麓屋のカウンターに想いを寄せて〜夏休み書き下ろし番外編4〜 2008.8.18
<音楽仲間> 
 今回の夏の帰京、初日の晩は高校時代からの友人I達と麓屋に行きました。飛び込みにもかかわらずなんとかカウンターの席を取ることができた所へオーナーの伊勢さんが人懐こい顔を見せてくれます。「いらっしゃい」。年に一度しか顔を見せない年の離れた後輩の訪れを快く歓迎してくれる伊勢さん、あの笑顔がまた僕らをここに呼んでくれるのでしょう。この日はIの音大の先輩の自宅兼小スタジオの落成一周年記念パーティーで東京郊外の寒川まで行ってきました。前日幼稚園の同窓会を終え、その足で飛行場に飛び込み夜遅くの東京入り。宿泊先のIの部屋で飲みながらそのパーティーの話が出てきました。知らない人の集りに行く程、僕も社交的でないのですが、『音楽仲間』というものに興味を引かれたのかついていくことになりました。パーティーでは音大の先生やら楽器の師匠やらえらい人が一杯いて僕は隅っこにいたのですが、開会のあいさつ、乾杯が終わると余興の演奏会が始まりました。弦とピアノのアンサンブル、ピアノソロなど皆、思い思いに楽曲を奏でます。ワインをもらって一番前の席で僕はその演奏にずーっと聞き入っていました。
 麓屋のカウンターでその日の音楽談議に花が咲きます。僕は音大の先生のピアノの力強さにいたく感動したのですが、ピアノの専門家は「今日のピアノ、全然鳴っていなかったよね」なんて言ってのけます。確かに僕が生で聞いた演奏の中では一番だったかもしれませんが、この人たちはそれ以上のものを聞いたり自分で演奏したりしているのです。そういう体験と感性の深さをうらやましくも思ったものでした。彼らとカウンターで話すうちにその先生の話になりました。パーティーが一度お開きになってから、残ったメンバーが車座になって飲み会を始めたときのこと、お酒のせいか教授の口が高らかに回り始めました。そのテンションの上がり方、言葉遣いに言い回しが個性的で印象的だったのですが、僕らは高校時代の音楽の先生のことを思い出していました。「あの二人似ているよね」、僕が投げかけるとIも大いに受けて同意します。容姿や顔立ちは似ていないのですが『ヒトトナリ』というか感性というかそんなもののイメージがダブります。話し出すと身体も動き出すオーバージェスチャー、時より語尾に交じる「・・・かしら」の言葉。音楽家というか芸術家が特化する感性のなかで「感情の表現を何も妨げるものはない」といった感じの立ち振る舞いに共通点を感じ、あの先生のことを思い出してしまいました。それでいて演奏は繊細かつダイナミック、この演奏はこの感性があってこそなんだなとこの人の内面の一部を垣間見て、なんか納得してしまいました。
 お酒が進むとまどろみモードに入る僕。黙って人の話を聞くことの方が多くなります。でもそんな僕に「黙っていられると耐えられない」と同席したピアニスト、僕を一生懸命いじりにかかりますがなかなか歯車がかみ合いません。思えばその人とはその日初対面だったのですが、僕なりにはそれなりの話もしながら麓屋での時間を愉しみ、その日は閉店、お開きとなりました。
 長年付き合ってくれているIとの間ではいつもと変わらぬ僕の振る舞いが、その人には相当のフラストレーションとなったようです。リベンジとばかり東京最後の夜、家に招待してくれました。そこはピアノ教室も兼ねた自宅のワンフロアー。むき出しのコンクリートの中央にグランドピアノが置いてある素敵な空間でした。飲みながらIがなんかやれとピアノを指差します。専門家を目の前になんとも身の程知らずの感違いくんでしたがいつも幼稚園でやるレパートリー『千と千尋』、『さんぽ』、『トトロ』など披露しました。相変らずメロディーにコード進行のアルペジオを合わせた我流ピアノですが、彼らは喜んで聴いてくれました。『さんぽ』ではマイナーコードに入るところでテンポを落とし重ために弾くと、「あー悲しくなってる!」と僕の表現をすぐに汲んでくれて、「おー伝わっている!」とこちらもうれしくなってしまいました。「楽譜見ないで弾けるのすごいよね」ともらす彼らに「楽譜見ると弾けなくなるから」という僕の弁。楽譜があれば初見で弾くのが彼らプロ。一方知ったメロディーにコードを当ててゆくのが僕の流儀。僕としては彼らの方がよっぽどすごいと思うのですが(プロに対して失礼な発言ですが)、お互いが背負っている音楽的生い立ちや背景が違うのでお互いにこんな感じ方をするのでしょう。最近園でやったなつかしのアニメ物をやるとさらに盛り上がり、『キャンディーキャンディー』や『天才ドロンボー』のイントロを始めると「これ!○○!」とイントロクイズに早代わり。うる覚えの記憶をたどりながら弾くピアノだけに分かってもらえるとこっちもうれしかったりして。そこからリクエストもエスカレート。こっちが弾いたこともないようなものを「すばる!」とか「ガンダーラ」とか適当に言ってくるのをこちらもコードを探り当てながらリクエストに応えます。「人間ジュークボックスだあ!」と大喜びしてくれた彼らでした。
 それではお返しとばかり、二人が始めたのがピアノとバイオリンのアンサンブル。Iの専門はビオラなのですが大きな手に窮屈そうな楽器を抱えながら見事に弾いて聞かせてくれました。日頃あわせたこともない楽曲を即興であわせられるというのもさすがでした。この日もそんなに言葉数多くしゃべったわけでもありませんでしたが、満足度はこの間の十倍以上でしょうか。言葉を積み重ねてではなく、音楽を介してそれぞれの『ヒトトナリ』が分かり合えたような気がしました。言葉で重ねた関係というのはいつもその言葉の裏の真実を確かめようとするもの。でも芸術はその作品からこの人はこういう人だと自分で感じるもの。そこには嘘も何もありません。まだ出合って一週間も経っていないのに、音楽を通じて分かり合えた友達と今度、麓屋で飲む時には少しはましな話ができるでしょうか。それともあのフロアーにギターと曲集を抱えてゆかないとやはりだめでしょうか。


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