園庭の石段からみた情景〜園だより12月号より〜 2009.12.12
 <日土の自然が僕らに教えてくれること>
 師走に入りました、みなさん忙しくお過ごしのことと思います。『教師も走り回るほど忙しい月』ということで師走と言うのですが、僕らだけは別のようです。だって子ども達と走り回っていることこそが日常だから。それを「クリスマスの練習が忙しいから」とか「製作で部屋にこもりっきり」なんてことには僕が意地でもさせません。毎日きっちりマラソンの時間になればCDを鳴らし、子ども相手に本気勝負。最近では本当に本気で走らなければ勝てなくなるほど子ども達の足は速くなって来ました。それは決して大げさな表現ではなく、ストレートの短いそして周回遅れがうじゃうじゃ走っているこの幼稚園園庭コースは、F1のモナコグランプリさながら実にパッシングポイント(追い抜きが出来るポイント)が少ない難コースで僕も相当てこずっています。そんな中、毎日トップが変わるすみれ男子の先頭グループ、いつの間にこんなに我慢強くがんばれるようになったのでしょうこの子達は、と切磋琢磨して走っています。ちょっと前までは「勝負なんてせん!勝てないもん」なんて言ってたイジケ虫だった彼らが自分の実力に手ごたえを感じ毎日毎日挑んできます。そんなこの子達を頼もしく思いながら、そんなこの子達に応えるべく師走の園庭を今日も一生懸命走っています。

 僕は朝一番で子ども達を下の駐車場まで迎えにゆくのですが、この季節は改めていろんなものが見え感じられる季節です。8時半、とうに太陽は昇ったはずなのですが、陽の光は幼稚園を抱く山肌に遮られ坂や下の橋までまだまだ日陰のままです。そこに流れる喜木川の黒い川面の上を輝く緑色の軌跡が糸を引きます。カワセミです。昔から何代にもわたってこの川にはカワセミが住みつき、飛ぶときに僕らの目に残像として残すその緑色の軌跡で彼らの存在を教えてくれています。ある日、川原のアシの枝にとまっているカワセミを見かけ、川っぷちの手すりのところで身を低くしてその姿をじっと見つめていた僕のところに登園してきた男の子がやってきました。「なにしてるの?」と尋ねるその子に、「あそこ、見える?緑色の鳥、カワセミ」と指差しましたがなかなか見つけることが出来ません。それでも根気強く「ほらあそこ、ほら今度はこっちに向いた」と教えていると彼にもカワセミが視認できたようです。「あ、いた」うれしそうにつぶやく男の子。しばらく一緒に息を潜めているとカワセミは川面に向ってダイブして見せてくれましたが残念ながらその時は獲物を獲ることは出来ませんでした。場所替えのためか僕らに気付いたせいか、そのカワセミはしばらくすると飛んでいってしまいました。「おはよう」のあいさつも忘れてカワセミを見つめていた僕らはそこで初めて朝のあいさつを交わしました。そして話はすぐさまカワセミに戻ります。「なんでカワセミって言うの?蝉じゃないのに」、「カワセミの他にヤマセミって鳥もいるんだよ。きっと川に棲んでいるから川棲み、山奥の方に棲んでいるから山棲みって言ってたのがセミになったんじゃない」と僕も即興アドリブ学説で答えます。そんな僕の話に目をキラキラさせて聞き入っていた男の子。この子の目には今まで生きてきた中で見たどんな宝石やひかりものよりもこの緑色に輝くカワセミは美しく見えたのでしょう。しばらくの間うれしそうに「カワセミ、カワセミ」と言っていた男の子でした。
 その後も何人もの子ども達の手を引いて、僕の幼稚園坂道の往復は続きます。すると9時前ごろになってようやくその坂の上の山頂から太陽が顔を出し、坂道とそこを登る僕たちをまぶしく照らし出しました。陽に透かされたビニールハウスが美しく輝き、脇の路地に生る黄色いみかんをまぶしく輝かせます。自分達も光の中に融け込んだようなそんな気持ちにさせてくれる心地よい一瞬です。そこに「キチキチキチ」と鳥が鳴く声が響きます。モズの高鳴きです。早速手を引いている子ども達に鳥クイズ。「あの泣き声は誰の声でしょう?1.モズ、2.モスバーガー、3.わるきちキチキチデービット」、「1番!」と答える子ども達。これでこの子達の心に一羽の鳥が棲み始めました。僕お得意の外しようがない三択クイズ、子ども達も心得たものです。でもこうやって自分達の生活の中に名無しの『鳥』や『花』ではなく名前のついた生命が棲み始めれば子ども達の自然への関心はより大きなものになってゆくもの。人間同士でも「もも組の子」ではなく「もも組の○○ちゃん」とその子を認識できたなら相手への想いや興味も格段にふくらんでゆくもの。自然に生きているものに対してもそれってやっぱり大事なことだと思うのです。その鳥や花について深く知ることが出来たなら、それを大事にしてあげたいと言う想いも育つはず。名前で呼んだ瞬間からそれは自分にとってどうでもいい生命から自分にとっていとおしい生命へと変わるものだから。そのためにも先ずは大人が色んなことを学び勉強しなければと思うのです。こんなこと学校や塾の先生は教えてくれないですから。本当はもっともっと大切にしなければいけないもののはずなのに。

 一度自分との関わりを持って受け入れた知識と言うものは、子どもの心にしっかり根付くもの。僕の顔を見て「オリオン」とつぶやいてみせる男の子。この前のお誕生会にお話した星座と神話の話が今でも心に残っているようです。一緒にカワセミを見つめた男の子もことある毎に「カワセミ見たね」と話しかけてきます。そんな子ども達の言葉に、「僕はこの子達の心に何かを残してやれることができたんだな」とうれしく思うのです。ただの『知識』ではなく『感動』としてこの子達の心に残った日土の情景や幼稚園での思い出は、きっといつまでもこの子達の心の中に輝き続けてくれることでしょう。そしてそう信じながら、また草花や生き物達を指差しながら僕は今日も子ども達に、そして子ども達の心に語りかけているのです。


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