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<早く目を出せ かたつむり> 春の多雨期から一変して好天気が続いた六月の初めとなりました。さわやかな初夏の陽射しがまぶしさを感じさせる季節です。それに応じて、雨降りの頃には沢山這い回っていた『でんでんむし』もぱったりその姿を見せなくなりました。六月のひよこクラブで「でんでんむしが欲しい」と言われて改めて園内を探してみたのですが、定番のアジサイの茂み、坂道や石段の石垣、子ども達が「あそこにいたよ」と教えてくれたすべりだいの上まで探して回ってもどこにもみつかりません。最後に探しに行ったのはトイレの裏のトタン壁、そこに小さなでんでんむしの殻が一杯くっついているのをやっと見つけました。ひとつはがしてみるとカラカラで軽くって手応えがありません。中身は生きていないかなと思いながらも中を覗いてみると、口をふさいでいるふたのようなものとその周りにわずかなしめり気が認められます。そのカラカラでんでんむしを4〜5個ほど集めて潤子先生の所に持っていきました。「まあ、殻だけでも話の種にはなるでしょう」と言いながら手渡したのですが当の潤子先生、そのカラカラ君達をカップに入れて水を少々振り掛けています。「なんのこと?」と思いながらホールを後にした僕でしたが、再びホールに入った時、元気に這い回り出した『ちびデン』達を見せられ『こりわ、びっくり』驚きました。本ではカタツムリがこのようにからから天気を凌ぐという話を読んだことがあったのですが、実際にこんなにカラカラだった彼らがこんなに元気よく動き出すとは思ってもみませんでした。自然の知恵と生命力に敬服させられた次第です。やはりこのような経験に基づく情報でなければ『知識』も『知恵』に昇華されないようです。 入園から2ヶ月が過ぎ、ばらさん達も段々と園生活に慣れてきました。でも今年はなかなかお母さんの手を放して坂道を上がれる子どもが増えてこない気がするのは僕だけでしょうか。急いてもいけないことなのは重々承知、でも今月から僕が朝のお迎えにも戻ったこともあって、そろそろ本腰を入れて『おかあさんとバイバイ作戦』を始めてみることにしました。『お母さんとじゃなきゃダメ』という殻の中に閉じこもった『ちびデン』ちゃん達にあれやこれや、毎日毎回それぞれごとに色々な作戦を立案しながら坂道上がりを誘っています。 幼稚園ではやりたい放題の子ども達、おちゃらけおふざけ縦横無尽なのですが、朝イチはまだまだ『おかあさんといっしょ』。僕の顔を見るなりお母さんの後ろにすーっと擦り寄り、ナナフシのように擬態化する男の子。お母さんのおしりから顔半分覗かせて「僕はおかあさんの一部です」って表情でこちらを見つめます。これにはこちらも笑ってしまいました。お母さんには「だめでしたー、また今度」と告げ、子どものゆかいな先制攻撃に白旗を揚げました。 また別の男の子には、その子の手を引きながら先に歩いてゆく子ども達を指差して「まってえー」と駆け出す『どさくさ駆け出し作戦』。喜びながら駆け出す男の子ですが、10m走ってすぐばれてしまいました。この子達はなかなか賢い。かと思えばにこにこちゃんの女の子、機嫌よくやってきたその顔を見て「んー、さすがおねえちゃん。先生と行こうね」の『ぶたもおだてりゃ木に登る作戦』でアプローチ。するとそのにこにこ顔がぷっと膨れて作戦終了。その後もお母さんと一緒に坂を上がるその子に話しかけながら歩いたのですが、「いやん、いやん」と言いながらも笑っている女の子の笑顔に多少の手ごたえも感じたものでした。 ある日一人の男の子が僕と手をつないで歩道を歩き始めました。お母さんはこちらの想いを察してくれたのでしょう、上手に静かにフェードアウト。時々「おかあさんは?」と問いかける男の子に「んー、すぐ来るよ、お迎えになったら」、と苦しい言い訳。そんな時は目先を変えるのが一番と、「あそこのさくらんぼ、こんなにでっかくなってたよ。拾いに行こう!」と手を引き足を速めます。桜の木の下にはアメリカンチェリーのように大きく黒く熟した桜のさくらんぼが落ちていて、その子と一緒に拾い集めました。その横を通りゆくお母さん達が「さすが、しん先生マジック」と評してくれるのですが、当の僕は口に手をあてて「しー」。子ども騙しは百も承知。大事なのはきっかけをつかむこと。それを信じてとにかくばら組のお部屋までその子と一緒に上がりきりました。 その日のその子、泣き喚きはしなかったようですが、なんだかいつに増してローテンション。ミッション不発の反省とその子に対する罪悪感から、なにかと彼のことが気にかかり、関わって過ごした一日でした。駐車場との往復の中で見つけた大きな『桜んぼ』を拾って届けたり、興味を示したサッカーボールを一緒に手を引きながら追いかけたりと、その日の記憶が少しでも『楽しかった』に傾いてくれるようにいろいろ投げかけながら遊びました。サッカーでは一緒に走りながら「うきゃきゃきゃ!」と喜んでくれた姿に救われた想いもしましたが、この結果は来週になってみなければ分かりません。また「一緒に坂を上がる」と手を差し伸べてくれるか、「もう二度とだまされないぞ」と朝イチから拒絶されるのか。 子ども達の本質はあのかたつむりの中にあると思うのです。今までお母さんに守られ瑞々しく潤されていた子ども達の心、お母さんから離れて過ごしてみれば陽射しはまぶしく空気は乾いて感じられ、殻にも閉じこもってしまうのでしょう。でも幼稚園での『たのしい』を自分で見つけ乾いた心が潤されたならば、また元気にごそごそ動き出すはず。入れておいたカップから脱走するほどに。今はその一人一人の『たのしい』を一緒に探してあげたくて、子ども達と一緒に過ごしています。 |