園庭の石段からみた情景〜冬の書き下ろし1〜 2011.1.10
<やせ我慢のススメ・その1>
 冬休み、例年のことではありますが今年も帰省と言って甥っ子姪っ子が我が家にやって来ました。二学期を振り返り、教育と言うものに関してちょうど反省しているところにやってきた甥っ子達、こちらの引き締まった気持ちと彼らの冬休みダラダラモードの相乗効果で、甥っ子達の行いに目がゆき僕からの『指導』が入ります。たいした事は要求していないのですが、例えば『食事の時は「ごちそうさま」まで座って食べる』とか、『好き嫌いをなくす努力をする』など教育と言うより作法や『しつけ』レベルのこと。すると彼らはすぐに表情を崩して泣きっ面になるのですが、そこにすぐさま横槍が入る『じじばば』の救いの手。「いやなら食べんでもいい、おやつ食べるか」。こういう光景を見ると『近頃のじじばばは子育てもできんのか』とまだじじい前の若輩者が生意気な事を思ったりするもの。そんな時、自分の子どもの頃の『じじばば様』の思い出に想いを馳せてしまうのでした。

 僕が田舎に遊びに来る時はたいがい妹と二人の『先乗り』でした。その間、『親代わり』の自負と責任感を感じてくれていたのでしょう、僕の『じいちゃん』は色々と口うるさく『ああだこうだ』とお説教してくれた御仁でした。当時は子ども心に「気難しい人だなあ」と思ったものでしたが、田舎で『お世話になっている』という想いもあり、口答えをすることもなく『大人の想い』やここでの作法と言ったものを学ばされました。そんな時に間にうまく入ってくれたのが『ばあちゃん』であり、僕らに非がある場合にはちゃんとじいちゃんに謝らせ、後に慰めてくれたり励ましてくれたりする役を演じてくれました。今から思えばこれらのことがそれぞれにちゃんと子育ての中における役割を与え、上手に子育てに参加させていたのだと思うのです。母親に言われたら「なにをー!」と反抗心を抱くのが子どもの常。でもじいちゃんに言われたならとりあえず受け入れ、納得出来ないときには一人でよくよく考え、この言葉にどんな意味があるのだろうと真剣に自らを振り返るもの。しかし頭で理解し納得できたとしてもそれとは別に『叱られた』と言う心のダメージは消えぬもので、それを癒してくれるのがばあちゃんの慰めであると言う、もしかしたら全ての要素が網羅されている素晴らしい教育インフラだったのかも知れません。僕らの場合は夏休みのほんの一時のことでしたが、三世代同居がスタンダードであった遠い昭和の時代にはそれが日常としてうまく機能していたのでしょう。
 多世代が『一緒に暮らす』と言うことには大きな意味があります。子育ての中にも長老が自分の生き方を通すと言ったエゴがあった一方、同時にその中に『子どものため』という客観性も存在していなければ皆が納得する指導とはなり得ません。そういう環境が『やりすぎ』や『虐待』を抑止する力を持っていたのでしょう。『教えるべきことはみんなで教える』、それが親であっても祖父母や小姑でも。そうやってみんなでバランスを取り合っていたのがあの時代だったのです。叱るものがあればそれをなだめるものがいて、叱られたものを慰めるものがいる。だから子どもは叱られながらも救われもし、追い詰められることなくその教訓を『教え』として受け止めることができたのです。時にはそれを『反面教師』としながらも。

 今の時代、核家族化のために『母親対子ども』の一対一の構図が出来上がってしまい、親子共々お互いに逃げ場がありません。帰ってきたお父さんがお母さんの話を聞いて更にお説教を始めたならもう子どもに救いなどありません。こういう場合お父さんの役割はどちらに非があるかを突き詰めるのではなくお互いの感情と立場をうまく納めることの出来る場所を探し当ててあげることなのですが、それも現場を見ていなければなかなか難しいことでしょう。現代社会を生きる我々は「どれが一番安い」とか「どっちが得」と言った『効率』やその場の『損得』を計算するのは得意としているのですが、大局を見ながら利を取ると言った直感的なセンスを残念ながら失ってしまったように思うのです。前者が価格競争や開発競争だとしたら、後者によるものが価格破壊や環境破壊だと思うのです。目の前のチラシや為替株価の一円には右往左往するのに、自分に出来るはずの省エネやCO2問題には他人事のような顔をしているこの事実。そしてこれには『子育て責任の放棄』と言うものさえも含まれているように思うのです。
 たまにしか会わない孫達に口うるさく言って嫌われるより、『孫の大好きなじいじ・ばあばでありたい』と思うのはその場の『どっちが得』かを取ったこれまた現代様式の選択なのでしょうか。彼らを弁護する立場で論じてみれば、「甘やかせているのは一緒にいるこの時だけなのだから」と自分に言い訳しながら孫を甘やかせている人達は、戦中戦後という物質的に最も貧しかった時代に一生懸命働き、この国の繁栄をここまで導いてきた『中興の祖』と呼ばれるに値する尊敬すべき人々です。そのご褒美として「もういい目を見てもいいだろう」と思われるのかも知れません。しかし如何せん僕ら世代の大人はいまだに未熟なのです。いや、僕らが子ども時代に子育てをしていた僕らの親世代もきっと同じだったはず。ただそれをひと世代上のじいちゃんばあちゃんが一歩引いた客観的な視線で見つめ、その子育ての結果生じてしまった孫達の増長を見つけてはひとつひとつたしなめてくれていたということだったのではないでしょうか。誰もが『いいひと』になりたいこの時代にあってこの『やせ我慢』、みんなで持ちまわりし合いながら、子ども達のことを想っていけたらいいのにと思うのです。いつも叱るのはお母さんでなくていい。じいじが孫を叱り、ばあばがそれをなだめ、後でお母さんがそっと言って聞かせて慰める。せっかくの帰郷なのだからそんな一幕もあっていいのではとふと思うのでありました。


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