園庭の石段からみた情景〜書き下ろし園だより8月号〜 2009.8.11
 <トムソーヤの大冒険'09夏>
 今年もやっと梅雨明けが訪れ、暑い太陽の陽射しの下、僕らの夏休みも8月に突入しました。わずか十日ほどではありましたが久しぶりに見つめあった子ども達の顔は浅く日焼けし、『夏小僧』らしいいい顔をしています。「夏には夏にしか感じられないこと・伝えられないことがある、それが何かはわからないけれど、それはマニュアルにはならないけれど、一人一人の顔を真近で見つめていればおのずとそれが何かを感じられるはず」。そんな想いで勇み迎えた夏期保育、僕はすみれ・もも組と一緒に日土小学校のプールに遠征、ひと夏の大冒険を満喫して来ました。

 自分達の胸ほどまで水の蓄えられたプールに子ども達も大興奮。準備体操、水慣れのための水掛合戦の後、自由時間となり、蜘蛛の子を散らすようにプールのあちこちに散らばってゆきました。そう、子どもの遊びは自由が一番。プールの中で「何して遊んでいいかわからん」なんてぽつんと立ち尽くしている子など一人もいません。みんな思いのままに、自分の感性に導かれ水の中で遊びます。さすがすみれ・もも組ともなると泳げるようになってきた子もあってすすすーと泳いで見せてくれます。それがちゃんとできたのを見計らった上で「見て!見て!」と自分をPR。うれしそうに何度も何度も目の前を泳いで見せてくれるのです。自分の成長を喜ぶと共に「それを評価して欲しい」、子どもの想いはいつの時代もいくつになってもおんなじです。何回も「見て見て」言う子ども達につい目線を外すとすぐさま文句の雨あられ。「見てって言ってるのに!」、そうです、これは僕が悪かった。これはいつも「がんばれ!がんばれ!」言っている僕達大人の責任です。ちゃんとがんばった子ども達を彼らが満足いくまで見届けて、「がんばったじゃん!」と評価してあげることが出来ないのなら「がんばれ!」なんて言ってはいけないのです、きっと。でも僕らはついつい出来た『結果』だけを評価して、出来たところを一度だけ見て、「できるのはわかったからもういい」なんて冷たい言葉を子ども達に返してはいないでしょうか。それはきっと間違いです。つれなくされた子ども達の顔を見つめていればわかります。とても切なそうな、淋しそうなそんな顔をしているはず。評価すべきは『出来た結果』ではなく『がんばっているその子の姿』なのですから。

 そんな子ども達の想いを感じることが出来るのも一緒にプールに入っているから。今年もやってきた水中カメラによる『潜れる人!撮影会』などをやるとよくよくわかります。子どもも僕も一緒に潜るので目線はいつも同じ位置。必死に潜っている顔が手に取るようにそこに見えるのです。しかも僕よりも長く潜っている子もあったりして視覚的に、そして体感的に「すごいなあ」と感動することも出来るのです。これをプールサイドの上から見下ろしていたのでは子ども達の頑張りがこんなにも伝わって来ないでしょう。幼稚園の教師は体力とモチベーション勝負。共に泳ぎ走れなくなったり子ども達と一緒に心から楽しんで遊べなくなったら潮時、身を引くときなのかもしれないなんて思うのです。それは子ども達のことを、子ども達の想いを感じられなくなったということなのだから。だからその時が来るまでは子ども達と精一杯、自分のすべてをぶつけて楽しく遊ぼうと誓っています。でもはたから見ればただただ年甲斐もなく遊んでいるだけのように見えるかも知れませんね。
 しかしそんな想いを感じてくれたのでしょうか、ある男の子がそばにやってきて「潜るから見て」と言ってきました。その子を見ると夏前にはシャワーの水かぶりも嫌がってたあの男の子ではありませんか。うれしい想いに包まれながら「じゃあいくよ」と先に潜ってその子を水の中で待ちます。すると鼻をつまみながらその子の顔が水の中に入って来て、しっかり数秒間水の中に潜っていました。「すごいじゃん!」と撮った写真を見せてあげるとその子もうれしそうに笑ってくれました。ゴーグルを取ればこれでもかというほどきつくゴムの跡がついた男の子の顔。やっぱり水は嫌で一滴も入らないように完全防備で挑んだのでしょう。でもそんな自分を自分自身で押し出して潜って見せてくれた男の子、この夏一番のがんばりを感じさせてくれました。本当によくがんばりました。

 またまた別の男の子。最近「ほらできない!」、「また出来てない!」の先生の言葉にへこみ気味で何をやっても自信がなさそうな顔をしています。その子が「向こうまで競争しよう」と言ってきました。小プールの端から端まで15mほどでしょうか。それを競争しようというのです。僕が苦手なのは水泳とマラソン。それでも「この子の想いに応えてあげなければ」とつたない泳ぎで相手をします。平泳ぎなら25〜50m位なら泳げますが苦手はクロール。そんなレベルの平泳ぎや下手なクロールで男の子の相手をして向こう岸まで何度何度も泳ぎました。その子とたいして変わらずに泳ぎ着くのは僕の精一杯。でもその勝った負けたでその子は大喜びし、久しぶりにあの子本来のあのニコニコ笑顔を見せてくれました。僕ら大人が子ども達にするべきことは『出来る・出来ない』の現実を突きつけることではなく、『がんばって出来たことのへ喜び』を感じさせてあげること。がんばって出来るようになれば、その喜びを心一杯に感じさせてあげられたなら、その子はまたがんばってまた先に歩いてゆけることでしょう。そう、きっとこの子ならできるはずです。

 たった三日間の夏期保育の中にも学ぶべきことがこんなに沢山ありました。でもこれはみんな講習会の講師の先生の話ではなく、目の前の子ども達が教えてくれたことです。子ども達をしっかり見つめること、それが保育の始まりなのです。


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