ひとり股旅、心の軌跡(ローカス)          2009.8.29
<'09夏・帰京9〜旅の終り> 
 諏訪の『ほうとう』を食べさせる店で夕食を食べるNと僕。僕らは車山からここに至る道の途中、遠くの山に沈んでゆく太陽とそれが染め上げる夕空を見つけて車を止めました。空の色は刻々と変わり、ほんの一枚のつもりが気がつけばフィルム一本分も写真を撮っていた僕。Nも自慢のデジカメラをさっそうと構え、気の済むまでシャッターを切り続けていました。陽の落ちた高原の夕暮れ、背中を吹き抜ける風は冷たさをも感じさせます。太陽が沈みきった頃には、僕らは夏なのに凍え、身体を震わせていました。そういう訳で飛び込んだのが信州の味噌煮込みうどん、『ほうとう』のお店でした。夏なのに。僕らの撮影会はやはり非常識で、よくよく奇妙な方向へ行くようになっているようです。
 とろろ麦ご飯とのセットを平らげた僕ら。ただでさえボリュームのあるほうとうに麦飯も食べて、おなかは今にもはちきれそう。それでもこれから迎えるロングドライブに向けて準備万端、「後は日土に帰るだけ」の心境です。今年はたっぷりゆっくり過ごせた在京生活に心残りはありません。『一人で上高地』、という選択もありましたが今回はここまで走ってきてもう満足。心もおなか一杯です。Nと再会を約束して僕らはそれぞれの帰路につきました。

 帰りは中央道を名古屋に向けて車を走らせます。漆黒の闇の中、僕とブルーバードは旅の思い出を思い起こしながら走り続けます。みんなが変わらずに元気だったこと、発起人のはずなのに僕がみんなに一番お世話になってしまったこと、そんなことをうれしくありがたく思いながら、また少しセンチメンタルに浸りながら走っていると突如空が明るく光りました。ここは飯田あたりでしょうか。山越しに赤く光るひかり、それは打ち上げ花火でした。今日は土曜日、お盆も過ぎましたが週末になると各地でみなの帰郷を祝い、また別れを惜しむ花火大会が行われます。それはきっと田舎を離れて遠いところで日々の暮らしと精一杯向き合って生きている家族への、そしてまたこうして自分達のところに戻ってきてくれた家族に対する、田舎で暮らす人々のもてなしの心なのでしょう。そんな想いのおすそ分け、高速道路を走りながら受け取らせてもらいました。ここの人たちとは何の関わりもない僕ですが、花火を上げているのはあの東京の友人達ではないのですが、ここに来るまでの想いもあいまって、「またおいでよ」と言ってもらえたみたいでうれしかったです。
 人は自分を迎え入れてもらえたとき、自分の存在を認め、また認めてくれた人達のためにがんばって行こうという気力を再生することができるのではないでしょうか。「がんばる!」という想いには寿命があります。いつまでも一つの想いでがんばり続けることはできないのです。でも僕らが抱くその想い、それは再生し新しい命を得ることもできるのです。そうあの高原の草花のように。ひと夏限りの命の草花、でも彼らは花を咲かせ実を結ぶことで自分達の命を紡ぎ、ただただ朽ちてゆくだけのはずの命を永遠のものへと昇華しているのです。東京で多くの仲間達に受入れられ、お互いの存在を認め合い、また新しい勇気をもらって日土に帰ろうとしているこの僕のように。でもそれはきっとお互い様、僕がこの夏会った仲間達も、僕や旧友に会い、今の自分を確かめ認め合えたことによって再生し、すでに新たな自分へと歩み出しているはずです。否定ではなく自分を、そして相手を認めること、それがこんなにも弱い僕らに生きる勇気を与えてくれる、永遠に生きてゆこうと願える心を与えてくれる、神様が僕らに教えてくれた生き方なのだと思うのです。
 ひと夏の再会のようにすべて相手を「おー」と受け入れられること、それは僕らの日常の中ではなかなかないかもしれません。自分の思惑、相手の願い、利害関係、ノルマ、見栄え、他人の視線、などなど一対一の関係ではなんとかお互いに受入れ認め合えることも、それらによってできないということも多々あるでしょう。でもそんな時は、認め合えた時に得られる勇気の大きさを思い起こし、そのためにはどうしたらいいかの『アナログな心』をもって成し遂げるためのすべを共に模索し、一緒に答えを探してゆけたらいいのではないでしょうか。「はい、できたOK」、「あなたはできないからダメ」ではなく「まずはこれからならできるのですが」、「こんな形ではどうでしょう」と経路は多少変わっても、目標に定めたものに対して近づこうと努力すること、それが一度はくじけた想いから新しい想いを再生し、夢に向って歩いてゆく原動力となるのだと、僕はそう思うのです。

 これは子どもも大人もみな同じ。今回会った旧友たちにも、仕事や暮らしの壁にぶち当たり、「俺ってダメかな」と自信を失いそうになっている者が何人もありました。でもそれはきっと違うのです。ただただそれができないだけで、彼らにはそれ以上に誰にもできないすばらしいことをやる力が秘められているのです。それを認め支えてあげるのが仲間、友達、家族、恋人、そして教師。こうして認め合い、支えあって生きてゆくこと、そうした生き方があるということを僕らは仲間達に、そして目の前の子ども達に伝えていきたいと思うのです。東京では余計なお世話でそんなことをしゃべって相手を怒らせてしまったこともありましたが、今では機嫌も直って一安心。「できない、できない」、「できないからダメ」の直列回路はもう捨てて、「どうしたらできるか、できるようになるか」、建設的思考回路に切り替えて僕らはこの混沌とした先の見通せないこれからの時代を生きてゆきたいと思うのです。
 旅の間、心を駆け抜けて行ったいろんな想いがここで一つの答えを形作り、僕の旅が終わりました。このひと夏の旅は僕にとって、きっとその答えを探すために走りさまよったさすらい旅だったのでしょう。ただいま、いま僕は帰ってきました。


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