園庭の石段からみた情景〜園だより12月号より〜 2011.12.16
<みんなマリヤさん>
 急に訪れた先週末の寒さは冬本番を思わせるような冷たさで、「寒い寒い」と言いながらまだ幾分余裕のあった僕らの心に冬の厳しさを一気に思い出させてくれたヘビー級の寒気君でした。しかし闇が深ければ深いほど燈火の灯りが明るく輝く様に、こんなアドベントには4本そろったクランツのろうそくがより明るく暖かく感じられるもの。いよいよ週末に迫ったクリスマスを想いながら心躍らせながら、子ども達と過ごした一週間でした。

 今年もクリスマスを前に準備を進めて行く中で、子ども達の真っ直ぐな想いと声がこぼれ聞こえてきました。やはり聖劇にことのほか興味を示し、日常の中で再現しながら遊ぶのは女の子達。行き帰りのバスの中など、彼女達の『ひとり聖劇』が繰り広げられ、マリヤから天使から博士から、「どれでも任せてちょうだい」とばかりに大きな声でご機嫌に演じてくれています。そこに水を差すのが僕とお調子男子軍団で、彼女達の熱演にちゃちゃを入れおとぼけセリフでまぜっかえせば、「ちがうよ!」と真顔で抗議する女の子。一喝しておちゃらけチームを黙らせた後、また引き続き気持ち良さそうに『ひとり芝居』を再開するのでありました。誰に言われてやるでもなし、やらさせてやるのでももちろんないこんな彼女の聖劇にかける想いはきっとこのあと素敵な花を咲かせる事でしょう。
 男ってやつはまったくしょうながないもの。『おちゃらけ君』は僕やこの子達だけでないようで、お家でもちゃちゃを入れている輩がいるとのこと。『なりきり女の子』のお相手にご指名されたお父さん、「お気の毒ですが…、馬小屋だったら空いてます」のくだりに「馬小屋はやだやだ!」と言ってお調子をしているそうな。女の子は大喜びで突っ込んでいるそうですが、こんなことで喜んでくれる三歳児時分はやはり一番かわいい盛りなのでしょう。これがあと十年も経って「お父さん、さむう!」とか「私、ふかふかベッドのホテルじゃないといやだから」なんて言う娘になるんじゃないかと思えばちょっと淋しくもなってきてしまいます。そう、今のこのまっすぐな心がこのまま素敵にまっすぐ育ってくれますようにと一緒に神様にお祈りしましょう。家族一緒に素敵な夢を一杯見て、みんなで毎年素敵なクリスマスを過ごしつつ、幼き日に憧れたページェントを思い起こしながら、清楚なマリヤさんのような女性を夢に見て、お父さんとのアウトドアにも喜んで一緒についてきて(これは僕の趣味?)、そんなロマンティックで素敵な暮らしが十年も続いたなら「馬小屋でもかまいません」と静静と言ってくれるかわいい女の子に育ってくれるのではないでしょうか。希望定観測と妄想が混じっている様ですが、幼稚園のクリスマスが彼女達にとってその第一歩となってくれることを願っています。

 さあ金曜日、今年も無事に幼稚園のクリスマスが終わりました。思い返してみればやはり想いがたどり着く先はページェントでしょうか。今年はすみれともも組の18人で挑戦した聖劇ですが、それプラス二人の先生、そしてカレーのおばちゃんやひげのおじちゃん達も幕の外・内・控えの間でがんばり子ども達を支えてくれました。みんなに支えられ織り上げられてゆく一遍の聖劇を、僕は後ろからただただ眩しく見つめておりました。
 マリヤさんの女の子。週の半ばでお休みしてみんなを心配させたものでしたが、本番当日にはあんなにしっかりとマリヤさんを演じてくれました。本当に聖劇が大好きだった彼女、やりたかった役が出来て今夜は大満足のうちに眠りにつくことでしょう。でもそんな彼女を心配していたのは僕らだけではありませんでした。彼女がお休みした時、僕が悪戯半分に「○○ちゃんがお休みだったら、マリヤさんの役が回って来るかもね」なんて別の子に言ったのですが、その子もその子のお母さんも大真面目な顔で「いいえ、○○ちゃん早く治るといいですね」と言ってくれました。とても嬉しかった半面、なんかバツの悪い想いの僕でした。彼女が治って登園してきた時にまたこのお母さんが「よかったね○○ちゃん」と声をかけてくれた姿を見つめながら、そんな一言が何だか妙に眩しくって、「マリヤさんってこんなお母さんだったんだろうな」と思ってしまいました。
 そんなみんなの想いを一身に受け、マリヤさんは赤ちゃんのイエス様人形を大事に大事に掲げるようにして抱きながら、最後の讃美歌を歌っていました。ヨセフさんに連れられている時には、「マリヤさん疲れましたか?」なんて言う男の子のセリフをつつましく聞きながらも堂に入った立ち振る舞いに、「リードしているのは彼女の方だよな」と思わせる程の彼女のお姉さんぶり。でも赤ちゃんを抱いている時には「とってもしあわせ」って表情がとっても素敵で、「ああ、女の子だよなぁ」とついつい見とれてしまいます。『宿ひとつ見つけられない亭主の体たらく』に奮起しながら、赤ん坊を抱けば聖母マリヤの様になれる(マリヤさんなのですが)彼女、きっと素敵なお母さんになることでしょう。そして会場にも赤ちゃんを抱っこしながらおんぶしながら、子ども達の聖劇を見つめていたお母さん達が沢山いました。大きく育った子ども達のことを想いながら舞台を眩しそうに見つめていたお母さん達おばあちゃん達がありました。この瞬間、きっときっとみんな『マリヤさん』だったことでしょう。自分達の日常に戻ったなら、『おこりんぼ母さん』を演じなければならないお母さん達が我が子を腕に、そして思いのうちに抱いた時、その時だけはみんなきっとマリヤさんになれるのです。だってみんな女の子なんだから。そのことを思い出させてくれたのは、今年の子ども達の聖劇でした。これこそ神様が僕らに与えてくれたプレゼント。素敵な素敵な神様からのクリスマスプレゼントでした。


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