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<'09夏・帰京7〜成蹊大学写真部列伝> いよいよ今回の帰京シリーズも最後の旅となりました。日土への帰路の旅、と言ってもしっかり寄り道プラン満載の旅なのですが。最後の旅の道連れに選んだのは大学時代の写真仲間。熊谷在住の後輩Nと横浜住まいのK先輩です。帰京の際、写真部の仲間として声を掛ければ撮影会に付き合ってくれる友人達なのです。バブルの時代と写真ブームに乗っかった大学時代、写真部にやってきた部員は数多くありましたが、みんないつしかカメラを置き、撮影会にもやって来なくなりました。今では一緒に写真を撮りながら歩く写真仲間はこの二人だけになってしまいました。 写真仲間の中で、撮影会を企画立案するのは僕の役割。誰もやる人がいなければ、「それなら僕が」なんて調子に乗ってしまうのが僕の性。誰かが「俺やる!」と言ったなら「じゃあお任せします」なんてその気が薄れてしまうのはやっぱりB型なんですね。その代わり任されたからには『俺流』でとことんやってしまうのが僕の流儀。流れ、脈絡、一筆書き、なんてキーワードの好きな僕は撮影会のコースを練るにも、「ここ行ったら次はここまで行ける」なんてぐるっと歩いて1日行程20Kmなんてプランをざらに立ててしまうのです。「せっかくここに来たのだから後戻りなしでこの辺りを制覇しよう」なんて今考えれば恐ろしい発想をする人でした。そんな僕にいつも付き合ってくれたのがNとKさん。「撮影会、どこでもいいよ」って優柔不断に言う言葉の責任を取って、僕のプランをいつも最後まで一緒にやり遂げてくれる素敵な写真仲間達なのです。 Nはカメラ好きが講じて大手カメラメーカーに入社して働いています。もっとも部門は全く違うところなのですが、「社割りで安く買える」なんて言って高いカメラを買わされて何台も持っているカメラおばか。ボーナスの現物支給なんてうわさもありますが、でも本当にカメラと写真が好きな男です。Nのタイプは拙攻型。学生時代の口癖は「やっちまった!」でいつもちょんぼしながらも明るく笑っていた姿を思い出します。Kさんは僕の二つ上の同学部同学科の先輩。僕が入った当時の写真部部長で、四年生幽霊2、Kさん達三年生二人、二年生一人+幽霊2という絶滅寸前の写真部を守っていた誠実な、でも力みのない人でした。そんなKさんとコンビを組んでいたのが同期のMさん。この人が型破りな人でセオリーだの常識だのどこ吹く風。そのしっぺ返しをたびたび食らい自爆を繰り返しながらも我が道・我が哲学を求めて歩くスケールの大きな、ちょっと変な人でした。そのMさんの危険なノリと堅実でありながらゆるゆると自分を貫くKさんのスタイルが、僕のこの写真に対する心のスタンスを育ててきてくれたのだと思っています。撮影会における未知なる挑戦、無茶振りプランニングはその辺りから発生してきたのかもしれません。 今回の撮影会も僕が日土発のE−MAILで発信して日にちと集合場所だけは整合が取れていたのですが、その後はなかなか連絡が取れず、「後は撮影会前日にこちらから電話を入れます」というメールを送って僕は日土を後にしました。東京での日々はあっという間に過ぎゆき、前々日の晩、僕はNのケイタイに電話を入れました。何度電話しても応答がありません。自宅に電話してもなしのつぶて。「まあもう一日あるから」と思いもう一日待って電話した僕。それでも電話を取る者はありませんでした。さすがにあせり始めもしたのですが、「一応約束は出来ているし、僕はただの帰り道。会えなくったってただただ家路に帰るだけ」といつもの調子で高をくくり、出発の朝を迎えたのでした。 当日、Iと彼のお母さんに見送られ杉並を旅立った僕。別れ際に感じた少しの淋しさと引き換えに、環状八号線を走り出せば見知らぬ新しくなった道にドギマギキョロキョロし始めます。開かずの踏み切りが幾重にも重なっていた環八が皆、立体交差の地下道となり、渋滞することなく先へ先へと走ってゆけるようになりました。ただ関越高速の道路標示を見つけられずに、迷い出した僕とブルーバード。「このへん!」と環八を抜け出せばそこは谷原、ちょうど関越練馬ICの入り口でした。危ういところをまずは奇跡のエスケープで無事に関越道に乗ることが出来ました。途中、多少の渋滞はあったものの、早めに出てきた僕は予定の40分前に約束の寄居PAにたどり着きました。さあそこからが奇跡の再会物語の始まり始まりです。 僕とNとKさん、ケイタイを持っているのはNだけなので彼にハブになってもらって連絡を取ることにした僕ら。だからNと連絡のつかない僕にはKさんの動向も掴めません。「まあ、二人のうちどちらかは来るだろう」なんて高をくくった確率論をつっかえ棒に、じっとベンチで二人を待ち続けます。入ってくる車を目で追いながら、「ちがうなあ」なんて見つめていればだんだんとドギマギしてくるものです。「僕はもう着いているからいいけれど、二人とも来れなかった場合、何時まで待っていたらいいだろう、一時間ぐらいかなあ」なんて考えてもみましたが炎天下のPA、円覚寺の木陰で一時間過ごすのとは勝手が違います。それでも「二人が来ないで更に連絡も取れなかった場合がやっかいだな」と相手が遅れてこちらに向っている場合のことを心配する他はまだまだ心に余裕がありました。こうなれば「天の神様の言うとおり。気の済むまでここで待っていればいいじゃないか」と思い始めた頃、そんな僕の目の前に姿を表したのはN、思わず両手を振って「こっちこっち!」と奇跡の再会を喜んでしまいました。 Nの第一声、「お久しぶりです。Kさん今日、来れないそうです」。おー危なかった。最後の1/2の確率が僕らを救ってくれました。そんな危うい僕らの撮影会。今年の撮影会はそんな奇跡の再会からスタートしたのでした。 |