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<'09夏・帰京4〜音楽仲間> 無事に東京にたどり着いた次の日、豊多摩高校生物部の同期Iとその友達がまたスタジオ飲み会を催してくれました。僕らはIの家からあのピアノスタジオまで自転車を走らせました。Iのお家で借りたママチャリ、何年ぶりの自転車でしょう。自転車を走らせ通り行く杉並の懐かしい道がなんかうれしかったです。やはり杉並は自転車。後日、高校時代に自転車で走り回っていた阿佐ヶ谷辺りを歩いたのですが、その距離が果てしなく遠く感じられました。自転車でさっと通り過ぎていたあの道も自分の足で歩いてみれば相当な距離です。それが小学生時代と違うところ。小学校の思い出をたどって歩いてみてもたかが知れているのに、高校の活動範囲とはそれほどまでに広いものだったのです。今回、自分で歩いてみてあの頃のバイタリティーと自転車の偉大さを身にしみて感じました。 自転車を漕げば足や太ももに感じる負荷が心地良く筋肉を刺激します。ということはそれほどまでに筋力が落ちているという証拠。たかがママチャリの軽いペダルを漕いでいるに過ぎないのに。日土に帰ってから僕は早速自転車、それもママチャリを購入してしまい、日土の田舎道を走り回っています。坂道やギヤ比の高い設定で足にかかる負荷を意識しながら、足の張りを心地良く感じながら。これは後日談。 今年はギターと歌集を持参しての帰京。この日のことを実は待ちわびていたのかも知れません。口下手で人見知りな僕も、ギターを持つと人格が変わるよう。普段しゃべる言葉の音量を1とすると子ども達に向き合えばそれが3になり、ギターを持って歌い出せば5にも6にも上がります。僕はしゃべる言葉の音量が大きくなると言葉のニュアンスとか息遣いとか、そこに乗せて伝えたいものが全部吹き飛んでしまうような気がするのです。自分を押し付け、相手をねじ伏せる恫喝としての言葉ならそれでいいのかもしれません。でも相手の想いを感じ、自分の微妙な心を伝えたい、そんな時には相手や自分の言葉を自分の耳で聞き返しながらしゃべるのでどうしてもダイナミックスが小さくなってしまいます。でも歌ではそれらの自分の表したいことがそこに表現できるのです。言葉一つ一つが長さや高低、強弱によって表され、言葉だけではうまく伝わらない想いも思うように表現できるのです。だからきっと僕は歌が好きなんです。 会場に到着するとまずは乾杯。僕らが長年飲み続けている馴染みのビールで飲み会のスタートです。「なんかやってよ」の言葉を皮切りにまずは僕がレパートリーを披露します。今年再結成したユニコーンにはまってしまった僕。奥田民生のソロ時代からしか知らず、ユニコーンを聞いても「ソロの方がいいな」程度にしか思っていなかったのですが、再結成と同時に新譜アルバムを出してきたおっさん達のバイタリティーとメイキングDVDの馬鹿馬鹿しいやり取りにすっかりはまってしまいました。だるだるそうなソロ奥田節の原点を感じさせる『すばらしい日々』は「俺が俺が!」の時代を通り過ぎ「こんなもんでしょう」と気だるく歌うくせに熱いUc時代の名曲。その構え方が僕らの高校時代の生き方を思い起こさせ、今頃歌うようになりました。誰もが1番を目指し、誰もが時代を追いかけていたあの頃、僕らの仲間だけはそんなものから一番遠い所にいたような気がします。誰がリーダーでもなく、誰とも競うこともなく、でも一緒にいればなんかみんな熱かった。そんなあの頃をひとりで思い起こしながら、まず一曲弾き語りをやりました。 歌い終わると「いい声してる」とお褒めの言葉。でも自分達の歌えない歌に少し欲求不満。音楽家というのは所詮、人のを聞くより自分でやることを楽しむ人種のようです。奥から持ってきた二冊の歌集。全く同じ本が2冊。それをあっちとこっちで見開いて、「最初からいってみよう!」とギター弾き語りの歌会が始まりました。最初は加山雄三など湘南サウンドが並んでおり、「キーが低いよ」と言ってカポをはめながらも♪もーしもこの船でー なんて僕がギターを弾けばみんなそれなりについてきます。歌には通し番号がついていて「つぎ、○○番!」なんて言いながら歌会は進み、『いい日旅立ち』とか『襟裳岬』、『大阪で生まれた女』なんてのも歌いました。歌えるキーに転調で下げたり、カポで上げたりしながらそれなりに対応して弾けるのが僕の特技。で、次に出てきたのが『精霊流し』でした。Iがおもむろにバイオリンを手にし、イントロを引き出します。僕のことを「何でも弾ける!すごいすごい」と言いながらIはさすが、もっとすごい。僕が適当にカポをはめ、キーが何度上がっているか分からないのに、それに乗せてちゃんと弾いてみせるのです。僕は2度とか5度とか決まった転調ならそれなりに弾けたりもしますが、「カポなしでキーがCのものをいきなりD♭に転調して弾け」みたいなことは出来ません。音楽ひとつとってもそれぞれ楽器が違えば得意どころも様々だな、とお互いに感心してしまいました。飲んで歌って、夜遅くまでその日の宴会は続いてゆきました。 それからもIは自分の音大OBの音楽会や、知り合いの主催する音楽教室の清里合宿に僕を連れて行ってくれました。僕はそこで音楽を通じて今もIが?がっている人達と知り合うことができました。Iはそこでも僕に『精霊流し』や『神田川』をやらせようと自分の楽譜をかばんにしのばせていたのですが、相手が元N響のトップバイオリニストだったり、現役G響のメンバー達だったりで、僕の腰が引けてしまいその人たちの前でやることはありませんでした。僕よりIの方が残念そうだったのがおかしかったです。そんな彼の気遣いに本当に感謝しています。いつかジャンルや技量を越えて音楽仲間としてこの人たちの中に飛び込み、僕の歌を聞かせることのできる日が来るよう、また心と技を磨いてゆきたいと今、思っています。 |