園庭の石段からみた情景〜11月の書き下ろし1〜 2011.11.4
<おさきにどうぞ>
 今年の秋もいよいよ十一月、晩秋の頃となりました。幼稚園の丘の木陰ではツワブキの黄金色の花が色鮮やかに咲き始め、薄暗い園庭にハイライトの彩りを添えてくれています。ツワブキの花とは面白いもので、ひだまりの中で陽の光に照らされている時にはテラテラのグロスイエローに輝いて見えるもの。花びらも肉厚で腰も張りもあるようなそんなしっかりとした印象を感じさせます。一方、日陰で咲いているツワブキはそよぐ風にゆれるほどにたおやかで儚げで優しい花のイメージです。どちらも同じ花のはずなのですが、ライティングの違いから受ける印象差なのか、日向のものの方が陽の光を一杯に浴びて育つので実際にたくましく育つのか、よくよく分からぬまま今年もツワブキを見つめながら、「やっぱりきれいだなあ」と言う想いに浸っています。それを横から大喜びの大騒ぎでぶちぶち摘み取って行ってしまう子ども達。「ほどほどにね」と言いながらも名残惜しく、美しく咲いている黄金色の花をカメラに収め残していた今週の僕でした。

 今週の『ばら・たん組』、ちょっと前に捲いた種が急に芽を出してちょっとうれしびっくりしたものでした。事の発端は数日前、『どっちがさき!』で喧嘩をしたあげくに双方泣き出した子のことをお帰りの時間に取り上げて、「そんな時はなぁ、『おさきにどうぞ』って言ってあげられる方がお兄ちゃんなんで」とみんなに話したこと。その時はクラスのみんなが神妙な顔でじーっと話を聞いていました。
 最近の子ども達、知識やお口はもう下手な大人より立つので心配はいらないでしょう。後はその『頭偏重』になりがちな心と、自分で気持ちを切り替えて想いをコントロール出来るように成長して行けたなら、きっと素敵な大人になれるはず。今は自分の頭で考えた『物事が全てうまくいくストーリー』の世界の中で暮らしている彼らがこの先もっとずっと素敵に大きくなってゆくためには『自分の想い通りにならない物事をどう自分の中に受け入れられるか』が課題となってゆくことでしょう。だから理詰めの「一番でなくっちゃダメ」のこの子達をたしなめる際に僕が取るのが『おとぼけ作戦』。幼い理屈で押してくる彼らに、『論点スライド』で間を外しながら言葉を返せば段々イライラしてきて仕舞には「もう、あっち行って!」とぷんぷん怒り出してしまいます。こんなおとぼけ会話遊び、普通はこの年頃の子ども達は大受け大笑いしてくれるのですが『真面目君』には腹立たしくて通じないようです。でもこれも実は頭の体操。自分が思ったことと違った答えが返って来た時、それに対してどう受け応えるか。笑ってしまえるユーモアや、そこから発想を転換できる柔軟さがきっと彼らには必要なのです。その意外性やナンセンスさに思わず笑ったり、悪乗り路線に同調してくれるような子の方が色々な状況を受け止められるしなやかな発想やセンスがそこから育ってゆくのだと僕は思っています。だから真正面から重ねて叱るより、自分の姿の滑稽さをデフォルメを持って伝え感じさせる。その中に自分の足りなさを感じることが出来たなら、きっとその子は自ら変わってくれることでしょう。これは『対・頭でっかち君作戦』で『おちゃらけ君』にはまた違ったアプローチが必要です。悪乗り一方の子ども達に対しては今度は『正攻法でお説教』、TPO?を色々考えながら子ども達と向き合っている僕の毎日です。
 その何日か後のこと。十一月に入って聖句が『人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい』となりました。合同礼拝の場で潤子先生が「新しい聖句言える人?」と尋ねたのですが、「はい!」と手をあげたのはばら組の男の子。まだ一度も斉唱したことのないはずの聖句を見事に言ってのけたのです。これにはすみれさんもびっくり唖然。長年みんなで聖句暗唱をやって来ましたが、『予習』をしてきた子を目撃したのは初めて。日頃この子達のことを「頭でっかち君」と揶揄もしていたのですが、この知的好奇心は本当にたいしたものです。こんな想いを上手に伸ばしながら、身体を使った遊びや運動ともうまくからめてバランスの良い心と身体を育てて行ってあげたいと思ったものです。周りのみんなもこの子に影響されて競って聖句を口にするようになり、これもうれしい関わり合いだとうれしく見つめています。

 そんなこんながこの子達の心に種として静かに落ちていたのでしょう。ある日のお帰りの時間、「せんせいさよなら!」と言って部屋を飛び出して行った子ども達がおもむろに階段の一番上に座り込んで「おさきにどうぞ」と口にし出しました。すると次々にみんなが「おさきにどうぞ!」、いつも込み合う下駄箱でみんなが道の譲り合いっこを始めたのです。その中にはたんぽぽさんも入っていたのがおかしなところ。「私の方が当然お姉ちゃんだから譲ってあげるの!」って顔で言っているものだから思わず笑ってしまいました。これがあの『お先にどうぞ講演』と『人にしてもらいたい聖句』の種から育ってくれた芽だとしたら本当にうれしいことです。『押し合いへし合いの一番』よりも『譲ってあげられたゆえの一番』と言うものをこの子達は新たな価値観として、自分達のステイタスとして、自分の中に受け入れることが出来るようになりつつあるようで、ほの温かなうれしさを感じています。
 人と言うのは面白いもので「僕が一番!」と相手にやられると「なにを!僕こそ一番!」ってやり返したくなるもの。しかし「おさきにどうぞ」と言われたなら「いえいえ、どうぞそちらこそ」と返したくなるのが人情です。優しい木陰の光を感じられる感受性がたおやかなツワブキを育てるように、この子達もこうして自分の心を研ぎ澄ませることで、相手の想いを感じられるようになってゆくのでしょう。まだまだ『いつもいつも、みんながみんな』と言う訳には行きませんが「おさきにどうぞ」が子ども達の口からこぼれ出した、今週はそんな素敵な週でした。


戻る