子育て講座2月『ひきがたり』レジメ 〜ラブソングを歌おう〜
    2010.12.14
 今年度最後、2月の子育て講座は僕の『ひきがたり』です。今回は難しいことなしに『ラブソングを歌おう』と題して昔流行った(はず)の歌を集めて歌ってみようと思っています。最近の歌もいくつか探してみたのですが、なかなか曲の中に入り込めない。昔、たくさんの歌達を聞き、感銘を受けたあの頃の感受性が今の僕にはなくなってしまったのか、最近の歌達にあの頃のような力強さがないのか。最近の新譜も結構聴いているのですが(これまた偏ってはいますが)『これ』と言うものに出会い、「この歌を歌いたい」と思わせる経験はなかなか出来ないもののようです。
 でも歌の中に流れているのはきっと『その時々のそれぞれの想い』だけ。作者の想いを演奏者が自分の感性で汲み取り、それに共感した演奏者が自分の想いを乗せて歌い、聞き手がその中に刻まれた想いを感じ取るもの。だからその解釈が『正しい・正しくない』と言う次元のものではきっとないと思うのです。なんとなく「そうだよね」と共感できるその想いを心の中でしっかりとかみしめてみれば、自分の中の小さな想いに気付くことがある。それは優しさであったり素直さであったり、一生懸命さ、ひたむきさもそうでしょうか。日常の忙しさの中で、ついつい置き去りにされがちな自分の中にある小さな想いをふと思い出すことが出来たなら、大切な相手にその想いを伝えてみたくなるもの。そう、だから今回は大切な誰かのことを想いながら聴いてくれたならうれしく思います。ただただそれだけのことですが、これも僕の子育て講座のつもりです。この子育て講座は2月25日。『園だより』の紙面の関係上、今月レジメを書きましたが2月25日(金)13時からホールで行います。一緒にラブソングを歌いましょう(曲目は変更することもあります)。

○歌うたいのバラッド<斉藤和義>
『本当のことは歌の中にある いつもなら照れくさくて言えないことも』
 口下手な僕は人と話すのが苦手です。自分の言葉が口からこぼれ落ちた瞬間から、それが本当に正しかったのかとずっと考えてしまうから。自分の言葉が時を経て風化し、嘘になるのが怖いのかもしれません。「その時はそう思ったんだ」という開き直った言い訳がなかなか出来ない不器用な人間なのです。自分にとって自分自身がかなりの不確定要素(気まぐれ・優柔不断)だから、自分自身で一つ一つよくよく考え定義してみなければ自分を確定できないのでしょう。そんな僕にとって歌うことは、その歌に乗せて自分の想いを発信することなのかも知れません。
○風に吹かれて<THE ALFEE>
『そこにお前がいるそれだけで幸せと感じてたあの頃』
 「何も持っていなかった頃の方が僕らは幸せだったのかもしれない。君がいてくれることが一番の幸せだと知っていたのだから」。そんな格好いい、古き良き時代の歌です。いつも安いバーボンを呷り古いギターを鳴らしながら、僕らが知るはずもないこの国の若かりし頃の生き様に想いを馳せるのです。
○卒業写真<荒井由実>
『あの頃の生き方をあなたは忘れないで』
 昔、「いつまでも変わらないで」と言ってくれた友達の言葉は今でも僕を勇気づけてくれています。でも一方で幾つになっても相変らず不器用な生き方しか出来ないのはこの時の言葉がいつまでも心の底に残っているからなのかも知れません。
○さよなら<オフコース>
『愛したのは確かにきみだけ そのままの君だけ』
 別れの歌、これもまたラブソングだと思うのです。互いに否定し合うことだけが別れではない。肯定しあいながらそのゆえに一緒に歩いてゆけないことを悟り、別々の道をただひとり、真直ぐ歩いてゆく愛もあるのです。
○OH MY LITTLE GIRL<尾崎豊>
『いつまでもいつまでも 離れないと誓うんだ』
 尾崎豊は1stアルバムしか持っていないのですが、これだけで十分だと思っています。ティーンエイジャーの代弁者、『オザキ』の無垢な叫び、これはティーンエイジャーにしか書けない心の叫びだから。大人や社会へのアンチテーゼを歌った尾崎が大人になってしまった、ならされてしまった故に、彼はその自己矛盾に晩年苦しむことになります。大人と自分、社会における自分など、相対的に対峙するものを歌うのではなく、ただただ自分の愛するものへの愛を純粋に歌うとき、それは時の流れに流されることのない生命を宿す歌となりうるのかも知れません。
○防人の詩<さだまさし>
『私の大切な故郷もみんな逝ってしまいますか』
 僕らの身の回りに当たり前にあるもの、山や海、春や秋、そして愛に心に故郷、これらは永遠に変わらないもののように感じていますが実は決してそうではありません。僕らの過ち一つであっという間に失われてしまう儚いもの達、そして一度失ってしまったなら僕らには創り出せないもの達であることを、もう一度思い出してください。だからこそこれらのものを僕らは大切に伝えてゆきたいと願うのです。
○愛について<スガシカオ>
『僕らがもう少し愛についてうまく話せるときが来たら暮らしてゆこう』
 愛について、語ることは難しいものです。でもその言葉の足りなさを、互いを思い感じ合う『想い』で補えるようになれたなら、僕らはもっとうまくやっていける、そんな気がするのです。
○時代<中島みゆき>
『だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう』
 精一杯生きたならば、結果は神様が与えてくれるもの。それをどう受けとるかは僕らの感受性次第。どんな自分であってもがんばったからこそ今の自分があるのだと、僕はそれだけは自分について認めてあげたいと思うのです。


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