園庭の石段からみた情景〜09秋の書き下ろし2〜 2009.9.22
 <言葉の音色>
 この夏の東京旅行の最中、音楽用のよい録音機があることを知り、こちらに帰ってきてから早速探し求めて購入しました。形は昔の『のど自慢』で使っていそうな四角いマイクの形状で実にダサい。でもその中身はSDカードに非圧縮で音源を記録できるという優れもの。僕が使っていた8トラックのマルチトラックレコーダーと同じ会社だったのも信頼に値したところ。早速あれこれいじりながら弾き語り録音をして遊んでいます。そもそもマルチトラックレコーダーがあるのに・・・なのですが、最近の想いとしてどうもあれは創り込みに走ってしまう傾向があっていけません。『気に入らなかった部分だけ録り直してつなぐ』なんて芸当が出来てしまうので直し直し、つなぎつなぎのCD作りになってしまいます。楽器やコーラスを重ねることも出来るのですが、なんか一発取りの力強さが無くなってしまう気がしていました。またマイクやピンコードとの接続の相性が悪くてノイズがのってしまったり、操作が複雑でいつもマニュアル片手のレコーディングを強いられたりも。それもちょっとストレスを感じるところでした。
 何はともあれ新しい機材を手にすると創作意欲が湧いてくるのは誰しも同じでしょう。早速、『翼をください』や『ぽにょ』など近年やってきたレパートリーを録音してみました。録音は自宅の六畳の畳の部屋を締め切って誰もいないときに行います。うちは音通りのいい家で、下に誰かいたらその音が全部レコーダーに入ってしまうのです。また誰かいるところで大声で歌うのも恥ずかしい。人に向って歌うときは覚悟が決まっていますから、間違えようが外そうが最後までやり通すのですが、録音して残すとなると多少の下手が気になります。何度も同じところで止まってしまってやり直しなんていうのも度々。外で聞いていたら「この人は何してるんだろう?」と思うことでしょう。またもし聞いていた人がいたとしたらその人もまた不幸。「今度は最後まで行ったかと思ったのにまたやり直し。もういいかげんにして!」と思うのではないでしょうか。と言う訳で誰もいないところで「この扉は絶対開けないでください」の『夕鶴状態レコーディング』が続いてゆくのです。

 やはり新しい機械は使い勝手が分かりません。録音レベルの設定などから『録っては聞いて』を繰り返しながらノウハウを蓄積してゆきます。今回は『一発録りの力強さ』を意識して録音したので「まあ多少の音の外れはいいかな」と思ってやっていました。それらを一曲ごとに編集して第一作目のCDが出来上がりました。改めて聞いてみると確かに「ぱん!」と声は出ているのですがなんとなく音が不安定。ピッチが安定してなくてなんか気持ち悪いのです。友達に聞いてもらったら「以前より格段にうまくなってない?まさかボイストレーニングなんてしてませんよね?(笑)」なんて訳の分からないコメント。昔のはもっと良かったはずと思い十年前のCDを聞きなおしてみました。「ほらやっぱり音程がいい」と思ったのですがそれだけじゃない何かが違う。何か表現が繊細なのです。息遣い、言葉遣いが丁寧でそこにその時の想いが感じられます。その違いからあることに気付き思い出したのです。「今回はヘッドフォンしていない」。普段録音する時、モニターのためにヘッドフォンをして自分の声を聞きながら歌入れをしています。そうすることによって自分の音程や息遣い、音量などを確認しながら歌うことが出来るのです。これにはもう一つ効果があって自分の音程を良くしてくれる作用もあるのです。
 人が歌を歌うシーケンスはフィードバック制御。自分の発した声を追いかけて聞きながら、その周波数を調整しているのです。だから音痴な人は自分の音を聞いていない人。出たら出っ放しなので音が外れても修正できないのです。音を一発で当てるのは相当難しいもの。だから『さぐり』と言って少し外したところから少しずつ音を変えていって最後にその音にたどり着くというテクニックを演歌歌手などは使いますがあれは下手な証拠。本当に上手な人は『ぱん!』と一発でその音に当ててみせるものなのです。聞いていてもその方が遥かに気持ちいい。『さぐり』まで時間をかけないにしても僕達も自分の発した音を聞きながら歌うことで音程を安定させることができるのです。ミュージックビデオのレコーディング風景でミュージシャンがヘッドフォンをしているのはきっとそのためなのでしょう。
 ただ僕の友達が感じたことも一理あるようで、今回の歌、迫力だけはあったようです。一方昔のCDはなんとなくおとなしい。歌も自動車の運転も同じようなもので、アクセルを踏み込めばいい声は出るが制御も難しくなる、ものらしい。両立させることはなかなか難しいものです。まあ表現したいものによっても配分がまた違ってくるのでしょう。早速二枚目のCD作成の時にはヘッドフォンをつけて丁寧な息遣い、音遣いを目指した音作りに挑戦しました。そういう楽曲を選んだと言うのもあって、その意図が感じられる二枚目となりました。ちょっぴり満足。こうやって未だにまだまだ勉強の日々。自分の納得ゆくCD作りを愉しんでいます。

 今回思ったこと。これは音楽だけではなく、僕達の日頃の言葉も同じこと。僕達にはちゃんと自分の声が、自分の声色が聞こえているでしょうか。子ども達に向って投げかける一言にもちゃんと音色があるはず。その中に苛立ちやわずらわしさが含まれていないでしょうか。子ども達はそれを敏感に感じ取ります。僕らはその一言一言の声色の中にもしっかりとメッセージを込めて投げかけてあげたいと思うのです。ほめる時も、しかる時も、笑う時も、残念がる時も、いつもそこに「僕は君が好きなんだよ。いつも君の見方なんだよ」という想いを心より込めて。そうすれば僕らの想いを子ども達はしっかりと確かに受け止めてくれることでしょう。


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