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<僕のもも組列伝、3月19日> 2010年3月19日、さわやかに晴れ上がった青空の下、僕は初めての『僕の卒園生』をこの日土幼稚園から送り出しました。この子達の誇らしげな、もうすでに先を見据えているようなまなざしに僕もうれしい想いで共感し、涙など気配すら感じさせなかった自分に「やっぱり僕は男なんだな」と思ったものでした。ただただ「ああ、小学生に間に合った」、それだけがうれしくって子ども達の笑顔を見つめていました。 一年前まで担任を持っていたこの子達。僕のB型保育、自分を伸ばし自分らしさを表現することを目指して走ってきたもも組の一年間でした。そこでも僕がこの子達に願っていたことは、『自分の足で、自分の想いを持って歩いて行ける人間になって欲しい』ということでした。 "子どもが前に進めず立ち尽くしていたら『一生背負ってあげよう』と思うのが母親の愛だと思います。でも『自分の足で歩いてゆく力をつけてやりたい』、これがたんぽぽさんに対する僕の願いです。"、これは4年前の僕が初めて書いたたんぽぽだよりからの引用です。こんなものを読み返してみると昔から同じようなことを言ってきた自分に恥ずかしさを感じます。でも今この文章の添削を許されるなら、『自分の足で歩いてゆく力』ではなく『自分の足で歩いてゆける想い』と直したい、今ではそう思っています。『力』と呼んでいたこの頃、僕は力というものを、そして自分を過信していたのだと思うのです。力はその時の力でしかありません。力はその時の自分を支えるものかもしれませんが、それだけでは前に進んでいこうとする子ども達の推進力としては常に足りないものなのです。一歩前に進んでゆけば、それだけ次に課せられるノルマやハードルは高くなるもの。一歩前の時点でそれを乗り越える力があったとしても、次の一歩ではもうその力は通用しないのです。次を目指し超えてゆこうとする想いだけが、永遠に子ども達を次の一歩へと導く糧となるのです。それもこの子達が教えてくれたことでした。 人がある問題と向き合ったときに選択する物事の考え方には『原理思考』理屈で物事を考える考え方と『対処思考』目の前の難局からどう逃れようか考える考え方があり、その傾向に男女による有意差があるのではないかと思わされた出来事がありました。うちの両親とも基本的に機会音痴なのですが、父親は出来ないなりにもがむしゃらに調べたり人に教えてもらったりとそういう行動を取る人です。そんな父に母が何か、例えば携帯電話のアドレスの登録などを頼むと「自分でやってみい、でなければいつまでたってもおぼえんやろ」と返します。言われて自分で出来る人でもないので結局は父がやるのですが、これが原理型思考です。確かに自分でやって覚えなければ、新たに登録する際にはいつでも人に頼まなければならない。理屈ではそうですが、つき返されるとついつい「いじわうー!」と言ってしまうのはたんぽぽさんだけではないようです。それも心情。だから自分で出来るようになる過程を学ばせるだけではなく、自分で出来るようになりたいという想いを引き出してあげること、これがやはり大事なもののようです。 またある時、何かを出しっぱなしにしていた母親に「また、やりっぱなし!」と言ったときのこと。カチンときたのでしょう。「分かっているなら黙って片付けてくれたらいいのに。私だっていつも何も言わずに片付けてあげているのに」、これが対処型思考。言う方はきちっと片付ける習慣をつけて欲しいという願いからそう言うのですが(こちらは原理思考)、彼女からしたら「そんな自分のだらしなさをあからさまに突きつけて責めるのではなく、対処救済してくれたらいいのに」そんな想いなのでしょう。この時、あのたんぽぽだよりのあの言葉を思い出したのです。"子どもが前に進めず立ち尽くしていたら『一生背負ってあげよう』と思うのが母親の愛だと思います"。そう、出来ないなら出来ないでいい、例え同じことの繰り返しでも自分がこの子の苦しみを取り除いてあげたい、それが女性の感性・『母性』というものなのでしょう。 それが分かったところで、どちらがいいかなどということは比較判断できるものではありません。例えば原理思考を突き詰めれば、泣いている子に向って「泣いたからって出来るようになるの!」と追い討ちをかけるようなことになるかもしれません。対処思考が過ぎれば、「この子はもうこれでいいんです、私が全部してあげるから」、溺愛で子どもを溺れさせてしまうことになるでしょう。そこで大事になってくるのがやはり『想い』なのです。泣いている子にはまず、その涙を一緒に乾かしてあげるよう寄り添ってあげる優しさが必要です。それは気の済むまで黙って泣かせてあげることなのか、優しい言葉をかけて慰めてあげることなのか、面白い話で笑わせてあげることなのか、その子その子によって違うでしょう。でも一緒にいてしっかり寄り添っていてあげればきっとそれがなにか、その子の望んでいること(それはその子にとっても無意識下での想いなのですが)はなんなのか、伝わってくるはずです。そして心をほっと落ち着けたなら、支えてもらった人の愛情を感じ、それを糧に新たな自分に挑戦してゆく想いを育んで行けるのではないでしょうか。でもこのようにある法則・定義でまとめようとしてしまうところ自体が、僕が男であり原理思考であるということの証しみたいなものなのですが。 卒園式では涙の気配さえも感じさせず、後ろで繰り広げられたごたごたの中、何事もなかったかのように式の進行を務めた僕でしたが、茶話会でのお母さん達の振り返りの言葉を聞いているうちにじわーっとくるものがありました。みんな人知れずしんどい想いをしてきたこの月日の中にあって、でもみんな最後に「こんなに大きく成長してくれたこと、うれしく思っています。ありがとうございました」と言ってくれたこと、本当にうれしいかったです。子どももお母さんもしんどい想いでいた時に僕らが心の支えになれたということ、そしてそれを大事に覚えていてくれたこと、それが本当に懐かしい思い出達であり、うれしい言葉達でした。 何の実績もない男性教諭の持つクラス、そこに大事な我が子を預けてくれて、頼りないアドバイスに一生懸命耳を傾けて聞いてくれたお母さん達。きっと勘違いな言葉にがっかりされたこともあったでしょう。でもそんな頼りない弟のような(年だけは僕の方がずっと上なのですが)僕を子ども達と同様しっかり見守っていてくれたお母さん達。皆さんから最後にいただいたのが素敵な洋服の数々だったのがそんな想いを伝えてくれました。いつも同じ服を着ている無頓着な男の子、きっとお姉さん達にはそう映ったことでしょう。最後に言い訳させてもらったなら、見栄えは気にしない僕ですが、汗のべたつきや匂いは気になる方で、夏のあのグレーのTシャツはプールや水遊びの度に一日二度も三度も着替えていたのです。十枚以上同じものがそろっていたので分からなかったかもしれませんがそれは自慢にもならないこと。デジカメの時代にあっても洋服よりもフィルムの一本にお金を使いたいという苦学生のような自分を演じるのに酔っていたのもあるのでしょうが、いつまでたっても頭と心はガキンチョな僕です。でもいただいた洋服達は僕が持っているどの洋服よりも素敵なものでした。本当にありがとうございました。 まだまだ19日は続きます。その夜の謝恩会は皆さんから大変な接待をいただきました。僕がHPやこの『園庭の石段』や『もも組通信』で一方的に投げ続けてきた写真や言葉達、それを大事に大事に手のひらで包むように持ってきて告白タイム。「『泣いてもいいんだよ』、この言葉に親子共々救われました。『あ、泣いてもいいんだ』って」と語ってくれたお母さん。今まで僕のひとりよがりのように感じていたメッセージ達がこんなにも人の心に息づいていたこと、そしてそれを知らせてくれたこと、本当にうれしかったです。マニアックとは知りながらもいろんなところで散りばめてきた僕の趣味嗜好、「私も『小山田いく』、好きなんです」とか「『さだまさし』いいですよね」なんて聞いてそこでまた新たな感動。毎年勝手気ままにぶらっと出かける東京への旅、「HPの『夏の軌跡』を見ていると一緒に旅している気がするんです」なんてなんとかわいいことを言ってくれるのでしょう。「しん先生の自転車に乗って写してくる空の写真が好きなんです。とっても癒されます」、名勝景勝では決してない地元の海や空の写真をこんなに喜んでくれるなんて感激。「どうしたらあんなにかわいい子どもの顔が撮れるんですか」、そんな話題に話が移ればまたまた頭をもたげるのは金八先生モード。「写真っていうものはあるものしか撮れないんですよ。子ども達は確かにあんなにかわいい顔で笑っているんです」、お酒も進んでだんだん話の起承転結は怪しくなってきましたが、でも想いは伝わったでしょうか。みんなお互いに最後の晩餐の想いがあったのでしょうか、最初で最後の晩餐でしたが。なんか最後の名残が惜しくって、「伝えなくっちゃいけないことは今しか伝えられない」、そんな想いで益々話しは盛り上がってゆきました。 羽目が外れれば女同士、出てくる話題は亭主の憎まれ話し。僕は笑いながら聞いていましたが、この期に及んでまたまた出てきました金八先生。「でもね、それってだんなさんの甘えだと思うんですけれど、お互いにそういう想いってあると思うんですよ。そんな時には心に余裕のあるほうが受け止めてあげる、そんなもんじゃないですかね。相手が甘えたい時には甘えさせてあげる、で自分がいっぱいいっぱいの時には甘えさせてもらう。『あなたはここまで』って線引きするんじゃなくて、この線ってお互いの心の状態で譲ったり譲られたりできたならいいと思うんですよ」、なんて独身男が何を偉そうにのたまわっていたのでしょう。今思えば恥ずかしい限りです。でも最後はどこのお家もラブラブエピソードが披露され、家庭内の円満を感じさせ、ほっとさせてくれました。 「幼稚園と離れるのが淋しいんです」と言う話から「もう一人!」という話で盛り上がったのも楽しい思い出です。でも「もう一人」って思ってくれるということは幼稚園に対する最大の賛辞だと僕は思うのです。「子育てって楽しい。子どもと一緒に成長してゆくことって素敵!」、そう感じてもらえた幼稚園であれたということ、それがなによりだからです。決して順調ばかりではなかった三年間。つらい思いをしたこともあったはずです。でも今こうして卒園を共に迎え、子ども、親、教師が一緒にがんばってこられたことを共に喜び笑えること、それが本当にうれしいことなのです。そんな皆さんに甘えて最後まで引き止めていただき、うれしい話をいつまでも話し聞かせてもらいました。最後はお店に「もう帰ってくれ」と言われて終わった謝恩会でした。 そんなうれし楽しかった19日のお話、もはや『園庭の』ではなく『列伝』の部類に入るのかもしれませんが、それもいいでしょう。だって僕らは一緒に三年間の時を過ごした同級生なのだから。少しお酒の残った頭で次の日のピアノ発表会ではさだまさしファン、そしてしん先生ファンの愛しいお母さん達のために心を込めて『夢一匁』を歌いました。いつまでたっても僕の頭と心は高校生から一歩も成長していないようです。『僕のもも組列伝、3月19日』のお話、おしまい。 |