園庭の石段からみた情景〜園だより11月号より〜 2010.11.25
<君はナルシストジョウビタキ?>
 今年の秋は暑い夏にいつまでも待たされたかと思いきや、後からやってきた冬にすぐさまバトンタッチを強いられた、そんな小さな秋でした。この季節、いつまで秋でいつからが冬か定義が難しいものですが、やっぱりストーブに火が入れば秋と言い張るのもしんどいもの。そう言っていると小春日和が続いたりして、僕たち日本人が長い時の流れの中で愛してきたこの国の『四季』はもう『四季』と呼べないものになってしまったのでしょうか。穏やかに移ろいながら季節を進めてゆくこの国の四季は、自然の中で生きるもの達に次の季節の到来を告げ知らせ、準備の有余を与えてくれるものでした。それが現代の『異常気象』で一括りにされてしまうこの国の気候は真夏と真冬の最高記録を次々に塗り替えながら、その間上がり下がりの乱高下、自然とは全く関係のなさそうな現代社会の経済情勢を皮肉り真似でもしているような有様に何とも世知辛さを感じてしまいます。

 そんなあわただしい冬の訪れを感じてか、北の国からやってきた冬鳥のジョウビタキ、幼稚園にも先月の終わり頃から姿を見せるようになりました。「ひっひっ」とさえずる灰色頭にオレンジ色のベストを着ているようなスズメ大の小鳥です。炭火の白い灰になったものを尉(じょう)と言い、この鳴き声が火打石を打つ音に似ていることからヒタキ、合わせてジョウビタキと言うのでしょう。人を恐れないことから『バカビタキ』などと不名誉な名で呼ばれることもあるそうです。このジョウビタキ、その名に反して好奇心の強い鳥のようで、いつも職員室の窓を眺めにやって来てきては中を覗き込みながら飛び回っています。初めは何をしているのか分からなかったのですが、ある時車のサイドミラーに停まってしきりに鏡を覗き込む姿を見かけ、「ああ、これは鏡に写っている自分を見ているんだな」と分かりました。外よりも暗い職員室、ガラス窓を隔てて外から見れば鏡の様に自分の姿を写し出します。どうもそれに興味を示していたらしいのです。そんな姿を僕等が見たら「このナルシスト」と思うのですが『彼』はどのような想いでその姿に興味を示しているのでしょう(このオレンジベストはオスのジョウビタキでメスはこのオレンジがありません)。そもそも鏡の中の自分を『自分である』と認識するのにはかなりの知能が必要だと言われています。人間の子どもでも2〜3歳、しかも経験を踏まえてからこの中に写っているのが自分であると認識できるようになるようです。それまでは人でもサルでもそこに写っている者を他人、更には『敵』だと認識し、威嚇したりおびえたりする行動を見せることもあるのだとか。実際には早熟でもっと『おませな』子もあるでしょうが。さらに人間が素晴らしいのはそこに写っているのが自分だと分かると、次にはそれを利用しようとする所です。小さい子どもでもその中の自分に向かって笑いかけたり角度を変えて見てみたり、自分がどうしたらかわいく見えるか、人から良く見えるかを確かめる道具として使い出すもの。誰もそんなこと教えていないのに不思議なものです。それは人が本能的に『相手との関係』を求めているからなのです。

 もう一つTV番組でやっていた実験を紹介しましょう。『サルは猿真似するか?』と言うテーマで、机の上におもちゃを二つずつ置いてある部屋に複数のサルを放します。サルは道具に興味を示し遊び出しますが、その行動は個々バラバラで同調した動きを見せるものはありませんでした。同じ環境に人間の子ども達、2〜3歳の子ども達ですが、を入れるとやはりおもちゃに興味を示し遊び出しました。しかしその中で同期した行動を見せ始めたのです。一人が傘を回して遊び出すと、別の子が同じように回して遊び出し、別の所では楽器を鳴らし出した子どもに影響されてまた別の子が同じように楽器を鳴らし始めたのです。これが人間の大きな特性であり『学び』の第一歩であると番組では解説していました。サルは物に興味を示し、人は人の行動に興味を示す生き物であると。しかし物に固執執着し、一人遊びを好む現代の子ども達は本来の『人間らしさ』を失おうとしているのかもしれません。だからこそ、『物より仲間が大事』だとこの子達にちゃんと教えて行きたいのです。
 そんなレポートを知るはずもないたんぽぽ組の子ども達。今日も仲良く楽しく遊んでいます。粘土遊びの中で大きな団子に丸めた粘土を一人がおでこに掲げて「タンコブ!」とやればみんな真似して「タンコブ!」とやり、粘土を握り締めて指先から『うにゅー』をひり出せばみんなそろって「うにゅー!」で大ウケ。そんなこの子達、なるほど『猿真似のできる賢いたんぽぽさん』だと思ったものです。この猿真似が学びであり、共感が社会性の芽生えとなるのです。みんなと一緒に楽しいことを見つけて楽しく遊べるこの子達、これからもきっと沢山のゆかいな友達を作って豊かな人生を歩んで行ってくれることでしょう。

 さて一方のあのジョウビタキ君、近頃新館の教室に迷い込んで先生や子ども達を騒がせています。だれもいない薄暗い部屋のガラス扉が半分開いていれば、そこには自分の姿がはっきりと写ることでしょう。その姿に惹かれて迷い込む様なのですが、今度は出口が分からない。パニックに陥ったあげく、あちらこちらに失禁脱糞をまき散らし迷惑がられている『バカビタキ』となっています。それにしても彼は何故鏡に向かってゆくのでしょう。メスはいでたちが違うので間違えることはないはず。鏡に対して威嚇する様子も見せないので喧嘩を売っているのでもない。ひとり遠くからやってきて友達に巡り会えたと喜んでいるのか、やっぱり自分の姿に見とれているナルシストなのか、児童心理より複雑な野鳥心理学です。


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