ひとり股旅、心の軌跡(ローカス)          2009.8.28
<'09夏・帰京8〜続成蹊大学写真部列伝> 
 今年の写真部撮影会、当初の計画(黒田立案)では寄居PAに集合した後、碓氷峠あたりで『峠の釜飯』昼食(横川名物)、その後小諸懐古園から見下ろす千曲川を眺めながら島崎藤村の大正ロマンに想いを馳せ、夜は松本あたりで一泊飲み会。翌日上高地入りして、大正池から明神まで散策し、その後、嘉門次小屋にて岩魚定食で昼食を、という計画を立てていました。Kさんの不参加を告げた後、申し訳なさそうに切り出すN。「俺も明日仕事入っちゃったんですよ、すみません」という言葉にこちらが申し訳なくなってしまいました。遠くからやって来て無理を投げかける僕にそれでも付き合ってくれるN。「その分、思いっきり今日は遊びましょう」と相変らず前向きなNの姿がうれしかったです。早速日帰りプランを再構成。直接小諸まで出て懐古園で過ごし、その残り時間を見ながら山越えで車山をオプションにつけようということで話はまとまりました。2台の車が走り出します。僕らの撮影会旅行が始まりました。

 一時間ちょっとで小諸へたどり着き、懐古園の門をくぐります。小諸城址、懐古園。石垣が残るだけの城跡ですが、小山田いくのコミック『すくらっぷブック』に描かれたこの場所を知ってから度々訪れた僕のお気に入りの場所です。特に見晴台から見下ろす青田に包まれた千曲川は見る者に叙情を抱かせます。懐かしいあの風景に会いたくていつもの場所に赴けば、見晴台が新しくなっていました。こういうものは新しくなると昔の風情が損なわれ、往々にして残念なことになるもの。でも新しい見晴台は少し間取りや建ち位置も変わったのか、あの千曲川の展望がより見通せるようになっていました。崖に生える雑木達、長いことほっておかれたろうその林はいつしか自身の枝と背丈で千曲川の姿を覆い隠し、遠景に見える千曲川を小さく小さくしてしまっていました。それが今回の改築に伴って林も手入れをしたようです。すっきりと視界が開け、初めて自分の目ではっきりと見通した千曲川に本当にうれしい想いで一杯でした。また左手には千曲川をせきとめるダムがあるのですが、昔からそこに掲げてあった『東京電力』の看板、これもなくなっていました。これも小諸の人々の思いやりなのでしょう。いつも写真を撮るたび、しっかりと刻まれてしまうその文字に残念な想いを感じていた僕。何年に一度しか来ないくせにそんなところに不満を感じてしまう僕らのわがまま。でもそんな気まぐれな旅人の想いを満たしてあげたいと、小諸の人々がもてなしの心をもって働きかけてくれたのでしょう。現代の僕らが見ても『千曲川のスケッチ』として恥ずかしくない新しい美しい情景が、そこに生み出されていたのでした。人を思いやる心は本当に素敵です。僕らも日土を訪れてくれる人のことを思ってこんなことができるでしょうか。久しぶりにそして初めて幼稚園を訪れた人々に、希望と勇気、そして満たされた想いを与えてあげることが出来るように僕らも何が出来るか、しっかり考えて行かなければなりません。その想いと行動があの日土の森に再び人々を招きよせてくれる日がきっと来るだろう、そのことを教えてくれた今回の小諸再訪でした。

 懐古園を一回りした後ベンチに座り、久々にNと語らうひととき。お互いに変わっていませんでした。ただ昔は『何キロ歩いた』、とか『何時間歩いた』というのが僕らのステイタスだったのが、今はこうやってゆっくり時間を共有することの方がうれしい歳になってきたようです。ファインダーを覗き込みながら、またベンチに座りながら投げかけ受け止める言葉の一つ一つが温かく、とても心地良いひとときを過ごすことが出来ました。付設の美術館や資料館、動物園も見て周り、蕎麦屋で信州そばを味わいながら、小諸で過ごした時間がたっぷり4時間。これは撮影会の中ではとてもゆったりとした贅沢な時間でした。
 その時点で時計は午後2時をまわり、「オプションの車山はどうしよう」という話になりました。ここから車山までは一時間ちょっと。ちょうど夕暮れ前に間に合うくらいという感じだったのですが、今回はNが「行きましょう!」といつになく積極的。N自身も最後の夏休みの一日を思いっきり味わいたいという思いに駆られていたのでしょう。そこからナビつきのNの車に導かれ、2台の車は車山を目指しました。いつもなら迷って迷ったあげくたどり着く僕らのドライブ。さすがに今回はナビのおかげで残り少ない時間もロスすることなく、3時半頃目的地に到着しました。日暮れが迫る車山、今回はリフトを使って駆け上がります。「軟弱になったなあ」と言いながらも歩いて登ればきっと日が暮れてしまいます。昔だったらありえなかったリフトに気恥ずかしさと堕落感を感じながらも山頂に立てば、光線の寝始めた柔らかな光が高原を包み込むすばらしい風景がこの目の中に飛び込んできます。この風景を見渡せば何で来たにせよ、「またここに立つことができて本当に良かった」、とあきらめずに来れた自分達をうれしく思えます。そしてこのすばらしい風景を夢中で写真に切り取ったものでした。
 帰りは徒歩で下山です。途中、一緒に歩く周りの人の姿がだんだんなくなり、リフトは先に営業を終了し、高い山陰に太陽が隠れ始めたりして高原の日没を思わせます。Nがしきりに「やばいですよ」と言い始めますが僕は僕で「大丈夫、大丈夫」。片方が引けば片方は押す、それが僕らのバランス感覚。二人して「やばいー」とはなりません。そんなおかしな押し問答を続けながらもすばらしい風景に出会えばそんなこと忘れて無心にシャッターを切る僕ら。こんな風にしながらなんとか日暮れ前に下山することができました。夏の終りの高原の夕景は、幾分かの顔のほてりと足の張り、そんなものと一緒に僕らの心にしっかりと焼き付けられたのでした。


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