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<僕らの山> 今年の冬は久しぶりに寒さをしっかりと感じさせてくれる冬でした。大寒の頃の寒さはひとしおで、『最高気温1℃』、幼稚園でも水道や道路が凍るなどと言った『冬の日常』に慌てさせられもしたものです。そんな寒波の中でも前日から水道の水をちょろちょろ流しっぱなしにして凍結対策している家を見かけたり、スタッドレスタイヤを履かせたマイカーで何事もないように自由登園の日にやってきたお母さんに出会えば、「自分自身が人間として退化しているなあ」と痛感させられたものです。『平和・便利』に特化した現代の世の中にあって、頭では知っているはずの『冬の日常』とその対策を忘れ、このエマージェンシーに対応する事が出来なかったこの僕自身が『現代的頭でっかち人間』であり、知識を知恵に活用できないただの屁理屈君であることを思い知らされたのです。「僕ってやつもたいしたことないなあ」と少々がっかりしたものでした。 そんな想いが糧になったか、僕らは幼稚園の砂場に子どもの背丈をはるかに越える山を作り始めました。最初はたんぽぽさん達と「僕らのデカ山を作るぞ!」と作り始め、お弁当や給食が終わるとみんなで砂場に飛び出して行って毎日毎日山に砂をかけて積みあげてゆきました。『僕らの』というフレーズが気に入ったのか、たんぽぽさんも「僕らの山!」としきりに口にし、砂運びを手伝ってくれたものです。『僕らの山』はある高さまで積み上げられると次第に山肌が切り立って来て、それ以上砂をかけても高くならなくなってしまいました。「これは自然勾配の高さを越えてしまったのかな」と思った僕は裾野を広げて山を作り直すことにしました。自然勾配とは砂や土を自然に積み上げて行っても落ちてこない傾斜角度のこと。それを越えるとちょっとしたことで斜面がなだれを起こして崩れてしまうのだそうです。この幼稚園の山に道をつける時に土建屋さんから教わった言葉でしたが、自分でやってみて初めて実感した次第。そうであるならば勾配を緩くすればいいのだから、裾野を広げてもっと太い山を作ればいいのです。「太くするならこれが一番」と、頂上を目指してたんぽぽさん達の手を取りながら『僕らのデカ山』を登り始めました。山はその登る一歩ごとに崩れ、高さも30〜40cm低くなってしまったでしょうか。それを見ていたすみれさんが文句を言います。「せっかく作ったのに壊れるから登ぼらんでよ」。もっともな主張です。でもこの子も目の前の現象でしか物事を見られない『頭でっかち君』なのです。『砂を積み上げるから山ができる、山を登るから山が崩れる』、これは見事な考察で、そのベクトルを分析した見事な一次微分です。でもその先行きに行き詰まりを感じたなら発想の転換が必ず必要になるもの。「一回てっぺんを崩して広げた方が、山はもっと大きくなるんだよ」とその子に説明をしたのですがなんとも半信半疑の浮かない顔。自分も登りたいという衝動を抑えながらこの山を作ってきた真面目君らしい顔でしたが、そんな彼をさておいて早速頂上目がけて登り始めたたんぽぽさん。足元が崩れなかなか登ることが出来ません。「のぼらってー!(登らして)」と手を差しだし、支えてもらいながらとうとう頂上の高みに登頂することができました。とてもうれしそうな表情で大喜びのたんぽぽさん。本当に『僕らの山』を制覇した瞬間だったのでしょう。それから何度も何度も代わる代わる山頂の頂きによじ登り、『僕らの山・登山』を満喫しておりました。「壊したらいけんよ」と年長さんに言われながらフラストレーションの溜まる想いでいた山作りに参画していたたんぽぽさんにとって至福の時だったようです。しかしあまりにも大胆に登った『僕らの山』、お家に帰れば靴からズボンの裾から砂がざっくざっく出てきてお母さん達をビックリさせてしまったそうです。どうもすみませんでした。でもこんな全身砂だらけ・泥だらけで遊んだ体験と記憶がこの子達を『頭でっかち君』ではなく物事を心と体で捉え感じることの出来る子どもに育ててくれるのだと僕は信じています。そんなこんなやりながら『僕らのデカ山』もまだまだ成長を続け、今では大人の背丈に届くほどにまでなってきています。 砂遊び・泥遊びなど自分の手足を介して情報を入出力する遊びは実態を伴う実世界と自分との関係を子ども達に教えてくれます。『実態』を伴う遊びは視覚は勿論、触覚・嗅覚・聴覚・味覚の五感を刺激し子ども達の感性を発達させてゆきます。また実態は物がひとつひとつ違った状態・存在であることをも教えてくれます。砂一つ取っても砂場の砂と園庭の砂、そして山で取れる『さら粉』は色・手触り・粘度・粒状などが異なることを子ども達は体験的に知っており、用途によって見事に使い分けています。また砂場の黒い砂が日に当たり乾けば白砂になることも子ども達は知っています。自分の手を汚して遊んだことのない子は、きっと白砂と黒砂は全く違う物質だと思っていることでしょう。 人との関わり方も実体験を伴う友達との交わりの中で学ぶ大切なお勉強。生物が持つ本能の中で最も顕著で強力な特性は『排他性』。基本的に生物にとって自分以外のものとは自分の利益を損なう、そして存在を危うくする外敵なのです。しかし人間は『個』で生きるよりも大きなアウトプットを生み出すのが『社会』であることに気付き、文明を築きあげることで今の地位を確立してきました。『人間』にとって社会とは生命線であり、そこから外れてしまえばどんなに『個』として高いパフォーマンスを持っていようと生きてゆくことは出来ないのです。子ども達にとって『社会性』、『共感』、『協調』をこの時代に培うことはこの社会で生きてゆくための必須命題。それを育ててゆくのも実態としての身体と心をもってぶつかり合い確かめ合えるこの時代の責務であると思いながら、僕らは日々保育を行っているのです。 |