麓屋のカウンターに想いを寄せて〜書き下ろし昔物語〜 2009.5.26
<すばらしい日々4〜続生物部列伝〜> 
 あの当時豊多摩高校生物部は蝶班、鳥班、甲虫班、水棲班、植物班と五つの班に別れて活動をしていました。その年の生物部夏合宿は信州清里高原でした。日頃、相手に対しては面倒見のよいI、でも自分から頼み事などしたことのなかった彼が僕にある時つぶやいたのです。「合宿、水棲班で行ってくれない?」。
 総勢30名といない生物部の合宿、参加人数は20名程だったでしょうか。そんな中、水棲班はOBの先輩1名とIだけ。合宿の行動は班単位のスケジュールで水棲班はM先輩とI、そして顧問のA先生の3名だけのこぢんまりプロジェクトでした。M先輩は気さくな人でしたがそれでもせっかくの夏合宿、同期の道連れが欲しいと思うのが人の情というもの。「水棲やりながらも鳥は見れるから」と言うIの言葉に変に納得してしまったこと、日頃お世話になっているIに恩返しをしたいと思ったことも多少あったでしょうか、そのオファーを了承した僕でした。
 人間というものは概念に縛られる生き物です。しかし時にそれをなんとも感じないマイペースな人がいるものです。それがM先輩とA先生でした。M先輩は行動派、水棲昆虫を捕獲する為のアイテム一式を装備した上に蝶を捕獲するための網を手に持ち、首から鳥を見るための双眼鏡をぶら下げ、『班のテリトリー』なんてあってなきが如しの臨戦態勢の姿を示し僕らを鼓舞していました。そのスケールの大きさに「○○班だから・・・」なんて言っていた自分達の小ささを今更ながら恥ずかしく思います。でもそんなM先輩に引きずられ僕らも野鳥を観察しいの、水棲昆虫採集に川に入りいの、滝壷の落ち込んだところではルアーキャストをやってえのしながら班活動を楽しみつつ高原の自然の中を歩いて回りました。
 A先生は白髪に眼鏡がよく似合う品のいい御老体。生物の先生なのですが一日一緒に僕達についてきても、僕らの活動時間には木陰に隠れて読書タイムを始めてしまう御仁でした。水棲班の活動フィールドは深い森を分け入って流れる清流ですから、マイナスイオン一杯の心地良い空間。昼寝をしたり読書をしたりするのには最適の班だったのでしょう。先生にとってははなから避暑地のバカンスを愉しみながらの合宿引率のつもりだったらしく、「今日はどうでした?」と尋ねる僕らに「今日は文庫本が2冊も読めました。いい日でした」と言って返すこれまたツワモノ級のマイペース教師でした。このA先生の名言は今でも僕らの語り草になっています。
 僕は僕で3泊4日の間、山道までもビーチサンダルで歩き通し、くっきり足に焼きついた鼻緒の痕が妙に誇らしくて、そんな想いを今でもしっかり覚えています。あの時早朝探鳥に出かけた清泉寮前の砂利道は今では舗装された車道にと姿を変えてしまいましたが、清里方面に出かけた際にはついつい立ち寄ってしまうのはあの時の思い出に会いに行くためでしょうか。あの夏、釣竿担いで歩いた清里で、たったの一度だけでしたが大きなあたりに遭遇し、針を折られて逃げられたあのバトルも語り草。今から思えば針が錆びてて折れただけのことだったのですがあの魚、あれは一体なんだったのでしょう。今でも青春の記憶の中でゆうゆうと泳ぎまわっている史上最大の大物です。逃がした魚は大きかった。

 またある時Iが世話していた部室の水槽に後輩が珍しい淡水魚を持って来ました。南米産のなまずの一種という触れ込みだった気がしますがIはなんだかんだ言いながらもお世話をしていました。『なまず』ということでいわゆる肉食魚、餌の確保が水棲班の課題となりました。そこで僕らはひょうたん池にくちぼそを獲りに行きました。くちぼそは体長数センチの小さな魚。僕らの捕獲アイテムは『四つ網』と言ったでしょうか、ちりとりを大きくしたような形状の網の対角にたすき掛けにフレームを渡して籠の形にする折りたたみ式の網です。これでくちぼそをすくい取るのですがそれなりに獲れたように思います。今でも東京に帰ると散歩のついでに立ち寄るひょうたん池。がまの穂が生い茂りあの当時の面影を色濃く残しています。今では偉そうに張り出されている『釣り禁止』の立て看板のせいか釣りをしている子どもの姿はありません。あの当時こんな看板があったかどうか定かではありませんが、池畔の木の枝には何重にも絡みついたリール竿のラインをよく見かけたもので、みんなここで釣りに興じていたのでしょう。今このほとりを歩いて見れば本当に遠い遠い昔話のような気がします。
 釣果のくちぼそを持ち帰り部室のなまず君に与えます。この西洋なまず、根は獰猛なはずなのですが態度怠慢なのか夜行性なのか苦労して手に入れてきたご馳走に大喜びで飛びついては見せてくれません。しばらくは水槽を見つめていた僕らも愛想がつきて帰宅の途についてしまいました。次の日、部室に行ってみると数が減っているくちぼそを見て「やっぱり食べたんだ」と少し納得。「こいつらは一週間に一回食べればいいんだ」なんて言って食事と餌採取のスパンを適当に決めて、それでも何回かひょうたん池に通いました。
 その食事サイクル論はそれなりに当っていたようで、この水槽でしばし生き延びたこのなまずが餓死することはありませんでした。誰でも自由に入れる生物室。生物の授業でも使われます。高校生なんて兎角ふざけたもので、ついつい目に入った目新しい物には何かしたくなるもの。ある日の放課後部室に行くとこの水槽が泡だらけになっていて僕らはびっくり。どうやら誰かがそこにおいてあった中性洗剤をいたずらで入れたようです。一人怒りながらも水槽を洗い、水を替えてやっていたIでした。こうしてIのおかげでなんとか危うい生息環境の中でも寿命を長らえさせていたなまず君。僕たちが卒業した後しばらくしてこれまた事故かいたずらか、水槽に入っていたヒーターが壊れ、ゆでなまずとなって死んでしまったそうです。


戻る