐かしさと勇気を与えてあげること、自分の成長を感じがんばる力を思い起こさせてあげること、ここにくれば今でも喜んで迎え入れてもらえるという自分の存在の肯定・裏付けを感じさせてあげること、その人たちのために私たちができることはたくさんあるのです。だから毎週日曜学校を開き、卒園生を待っています。幼稚園を開けて訪れる人を待っているのです。でもこんな想いも自分が否定されたからこそ気がついた想いなのかもしれません。人間の心とはそれほど鈍く人の想いを感じがたいものだから。
 今回の一人歩記はとりあえずここまで。まだまだ古里話は尽きませんが、下町歩きや北鎌倉の風景などはまた別のところで。でも古里歩記、古里を歩き、想いを持って語りだせばそれはさして特別なものではなくなるはず。誰にでもここまで歩いてきた道のりが、足跡が必ずあるはずだから。そう、たまには昔を思い出して。


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