園庭の石段からみた情景〜夏休み書き下ろし〜 2010.9.5
<あの夏・この夏、日土の夏・回想録>
 事前の雨に散々悩まされたバザーも皆さんのお祈りのおかげで当日は上々天気となり無事に終了しました。あれから早くも3週間が過ぎこの文章を書き始めたのですが、それ以降『梅雨明け』のお墨つきが出たとは言え、あの梅雨模様から一転しての連日の猛暑にうんざりしてしまうのが人の情というものなのでしょう。あれほど皆で待ち望んだ『夏の太陽』だったはずなのに。テレビでもこの夏の猛暑を大々的に取り上げ、熱中症や水の事故への警鐘を声高に語りあっています。でも昔から夏は暑いもの。近年の異常気象・気温上昇の影響は皆無ではないにしても、僕達人間が自然との、そしてこの国の四季との付き合い方を忘れてしまったがゆえの異常事態なのだとも思えてしまうのです。

 そんな時、田舎の日土にあって周りを見渡せば気がつくことがたくさんあるものです。例えばうちの隣の『畑のおじちゃん』。御歳90歳を越えるおじちゃんを見ていて勉強になるのは、いつも自然と自分の身体に問いかけながら働いていると言うこと。草引きや水遣りは涼しい朝晩のお仕事。しんどい日はちょっとお休み。でも元気な時には小一時間も畑にしゃがみこんで青虫を取ったり草を抜いたり。自分の頭で決めたことに固執して力ずくで押し通そうとしてしまう僕らとは何か違うような気がします。「今日は何をする!」、「明日はこれしなくっちゃ!」と大騒ぎで毎日を送っている僕らとは違い、大きな時の流れを見つめながら生きている姿は尊敬に値します。若気の至りでなかなか出来ないものではあるのですが。でもいっとき無理して体調を壊すより、収穫という遠いゴールを見据え『いつまでにこれをすればいいか』を分かりながら暮らしている生き様は、『僕らの子育て』のお手本ともなる生き方だとも思えてきます。『ひと学年ごとの目標や小学校に向けての目標をしっかり立てて子ども達としっかり向き合ってゆく』、僕らの毎日に置き換えればそういうことでしょうか。思うような成長や成果が見られない時にはあせりを感じることもありますが、僕らの目指すゴールはまだまだ先。しっかり三年間という時間をいっぱいに使って、卒園という収穫の時を目指してゆくべきものなのでしょう。
 そのおじさん、その年初めて取れた野菜を「初物だよ!」と言ってうれしそうにおすそ分けしてくれたり、自分は食べないスイカを「子ども達が喜ぶから」と言って毎年お世話して育ててくれています。この仙人のように全てを悟りきっているかのようなおじさんにしても、取れたもの達の収穫はやはりうれしく、それを喜んでくれる人がいることがもっとうれしく、そんなことを生きがいに今日も畑に出ているのでしょう。それが子ども達やお母さん達にとっての「出来たじゃん!がんばったね!」の言葉なのです。人は自分のがんばりを認められ評価してもらいたい生き物。だからこそまたがんばれるというものなのですが、その想いもまた大事にしてみんなで励まし合っていきたいと思うのです。

 今年始めた夏休みの預かり保育、毎日数人の子ども達が遊びに来て幼稚園をにぎわせてくれました。朝はまず園庭に水撒きをしながら子ども達をお出迎え。雨が降らなかったこの夏は、水を撒いても撒いてもすぐカラカラになってしまうのですが、水を撒いたところから風がそよぎ出し涼しさを送ってくれるような気がしたものです。幼稚園で唯一の『コンクリートジャングル』、上の畑からの舗装道などに立ってみるとその違いを感じます。白いコンクリートに照り返された陽射しがその上に立つ者を容赦なく熱します。これはたまらんと園庭に逃げ帰れば先ほど撒いた水が風を起し、僕らの暑さをも和らげてくれました。木陰はもう一つ涼しい『涼み処』。職員室前の桜の木も小さいながらに木陰を作り、園庭で水撒きをする際の立ち位置となってくれたものでした。外で仕事をするものにとって、やはり日陰はありがたい。
 礼拝の後は新館のエントランスでプール遊び。今年はこの暑さのおかげで日陰軒下でのプール遊びとなりました。やはりプール遊びはいいものです。子ども達、汗だくになったシャツとパンツ姿のままシャワーを浴びて小さなプールに入ります。室内のクーラーは汗を止めてしまうので新陳代謝の面でよくないのですが、プールではしっかり身体を冷やしながらも汗をかかせてくれます。遊び終わったプールの水が汗臭いのはそのためだと思われるのですが、これは体内塩分濃度とプールの水の浸透圧によるものなのでしょうか。ついつい焼き鳥を焼く前の下ごしらえ、レバーを塩もみして水につけておくあの『臭み抜き』を思い出してしまうのですが、子ども達の『アク』もプールでしっかり抜けているのでしょう。いずれにしても体の中と外から冷やされて、身体の中身からすっきり涼みきれいになった子ども達はなんだかとても気持ち良さそう。僕らも子ども達に水をかけるついでに首筋を水で冷やしたり、足だけプールにつかったり、一緒に涼を取らせてもらいました。やはり水遊びは気持ちのいいものです。
 プール休憩の時間にはエントランスに敷いてあるマットをブラッシで洗ったり、そこで手足を伸ばして寝転んでみたり、色々と遊んでみました。プールが終わればその水を中庭のさつまいもに撒いてあげたり、園庭に向って水播きしたり、一つのプール遊びもただのプールでは終わりません。お仕事・お世話だってちゃんと子ども達の遊びになるのです。ご褒美のおやつは冷たいポッキンアイス。それをうれしそうにほおばる子ども達。そんなこんなでみんなで考えながらいろいろやってみた夏の預かり保育でした。そう、考えてみればこれが『田舎の夏休み』なのかもしれません。縁側の軒下にビニールプールを置いて元気に遊んだ汗を流した後、縁側で冷たいアイスのおやつ。なんだかそんな昔の光景を思い出してしまいました。

 そう、こうやって考えてみると田舎と子どもと夏休み、この相性はなかなかいいものなのかもしれません。そう言う僕も東京暮らしをしていた子ども時代、ここ日土に遊びに来たのは決まって夏休みでした。夏の日土は色んな可能性に満ち満ち溢れ、何はなくとも毎日冒険していた、そんな思いがしています。まだ若く元気だった祖母も僕らが日土に着いた2〜3日の間は張り切ってあっちこっちに連れて行ってくれたものです。記憶は定かではないのですが大人になってからの考証の結果、あれは新町銀座のおもちゃ屋さんや呉服屋さん、幸町の小売商いのお店屋さんだったのでしょう。お店の人に祖母がうれしそうに「孫が帰って来ました」と言って紹介して僕らも挨拶をさせられた後、おもちゃやアイスなどを買ってもらった思い出を今もありありと覚えています。僕らからしてみればそんなうれしはずかしの挨拶参りのお勤めを一通り終えたなら、それからが僕らの自由な夏休み。時間と冒険と可能性にあふれた夏休みが始まるのでした。
 日土の朝は蝉とヤマバトの鳴く声で目が覚めます。朝一番に「でーでーぽっぽー」と鳴く鳩の声、あれは何故かここでしか聞けない鳴き声のような気が今でもしています。もっとも、街中では朝イチにヤマバトの鳴く声などそうそう聞けはしませんからそう思うのかもしれませんが。その上から「シャクシャクシャクシャク」蝉の声。東京で聞きなれた面倒くさそうに無愛想な声で鳴くアブラゼミの「ミン、ミン、ミン、ミン、ミー」とは違った爽やかさな目覚ましです。それらに促され目を覚ますのですが、部屋の中はまだまだ薄暗くしばらくの間まどろみを楽しませてくれます。当時はまだサッシなどなく夜になると雨戸を閉めて寝ていたので、母屋の奥の座敷は朝を迎えても薄暗がりの中にありました。所々漏れ出した光が障子におぼろげに何かを映し出しているのに気づきます。それは雨戸の節穴から漏れてきた光で、今思えばピンホールカメラの原理で障子に外の情景を映し出していたのでしょう。大きすぎる穴のため結像こそしませんでしたが、外の木々の緑を写した綺麗な緑色の光線達だったことを覚えています。
 そんな幻想的な朝から始まる日土での一日、早々に朝食をすませた後は勉強の時間です。幼稚園の職員室でノートを広げ、涼しい時間に宿題に取り組みます。この夏もうちの甥っ子が遊びに来ていたのですが、事ある毎に母親や祖母達から「勉強しなさい」と言われている『のび太』のような姿を見るたびに、「僕はそんなこと言われたことなかったけどなあ」と自分の幼少時代を思い起こしてみます。まあ記憶など自分に都合のいいものしか覚えていないものではあるのであてにはなりませんが。僕は宿題のことで両親や祖父母にうるさく言われた記憶はないのですが、ある夏、祖父に一度だけ怒られたことを今でもしっかり覚えています。「こんな昼間っから電気をつけるんじゃない!」と。確かに窓際に置かれたその机は薄明るかったかもしれません。それにしても勉強をせずに怒られるならともかく、勉強していて怒られたことに対しては大いに憤りを感じたものでした。でも今思い返せばあれがあの人の哲学だったのかもしれません。『それは本当にもったいなくないのか?』という。『蛍の光・窓の雪』ではないにしろ何もない時代に生まれ生きてきた祖父の世代の人々からしてみれば、僕らが何も考えずあたりまえのように蛍光灯をつけている姿が腹立たしく見えたのかもしれません。『勉強している』という大義名分に驕っていた僕をたしなめたのでしょう。もしかしてただ『虫の居所』が悪かっただけかもしれませんが、故人の想いを思い起こし受け継ぐと言うのはこういうことなのかもしれません。今、エコだのCO2削減だの言いながら僕らに出来ることと言えば、やはりこうやって節約することぐらいしかないのでしょう。そのことを『もったいない』という感性をもって直観的に実践していた先人達の行いを、もう少し僕らは評価し見習うべきなのかもしれません。

 そう、昔話の続きです。勉強が終われば虫取り網と籠を持って蝉取りに飛び出して行きます。幼稚園の門の前の桜の木、そこには蝉がいっぱいとまっていて、虫網で簡単に捕まえることができました。さらに圧巻だったのが松岡公民館下の桜の木。あれには膝くらいの高さからびっしり蝉が取り付いていて、手づかみで難なく何十匹も捕まえることができたものです。あれが桜の木だと知ったのは大人になってから。当時その木は僕にとって『蝉の木』だったのです。蝉取りから帰ると次は下の川に泳ぎに行きます。当時はまだ水もきれいで防川の防砂堤下辺りで泳げもしたものです。また手網を持っては魚取り。何の策もなくただすばしっこいハヤを追いかけたのですが、そんなんで捕まるはずもありません。一度何の偶然か網の中に小さなハヤが飛び込んできたことがありましたがその時はうれしかったです。元気すぎるお調子者のハヤだったということもあるのでしょうが、バケツに入れておいたら跳ね上がり川に逃げ帰られてしまいました。
 今年、甥っ子達を連れて下の川で釣りをしている時、近所の女の子達がおばあちゃんと一緒に網を手にやってきました。僕らは橋の上から糸を垂れながらその子達の魚取りを見ていたのですが、それはなかなか巧妙なものでした。彼女達、網の目の細かい虫網の中にパンくずを入れ川の水の中を泳がせています。するとハヤの稚魚がそれを突付きに集ってきました。そこをすくい上げれば難なく魚が取れるという画期的なもの。でもこれがこの辺りの常識なのでしょう。初めて見た僕らは感心してしまいました。どうやらおばあちゃん仕込みのこの漁法、女の子達も慣れた手つきでやっていました。しかしこの子達、大漁ではありましたがこの方法では稚魚しか取れないようです。僕らは釣り上げた10cmほどのハヤ達を川に帰しに降りたのですが、「ほしい」と言うので元気なやつを彼女達のケースに入れてあげました。今でもあのハヤ達はどこかの水槽で元気に泳いでいるでしょうか。

 またまた昔話に戻ります。夜は夜でカブトムシを取りに夜の日土を歩きました。とは言っても僕らが目指すのは街燈のあるところ。夜の8時過ぎ、病院の坂道を懐中電灯を片手に降りてゆきます。当時坂の途中に木製の電柱と裸電球があって、そこによくカブトやクワガタが集っていたものです。そこをチェックし、光に集ってきていたカブト虫などがいればそれを捕獲して先に進みます。日土のAコープまで歩いてゆくとそこには自動販売機や街燈など、暗い田舎の夜にあって灯りがこうこうとついている場所がありました。ジュースの自動販売機の下を探したなら、カブト虫やコクワガタ、時にはノコギリクワガタを見つけることもありました。その戦果に満足し、意気揚々と帰って行った小学生の僕でした。それが今ではそんなところを探してもカブトムシ達を見つけることもなかなか出来なくなりました。
 この夏、一番暑かった晩。少しでも風通しを良くしようといつもは網戸の上から閉めている厚手のカーテンを開けていたところ、ベランダで騒がしい羽音が聞こえてきました。なんだろうと気になって外を見てみると、その窓の網戸にクワガタがくっついてとまっていました。それもここで久しく見たことのなかったノコギリクワガタのオスです。とっくに眠ってしまった甥っ子達を起こすわけにもいかず、捕獲して虫かごに入れておきました。するとしばらくしてまたばたばた物音が聞こえてきます。そんなこんなを繰り返しその晩、合計3匹のクワガタを何もせずに捕まえてしまいました。後の2匹はコクワガタのオスとメスだったのですが、真っ暗の山の中にこうこうと灯りのついていた窓が一つ見えたのでしょう。この辺りのカブト・クワガタ達がそれをめがけて飛んできたようでした。それからもカブトのメスが飛んできたりカナブン達がぶんぶんやってきたり、色んなお客さんが僕のベランダを訪れたものでした。しかしそれも一番暑かったあの数日が終わってしまえば訪れるものもいなくなり、それに代わって外からは虫の音が聞こえてくるようになりました。いつも同じ、いつまでも同じと思っているのは人間だけ。自然に生きるもの達はこの微妙な変化をその身に感じ、季節と共にまた巡ってゆくものなのです。

 この夏は本当に暑かった。でも東京歩きや子ども達との関わりの中で、こんな時には『水撒き』が一番と悟り、自分の生活の中にも取り入れてみました。僕の部屋の前にはベランダかあるのですが、夕方は西日が差し込む一番暑い場所でもあります。一方、日が暮れる頃まではこちら側の窓からは一日風が吹き込んでくる『風の通り道』でもあるのです。「ここに池でもあれば吹き込んでくる風がもう一つ涼しくなるのではないか」と『東京公園巡り』の経験からそんなことを思いつき、排水口に蓋をするゴム製の栓を製作しました。ダイキで直径60mmのゴムブロックを買い求め、それにネジ付きフックとワッシャをナットで締めて取り付けました。栓をしてもそれが抜けなくなってはマヌケもいいところ。先ずはその取っ手を取り付け、引っ張り強度も確かめて排水口に栓をしてみました。その口径は実質60mm弱、栓は少し頭を残すくらいにしてはまり、ちょうどいい感じ。そこに水を流してみればうっすら水がたまってゆきます。そのベランダは木製でその上から樹脂のコーティングをしてあるので、排水口の丸も少々いびつ。そのせいでしょうか、水は若干ずつ抜けているようで2〜3時間もすればなくなってしまいました。また排水口から遠いところから蒸発によって乾いてゆくのでしょう、その池というより水たまりの範囲も徐々に狭まってゆくのですが、まあ思いつきで作ったにしては上出来だったのではないでしょうか。「その効果は」と言えば、確かに風は体感的に涼やかに感じられるようになりました。しかし部屋の中の温度計を観察していると、水撒きの前後での温度変化は見られません。さあこの考察、どう総括したらよいものか。もう少し観察が必要かもしれません。ただ栓をつけっぱなしにしていると大雨の時に大変なことになるし、水がずっとたまっていたのではボウフラが湧きかねない、と言うことで毎回夜には外すようにしています。『自然のもの』と言っても扱い方を間違えれば逆に痛い目にも合うものです。そのへんはよくよく考え観察しながら、また今後のエコプロジェクトに生かしていきたいと思っています。

 そんなこんなでこの夏休みも終わってしまいました。結果はともあれこの夏に始めた、『エコであってかつ心地良いもの探し』はこれからも色々とやってみたいと思っているところです。先日は『日常歩き不足改善』のために、家族と車で出かけた先、保内のダイキだったのですが、から一人降ろしてもらって歩いて帰って来ました。二週間ぶりの長歩き、2kmほどの道のりを30分かけて歩きました。それだけでまた少したるみ始めたふくらはぎの筋肉が心地良く張り出しました。でも日土の小学生など毎朝それくらい歩いているのですから、大人というものはどうもいけません。と言うことで幼稚園でも子どもを見守る時など、それまで石段に座りながら見ていたところを出来るだけ立ち歩きしながらするようにし、腰掛けずにいる時間を長く取るように心がけてもいます。わざわざジムとかプールとか行かなくても日常の中で出来ることって色々あるはず。そんなものをこれからも探して行きたいと思っています。そう、あの預かり保育で子ども達が教えてくれたように、『遊ぶことだけが遊びじゃない』。遊びながら出来るお仕事もあるのだし、お仕事しながらトレーニングできることもきっとあるはず。だって基本はただの怠け病、文明依存、運動不足なのだから。それを昔の人は当たり前にやっていました。身体を使って働いていたから、あんなに心も身体も元気だったのでしょう。僕らも子ども達と一緒に、そんなところを見習うことからこの二学期を始めたいと思っています。


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