園庭の石段からみた情景〜園だより5月号より〜 2009.5.20
<小さな草花の想い>
 新緑のまぶしい季節になりました。園庭のあちこちで伸び放題に伸び出した草花が子どもの遊び心をくすぐります。子ども達は花を摘み、草を引きしてうれしそうに遊んでいます。遠目にみればただの雑草。でも『雑草』という名の草花はひとつもありません。ここではみんな子ども達の心を育ててくれる大切な生命達なのです。

 今、子ども達の一番人気は『野いちご遊び』。幼稚園の中庭も緑の草が伸び放題となっていますが今年の春先、そこに野いちごが群生し白い花を咲かせました。ジャングルとなった緑の葉っぱに覆われてその白い花達は人目につくことはなかったのですが、赤い実をつけだす頃になると「こんなにあったのか」と驚くほどの野いちごに姿を変えました。それを一つ二つ摘んで子ども達の所へ持って行きます。「イチゴ欲しい人?」。それからこの野いちごは幼稚園一番の『人気物』となりました。みんな我も我もと連れ立って中庭のジャングル深く踏み入って行きます。斥候部隊のすみれさんの後からこの前まであだあだ登園で大騒ぎしていたばらさんまでついてきて、ゴールドラッシュならぬラズベリーラッシュで湧いたひと月でした。
 大きい子から小さい子までが同じ遊びに興じれば、子ども達の中に心の波紋が広がっていきます。手の届くところのイチゴがなくなれば、大きい子達はジャングル踏み分け更に奥に入って行きます。それを手前から見つめている小さい子。『やんちゃじょうちゃま・ぼっちゃま』のばらさんもすみれさんに向っては「ちょうだい」と言い出せません。僕に対してはやりたい放題なのに、すみれさんの前ではかわいいものです(なんででしょう)。山ほどイチゴを摘んできたすみれさん、手ぶらのばらさんを横目にちょっと後ろめたい気がしたのでしょうか。ばつの悪そうななんかへんな顔をしています。そこに「ばらさん採れないんだって。分けてあげてよ」と声をかけてあげると笑顔で「いいよ!」と答えるすみれさん。「ありがとう」とお礼を言うばらさんに、小さい子に優しく出来たことを誇らしく「わたしってお姉さん!」って顔ですみれの子達もなんだかうれしそうでした。
 わけてもらううれしさ、わけてあげる喜びが子ども達の心に波紋となって伝わっていきます。採ったイチゴでジュース作りとみんなで丸井戸のところでお仕事をしているところに後から登園してきた子ども達がやってきました。「イチゴ採りに行きたい」という彼らに「ちょっと待って」と返事します。中庭と言っても草むらジャングル。採りに行くには先生がついて見ていないといけません。はやる子どもを諌めながら横を見ると袋にイチゴを入れたばら組の女の子がありました。「○○ちゃん、イチゴ少し分けてあげて」とお願いすると「うん、いいよ」とあっさりOKの女の子。「また後で採りに行こうね」と声をかけるとにっこり笑ってくれました。自然の恵みをみんなで喜び、みんなで分かち合えた素敵なイチゴ遊びとなりました。

 またある雨上がりの日、ぬかるみ防止のために園庭に敷いた人工芝の目の間から草が生え出しているのを見つけました。ここで大きくなると抜けなくなり人工芝もちぎれてしまうので僕はしゃがみこんでその草を引いていました。そこにやってきたのがばら組の男の子。興味津々の顔で僕の作業を見つめています。雨で土も柔らかくなっていたのですんなり草は抜けてゆきます。抜けた草をかざしながら「ほれ、ほうれんそう」とその子に見せると「おー!」と大喜びの男の子。立派に茂ったそのはっぱがいかにもほうれんそうに見えたのです。それがこの子の心にヒットしました。自分も草を引いて「これは?」、「これは?」と聞いてきます。ごぼうのように長く伸びた根っこや抜いた先の根が少しオレンジ色に色づいた草もあって、「これはごぼう」、「これはにんじん!」と二人で命名していきました。その遊びが気に入ってしまった僕らはそれから台車一台分、園庭の草を引いて回りました。
 そこにやってきたのがすみれの女の子。一緒に混じって『やさい草引き遊び』を楽しんでいたのですがある草を抜こうとしたとき、ふと声をあげました。「おはな!」。顔を近づけてよくよく見てみるとその草は1mmにも満たないような水色の花を咲かせていたのです。「かわいい」ともらす彼女に「これは置いておこう」と声をかけるとその子は手折ることもなくずーっとその小さな花を見つめていました。
 どこにでも勝手に生えて伸びてくる困り者のような草たちも、こうやって小さなきれいな花を咲かせて種をつけ、生命の営みをつなげているのです。きっと高いところから見下ろしている大人の目では見つけることは出来なかっただろうこの小さな小さな花。文字通りしゃがみこんで子どもの目線になったからこそ見つけられた花たちでした。でもこれって子ども達の心そのものなのかもしれません。目に見えてきれいな花、大きく形の整った花たちは多くの人の目を引き、水をやったり手をかけてもらったりして(人で言ったら認められたりほめられたりということになるでしょうか)更にきれいに大きく美しく育ってゆきます。でもこんな小さな小さな花たちはどうでしょう。他の花と同じように一生懸命咲いているのにその小ささゆえに見落とされ、踏みつけられたり雑草として引かれてしまったりするのです。自分の想いを説明できない子ども達の心を僕たちは日常の中で「なにまたわからないこと言ってるの」と根こそぎ引っこ抜いてしまってはいないでしょうか。この小さい花を見つめながらそんなことをふと思ったりもしたものでした。

 自然はただただ黙って季節の移り変わりの中でゆったりとその生命の営みを繰り返しています。私達がその中に身を置き静かに自分の心を見つめた時、自然はそして子ども達はその小さな想いを私達の心に語りかけてくるものなのかもしれません。


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