園庭の石段からみた情景〜冬の書き下ろし3〜 2011.2.1
<Heart Beat 〜言葉の鼓動>
 寒さ厳しい中、三学期が順調に始まりました。子ども達も久々の幼稚園生活を待ちわびてくれていたようで、再び始まった園生活をうれしそうに満喫している様子をうれしく見つめた一ヶ月間でありました。長い冬休みを経て改めて子ども達と向き合ってみると、新たな成長として感じたことが沢山あります。その中のひとつに、ついこの間まで『だんまり』だった子が急におしゃべりになってうれしそうにあだあだ話してみせてくれたと言うことがありました。お母さんの連絡ノートに「最近、『はなくそBABY』なんて言ってそんな言葉にハマって喜んで困ってます」とあり、「それでもうれしそうにおしゃべりしているからよかったね」とお母さんに声もかけていました。子ども達が会話の中で喜んで使う「うんち!」とか「はなくそ!」と言う言葉に対しては「そんな汚い言葉を喜んで言わないの」と繰り返したしなめてきた自負があったので、『それは僕の教えた言葉ではない』と思っていたのですが、ある時不意に僕がこぼした「ヤバイナ」と言う言葉をすぐさま追いかけてこの子が「ヤバイナ」と口にした時、僕がこの子のボキャブラリーソースの一つになっていることに気づかされたのでした。うーん、ヤバイナぁ。
 
 先日卯之町幼稚園で行われたキ保連の研修会において子ども達の発育を脳科学的に論ずる講義がなされ、僕達職員もその話をみんなで聞いてきました。その中で納得のいく説明として僕の記憶に残ったのが、『人は音声で聞いた言葉を脳内で文字に変換して理解している』と言うものでした。『音声で聞いただけでは何を言っているのか分からなかった言葉が、文字として紙に書かれた言葉を見せらた後ではその言葉にしか聞こえなくなる』と言う実験事例を見せられて「なるほどな」と思ったものです。そして『人間は音声を聞き取って言葉を理解している』のではなく、『音声を聞いて自分の脳内にあるボキャブラリーデーターと照合する事によって相手の言葉を認知・理解している』のではないかと僕的に更に考察を深めてみたりもしました。これは『子どもの発した言葉が2〜3秒遅れて理解できた』、『自分の口で繰り返し唱えてみて初めてその言葉が理解できた』などと言う自らの実体験を論理的に裏付けるロジックの仮説となるものです。少々SFがかっているかもしれませんが。
 その先生によると子ども達に対して有効な言葉というものは『短い言葉』なのだそうです。なるほど検索能力の未発達の子ども達にとって、親切がましい言葉を長々と言われるより短い単語をびしっと言われた方がインプットしやすいと言うことなのでしょう。実際そのことも保育の現場にいればよくよく実感できるものなのでなんとも面白いものです。幼稚園の日常の中で僕がよく使う言葉に「終了!」とか「撤収!」と言ったものがあります。これはその昔、サバイバルシューティングゲームが趣味だった僕の友人の口癖ボキャブラリーなのですがその語呂やリズム感の良さからそんな趣味のない僕も好んで使うようになったというものです。その語感のよさから僕が何気なく幼稚園で使っているうちに、それが子ども達の日常ボキャブラリーとなってしまいました。お片づけの時間、片付け終わると自ら「終了!」とか「撤収!」と言って駆け出す子ども達。彼らは『撤収』の意味を誰に教わったこともないのですが、その言葉がある一定の状況下で使われていることを洞察し、その使い方を身につけたのだと思われるのです。でもそれこそがネイティブの語学学習能力なのかも知れません。子ども達は日常会話を学ぶ際、一々「この意味は?」とか「文法は?」なんて学び方を決してしたりしましません。あくまでその使われ方や使われる状況を自ら分析した上で、自らのボキャブラリーに加えているのです。そうであるとしたならば、子ども達の集中力を高め相手が求めている事を素早く理解させることのできる言葉とはやはり『音として捉えやすい短い言葉』そして『他と混同しない特徴のある単語』だと思わます。更にその言葉に対する関心を高める要因としてリズムや語感、韻を踏んだり繰り返したり、更には五七五に収めたりなどと言った言葉遊びの要素が挙げられると思うのです。『撤収!』や『終了!』も「てっしゅうー!」「しゅーうりょーう!」とリズムを持った言葉にしてやれば、たんぽぽまでがご機嫌に「しゅーりょー!」とやりだします。まあ正しい言葉遣いはおいおい教えてゆくとして、最初の言葉への興味のきっかけとなるのなら、こんな言葉遊びもアリかなと思っています。
 また『リズム打ち言葉遊び』も子ども達の関心を大きく引くものです。礼拝前に準備の遅い友達を待つ間、手拍子を打ちながら「でっ・き・たっ・ひ・とー」と打てば「はー・あー・いー」と子ども達が返してきます。「まっ・だ・でぇー・す・かぁー」、「はー・よ・しー・て・やー」と打てば子ども達もうれしそうに同じリズムを刻みながらついてきます。後は何でもいいのですが即興での手拍子会話が続きます。ネタが尽きてくると「おでかけですかーれれれのれー」などとつまらないこともやっているのですがこれにも子ども達がよくよくついてくる。この言葉達自体に意味はないのですがこれらの言葉はみな五句・七句の言葉達でこの語感とリズムが僕らには心地良いのです。それを幼いこの子達も感じながら楽しめるのですから、日本人にとっての五七五のリズムとは本当に侮れないものだと思ったものでした。

 先の講演で『ヒトは歌うことで自分の内面を音で表現するようになり言葉を生み出した』と言う話がありました。歌はリズムであり音の抑揚であるのだから、原初の言葉にもビートがあったはず。だからこの子達に僕らの心の鼓動、『ハートビート』を歌や言葉に込めて精一杯投げかけてゆきたいと思うのです。僕らも昔誰かが歌った素敵な歌を聞きながら言葉や人の想い、そして色んなものを学んできたのだから。


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