園庭の石段からみた情景〜'10春の書き下ろし〜 2010.4.26
<がんばったんだね>
 今年の春は急に暑いほどの日がやってきたかと思えばまたまた寒い日々に逆戻りと、体調管理に苦慮する毎日が続いています。でもそれは自然界の生き物達にとっても同じ様。つい何日か前、川原で小鳥の黒い背中を見かけて飛んで行った先を目で追ったのですが、それはなんとノビタキでした。高原などでよく見かける夏鳥で、僕もこの日土では初めて見ました。かと思えば今朝はバスの添乗の為に下の橋まで降りてきたら「ヒーヒー」と鳴く見慣れぬ鳥が群れをなして電線にとまっているのに遭遇。レンジャクです。こちらは冬鳥で、日土でも何度か見かけたことのある野鳥です。尻尾の先の赤いのがヒレンジャク、黄色いのがキレンジャクと言うのですが、今日見かけたのは尻尾の赤いヒレンジャクでした。尻尾の色で『ヒ』だの『キ』だの『科学戦隊なんとかレンジャー』みたいなのですが、これも冬の渡り鳥。北へ渡る帰り道でちょっと一休みしていたのでしょう。彼らノビタキやレンジャク達も急に暑くなったり寒くなったり、人間以上に戸惑い困惑した春を過ごしていることでしょう。彼らは自分達の本能で季節の移ろいを感じ、その本能にしたがって旅をしているのですから。それぞれ目指す先は北と南で正反対ですが、どちらもこの先無事に旅を続けて欲しいと祈りながら彼らの旅立ちを見送りました。

 この春、日土幼稚園を卒園して小学校という新天地に飛び立って行った新一年生達も、新しい生活の場で試練の日々を過ごしているようです。これまで感じたことの無かった『その身が焼かれるような太陽の暑さ』や『心まで凍りつく凍えるような寒さ』に、これはおそらく子ども達の新生活における体感的心象でこのヒートショックを乗り越えてみんな『小学生』になってゆくのですが、一人は毎日の腹痛と戦いながら、一人はこみ上げてくる涙をお母さんとの指きりで振り払い、一人は大きな声でひと泣きした後、それぞれ自分自身との折り合いをつけながらがんばって小学校に通っているようです。幼稚園という居心地のよかった古里を後にして旅立って行った世界には不安が沢山あるはずです。でもそれでも季節の移ろいの中に身を投じ、新しい日々に立ち向かってゆくことは彼らにとって必要な課程。それによってこの子達はまた一歩ずつ成長してゆくのだから。
 僕が出会ったノビタキやレンジャク達もこんな気候のはっきりしない春ですから、まだこの冬いたところで過ごす方が楽なのかもしれません。新しい旅立ちや未知なる世界に自信のないもの達にとってはなおさらのこと。でもそこでそうしているうちに季節はあっという間に移り過ぎ、気がつけば仲間達は遠い旅のかなたへと飛び立ってしまい、ある日ふと自分だけがそこに置いて行かれたことに気がつくでしょう。野鳥にとって季節はずれの迷い鳥になることは生命の危険を意味します。一人ぼっちの迷鳥はタカなどの猛禽類の格好の標的となります。また棲む季節の違う自然の中では餌も思うように取れないでしょう。日本の自然というものは良く出来ていて、夏鳥が南から渡って来る季節には冬鳥は北の大地へと飛び立ってゆき、冬鳥が寒さをしのぐために北から帰ってくる前には夏鳥もちゃんと南へ帰ってゆきます。こうして住み分けをしながら狭い国土ながらも豊かにめぐりゆくこの国の自然を分かち合って譲り合って暮らしているのです。
 自然に教えを請うならば、きっと今のこの子達も同じこと。下手にかわいがって餌付けをしたり鳥かごの中に入れて飼ってやること、これはこの子達の自然に生きる力をかごの中に閉じ込めてしまうことだと思うのです。居心地のよいかごの中に住み着いてしまった鳥は二度と自然に帰れないこともあるのです。こんな時一番つらいのはそんな子ども達を目の当たりにしているお母さん達でしょう。でも今は子ども達を信じて、神様に祈りながら、この子達の毎日をしっかり見つめてあげることしか僕らにできることはないのです。ただただ「がんばったね」、「できたじゃん」と励まし一緒に喜んであげながら。大丈夫、きっと大丈夫。この子達はこれまでだってそうやって一歩ずつちゃんと歩いてきたのだから。前を向いて歩こうとする想いだけ、しっかり持って見失わなければ。

 あちらこちらからの風のうわさで彼らの苦戦を耳にもするのですが、ピアノにやってくるこの子達の顔を見ればどの子もがんばっているいい顔をしています。お母さん達に言わせれば「幼稚園に来る時が一番元気なんです」なのだそうですが、この子達に「がんばってるんだって!」と尋ねればどの子もにっこり笑って「うん!」と答えます。カラ元気でも見栄でも意地でも、今は張れるだけ張ったらいい。そんなこの子達の顔を見ていると、『しっかり前を向いているな』と感じるのです。誰も僕に「もうダメ」とは言いません。誰も弱々しく僕から目をそらそうとする子はありません。そう、心の根っこがしっかり根付いているならば、一度は枝を折られ花を散らした樹木でも、またすぐに新しい若芽を芽吹かせてくれるはずだから。
 今振り返ってみれば僕がこの子達と一緒に幼稚園で過ごした日々の中で『何か上手に出来るようになったこと』はそんなになかったかもしれません。でも『やらされるのではなく、自分でやりたいと、そうなりたいと想い願うことの大切さとその力の大きさ』をこの子達にことある毎に繰り返し繰り返し伝えてきました。そしてそれがこの子達の心の根っことなったことをしっかり見届けて幼稚園から送り出しました。彼らに今贈りたい言葉は、「(もっと)がんばれ!」ではなく「がんばったんだね」。それは今の自分を肯定してくれる言葉。この子達にとってきっと何より励みになる言葉です。お母さんのこの一言で子ども達はもうちょっとだけがんばろうと、がんばりたい願う想いになれるはず。だって僕もいつもそうなのだから。


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