園庭の石段からみた情景〜09秋の書き下ろし4〜 2009.11.12
 <やはり野に置け、れんげそう>
 新型インフルエンザの流行で休園を余儀なくされた十一月でしたが、おかげさまでその後は感染の拡大を招くこともなくほっとしています。同時期に宮内で大流行したことを考えるとはやり早目に対処したこと、インフルエンザ予防のために『自宅での安静や多くの人との接触を避けること』などを呼びかけられたことにそれなりの効果があったのだと受け止めています。皆さんのご理解とご協力に感謝しています。一方、自宅でおとなしく過ごすように言われた子ども達にとってはなんとも退屈な5日間だったことでしょう。それに伴いそんな子ども達のフラストレーションを受け止めてくださったお母さん達、本当にご苦労様でした。『やはり野に置け、れんげそう』。子ども達は箱の中に収められてじっとさせているよりも自然の中にぱっと放すのがいいのだと、昔の人もそんなことを言ってます。今時のお家にはテレビもビデオもゲームもおもちゃもなんでもそろっていることでしょう。でもそれでは子ども達の心は満足しないのです。ケイドロやサッカー・縄跳びやブランコ二人乗りなど友達や教師と関わって遊ぶことを喜び、野に咲く花を摘んで花束を作り、日がなしゃがみこんでどろ団子を磨き、バッタや蝶を追いかけて野山を走り、「今日はマラソンせんの!」と意気揚々と宣戦布告して走りきった後にはお互いの満足げな顔を見つめあう、そんななにげないなんでもない一日が子ども達の恋焦がれている日土幼稚園での時間なのです。元気に戻ってきた子ども達の顔を見つめながら語りかけています。「おかえり、いっぱい遊ぼうね」。

 この満足げな子ども達の笑顔をこれからも守ってゆくために、日頃からの健康管理にもより気をつけてゆきたいと思っています。朝一番の子ども達をしっかり見つめることで気がつくことがいっぱいあります。あいさつの表情、態度、手のぬくもりなどなど、子ども達の体調を伝えてくれる情報源はたくさんあるもの。でも僕のつまらない冗談に対する子ども達の反応がなによりたしか。にたっ!と笑ってくれたりオーバーリアクションを返してきたり、お尻にパンチをしてくるような子はまず元気でしょう。そんな健康チェックあり?ですけどね。また子ども達の体力と抵抗力を保ち高めてゆくためにいっぱいいっぱい遊んであげようと思っています。これから寒くなってゆくこの季節、お部屋の暖房の前に座り込んでいたら体力もどんどん落ちてしまいます。寒空の下、うっすら汗をかけるほど子ども達と一緒に走りまわって体力作りを心がければインフルエンザにだって負けないはず。いい年をした僕にとってはまた相当くたびれそうですが、これは子どものためであって僕のため。今回あれだけ背中に首周りに子ども達がまとわりつき、『濃厚接触者』なんて言葉をはるかに超えた子ども達との関わりがあったのにもかかわらずインフルエンザをもらわなかったのは、夏からの体力回復計画のおかげかもしれません。子ども達と走り回りながら、自転車に乗って汗をかきながら過ごしたこの二ヶ月間。確かに運動不足だったこの体に体力が戻ってきたようです。夏休みの旧友の一言で始まった自転車ライフですが、こうやって全てのことがいい方につながって流れていることを感じるとき、神様の御心を感じるのです。日々の暮らしの中、いいことばかりではありませんが全ては何かにつながっている。だからいい事も悪い事もしっかり自分の中に受け止めて自分の糧とすることができるのです。

 そんな想い、子ども達にも伝えて行けたらきっと彼らの心の糧にもなってくれるだろうと思い、僕は子ども達に向かって自分を表現しています。得意なことも下手なことも、かっこいいところもかっこわるいところも、賢いところもおバカなところも、正しいこともずるいことも。そんな僕の姿に子ども達は笑って怒って、感心したりあきれてみたり、納得したりつっこんできたり。でもそうやって一つ一つのことを自分の心で感じ、自分の頭で考え、自分の想いで返してくれるのです。『大人が言うことだから正しい』、『大人の言うことだから聞かなくっちゃいけない』、そんなルールは僕らの間にはありません。「『のび太』のくせに生意気だぞ!俺の言うことを聞け!」は子どもが聞いてもおかしな言い分。だから僕も子ども達が納得するまで言葉を重ね、子ども達が満足するまでその言葉に耳を傾け、理詰めではなく浪花節の「でもね、」で子ども達に想いをわかってもらう、そんなやり取りをしています。でもそれにもうまく行くときもうまく行かないときもあって、そんなときにその子のことをより強く思ったりするのです。「右向け右!」で全て言うことを聞かせているのでは決して感じてあげられないその子の想い。だから『その子に言うことを聞かせることができたか否か』が評価されるべき点なのではなく、『その子の心に何を落としてやれたか』がきっと大事。その時にはその想いが伝わらなかったかもしれないけれど、「そうなのかな?」という想いをその子の心に落としてやれば、いつかそこから芽が出てその想いがその子の中に大きく育って行ってくれるはず。そう、『育てる』と言うことはそう言うことなのです。子どもはお金を入れて商品が出てくる自販機ではないのです。自販機は自分で感じ受け止め考えはしません。ただただ組み込まれたプログラムに従ってそれがいいことか悪いことが考えることもなく仕事をするのです。でもそんな子ども、やっぱりおかしな気がしませんか。
 長い間一緒にお家で過ごした子ども達を目の前にしていると、「なんで言うことを聞いてくれないのかしら」と思うことでしょう。それはこれからこの子達が自分で感じ考えその上で何が正しいことなのかを学んでゆくためなのです。『やはり野に置け、れんげそう』、僕はこの子達にこの豊かな大地に根と葉をいっぱいに広げて、正しいことを考え行うことの出来る子どもに育って行って欲しいと願っています。


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