園庭の石段からみた情景〜園だより3月号より〜 2012.3.11
<素敵なカリスマ君>
 雨が降っては止むたびに暖かくなったり寒くなったり、なかなか気候が落ち着かない今日この頃ですが、今年度も最後の締めくくりの日々をゆっくりと過ごしております。そんなのんびりとした日々の中、力の抜けた頭とまなこで子ども達の姿を眺めていたなら、また面白いものも見えてくるもの。なんてことのない普段の遊びの中にこそ、子ども達の真の姿があるのかも知れません。

 もも組の男の子達がすべりだいで連れ立って遊んでいました。傍目に見たなら、ただただくるくる走り回っているだけのようなのですが、よくよく彼らを見たならば、いつもある男の子が先頭。別に彼に「俺についてこい!」と言う専制君主的な言動がある訳でなく、どっちかと言えばマイペースタイプの男の子なのですが、見ていると他の子が「次はどうする、○○君!」と彼の次の一言をうれしそうに待っているのです。ひょうひょうとした彼は「じゃあ次は…」と次々に新しいアイディアを口にして動き出せば、その後にわんこの様に連れ立って新しい遊びに飛び出してゆく彼らでした。僕はそんな彼らの姿を「へえー」と思いながら眺めていました。彼のキャラクターの塩梅が仲間達に心地よいのでしょうか。「どうする?」と聞かれれば「こうしたら!」と即座に答えられるインスピレーションと頭の回転の早さを持ちながら、それに固執することのない柔軟性とあいまいさ。別に一人でも構わないのだけれど、みんなから「○○君!○○君!」と言われれば『まんざらじゃあない』と言ったにやけ顔で、よくよく惜しみなく自分のアイディアを次から次へと繰り出してくれる男の子。普段はぼーっとしていて人の話を聞いているんだか聞いていないんだか、彼お得意の『ボケ』ではぐらかしてみせるような所もあるのですが、そんな感じなので大人受けせずにいつも実力よりも評価の低いその子が『子ども社会』の中では『カリスマ的絶対支持』を受けていることに笑ってしまいます。彼の長所や才能に気づいていないのは大人の僕らばかり、子ども達にはその魅力が何より輝やかしく眩しく見えているのでしょう。大人の提示する課題に対していつもいい所まで行くのですが、そのあとその実を結ばない。集中力や持続力の問題もあるのですが、一番のキーはやはり『やる気とその気』。なにか自分と同じ匂いを持った彼にはなぜかそのようなものを感じてしまう僕でした。
 ちょっと自己分析してみましょう。外界の入力情報に対して『ピン!』とひらめきはするものの、それを煮詰めて行く過程で「あっ、これは成り立っていないな」と思うと次の方法や手段を探そうとするシーケンスに入ってしまう僕。『障害』や『問題』をなぎ倒してまでその道を突き進もうとする根性がない僕。『猪突タイプ』、これは僕の父などがそう言うタイプなのですが、のような突破力がない(これにも良し悪しがあるのですが)。またプロジェクトの青図を考える時、時間をかけて「これで出来た!」と言う所まで作り込むのですがそこがテンションの分岐点となり、自分的にはもう満足してしまって実行の段ではひくーいモチベーションで参加などと言うこともしばしば。実に『僕』と言うのはそんな人。大人の今でこそ、そのテンションの低さを自覚しながら、なんとかゴールにまで持ち込める術を身につけることも出来るようになったのですが、奥さんや家族からは「顔が恐い」とか「もっと楽しそうな顔をしろ」等と言われてしまいます。約束を守るため自分の役目を果たすため、自分の想いと折り合いをつけながらこれでもがんばっているのですけれど。僕もまだまだ課題は多いようです。若いころは途中で投げ出したり、グレイトエスケープしちゃったり、なんてそんなこともありました。そんな僕からすればその頃の自分よりずーっと若い彼の『むらっけ』、実によく分かるのです。そのむらっけがあるからこそ、『瞬間風速』であったとしても誰にも真似の出来ないパフォーマンスが発揮出来ることも。生まれ持った性格はなかなか変わりません。でも時の流れに身を任せたなら、自然に変わってゆくこともあるのです。こんな『僕ら』のことですから人に言われて変わることはなかなか出来ないでしょう。でも自分から『今の自分じゃだめだな』と感じ『こうしたら自分はもっと出来るんじゃない?』等と思う瞬間が訪れたならば、またあの独創的インスピレーションが働き出して自分のゆくべき道をはじき出してくれることでしょう。僕らにはそんな能動的動機がきっと必要なのです。結果が出せれば世の中はきっと評価してくれるもの。彼にもそんな時が来たならば、もっとすごい『カリスマお兄ちゃん』になっていることでしょう。

 幼稚園の保育において子ども達への投げかけはいつも一辺倒ではありません。『幼稚園は学校』ですからカリキュラムに基づいて『こうしたら出来る』と言う『HOW TO』を教えるのも大事。しかし「はい、教科書を開いて」と言う一斉指導が成り立つ小学生ならいざ知らず、『みんなで一緒に』が出来ないのが三歳児からの幼稚園児。『出来ないことに挑戦することへの不安感』、『自分のしたいことを一時抑えて、教師の指導に従わなければならない苛立ち』、それらが彼らのエスケープの原因。ですからいきなり『課題』を投げかけるのではなく、遊びの流れの中で彼らの『なんか面白そう』、『やってるみんなは楽しそう』の琴線を鳴らすことが出来たなら、きっとみんな飛びついて来てくれるはず。その辺のコツ、○○君の自由遊びの中から『ご教授』いだだこうと、今日も彼の動向に注目しています。『やらさせるのはいやだけど、なんだかやりたくなっちゃうその塩梅』、それが世の中にある流行やブームの源。子ども達の心を嬉しい想いで満たしながら、成長へと誘うそんな投げかけが、日々の関わりの中で一つでも二つでも出来ますようにと祈りながら、僕らはきっと明日も彼らに声をかけてゆくことでしょう。彼らの素敵な成長を夢見ながら。


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