園庭の石段からみた情景〜3月の書き下ろし1〜 2012.3.3
<小さい成長、みーつけた>
 音楽会をなんとかみんなでやり遂げて、ほっとしたい想いで迎えた週明けでしたが、『ほっとした』のは子ども達も同じことのよう。明けてみればお休みの子が一杯でちょっと寂しい一週間となりました。でも音楽会ではそれだけ頑張っていたのでしょう。普段はわちゃわちゃへらへらやっているように見えるこの子達ですが、あの舞台でのテンションは確かに普段とは違いました。怖がりで泣き虫だったこの子達がしっかと舞台の上に立って最後までやり遂げたこと、それが何よりの成長だったと思うのです。ですから大いに頑張って疲れちゃったその時には、ちょっとゆっくり甘やかせてあげてください。「よくよくがんばったね」と。それが心の栄養となって次のがんばりにきっとつながってゆくことでしょう。

 週末、お家で大いに褒めちぎられて来たのでしょうか。今週の『ばら・たん組』はなんか一味違いました。何かにつけて「○○してくれるひとー?」と声をかければ、みんな一斉にやってきて、お世話してくれたりお手伝いしたり。目の前に近づいてきた進級のイメージと相まって、なんか『お兄ちゃん』『お姉ちゃん』と言う言葉にレスポンスよく食いついて来てくれた子ども達でした。そう、お片付けでもこれまでは『私は出来るお姉さん』を自負している女の子チームが率先してやってくれていたのですが、最近はあのわちゃわちゃ男子チームが何に目覚めたか覚醒したか、張り切ってやってくれています。これまではみんなの『お片付け』を促しながら、その気になれないわちゃわちゃ君達を牧童犬のように部屋に追い込みながらの『大わらわ』と言った感じだったお片付けタイムが、なんか拍子抜けするほど一体感を持って進んでゆきます。「これがもも組になるってことかな」とやっと訪れた一年分の成長の手ごたえを嬉しく感じています。こんな子ども達の様子だって何事も気がつかなければただの日常、気がつけば嬉しい発見・感謝の想いにつながってゆくもの。子ども達の成長と共に、僕らはそれを見つける観察力と感じる感受性をしなやかに携えていたいものです。
 さてそれはそれでうれしいのですが、男子はやはりこだわりが強いのでしょうか。この嬉しい発見の次には早くも新たなる課題が見えてきます。お片付けする物の取り合いでもめ出し喧嘩になったり、一人で黙々と細かく片付け始めたなら時間の都合でそれを制され涙ながらに「やりたかった!」と訴えてみたりなんて。せっかくいい所まで行っているのにねぇ。そんな時、まずは笑ってしまいましょう。仲裁に入って自分の言い分を聞いてくれると思った先生が笑っている姿を見た子ども達、まずはみんなきょとんとした顔で間が出来ます。こういう時、厳密に『どっちが先でどっちが正しくて』と六法全書に基づきジャッジをしたなら『正と悪』にちゃんと切り分けることも出来るでしょう。でもここで求められているのはそんなことではありません。『お片付け』の中には『みんなで協力して片付ける』、『誰かの分も自分が担ってあげる想いを育む』、『いさかいが起きた時、譲ってあげられる・許してあげられる心を育ててゆく』などと言う課題がちゃんと入っているのです。そんなの教科書には書いてありませんが。『みんなで何かをする』と言った活動の中には、そんな意義がちゃんと込められているのです。『おたがいさま』もあるでしょう。『今日は譲ってもらったから、今度は譲ってあげようね』も集団生活の中では大切なこと。「僕はこれで遊んでいない!」「僕が先に片付けてたの」、なるほどもっともな言い分でしょう。それでも相手のこと、みんなのことを考えて行動できる子どもになって欲しいと思うのです。それを願いながらメッセージを子ども達に投げ続けたなら、段々と子ども達も僕の望んでいることを感じ取り、人としてのモラルや優しさと言ったものを体得して行ってくれるのだと僕はそう信じています。実際、頭の回転の速い女の子達はもうそれを実践してくれています。そんなことでもめるより、友達と一緒に譲り合い笑い合い、先生には「えらかったね」とお褒めの言葉もいただいて評価してもらえる方がどんなに心地よいか、彼女達はもう知っているのです。やっはり半年分程のアドバンテージはあるのでしょうか。
 そう、こうやって子ども達を見つめていると直感的に感じるのですが、自分をコントロールする術を体得するのは女の子の方が年齢的に早いのかもしれません。おむつが取れるのも女の子の方が早いですしね。男は大器晩成、のちに後世に残る大きな仕事が出来ればそれでいい、かな。でも彼らもようやくここまでたどり着いて来れたことを今は一緒に喜びたいと思います。『人が喜んでくれることを喜びに』、『人の評価を心の糧に』、がんばってやり遂げた発表会とそれを受けての大人達の讃辞の声がこの子達の心に響いたのでしょう。そうだとしたならば、発表会もこの子達の『学びの場』として大いに意義があったと言えると思うのです。女の子にだっていつの日か追いつき追い越せと願いながら。でもたいがい年下のお嫁さんをもらうであろう男の子達にとって、その年齢差分のアドバンテージは一生物なのかも知れません。男って奴は幾つになっても幼いもの。その幼さを受け止めてもらえるからこそ外ではがんばって見せることも出来るものなのかも知れません。

 一週早まった音楽会のおかげで、今週は気分的にものんびりと過ごせた一週間でした。『お外に飛び出し』などと言いながら僕はと言えば、日向に三輪車を繰り出して、ハンドルを背もたれに後ろ向きに座りながら子ども達の遊びを見て回っています。平和なこの世の春を満喫している今日この頃。でも来週にはみんな元気に戻って来て、賑やかな『ばら・たん組』となりますように祈っています。さあ、最終回までもうわずか。子ども達の旅立ちの時も、もうすぐそこまで来ています。


戻る