園庭の石段からみた情景〜3月の書き下ろし3〜 2012.3.18
<ありがとう、心を込めて>
 寄り戻しの寒気が訪れる度に「寒い、寒い」と身をすくめる日々が続いているのですが、ひとたび太陽が輝き出せば「あったかいー!」と心も身体もコートを脱ぎ捨てて飛び出したくなるようなそんな気分。寒さの中にありながらも「さすがにもう春でしょう」と言った雰囲気の一週間でした。そう、梅や菜の花に続いて盛りを迎えているのがすみれの花です。幼稚園の丘の一角に群生しているすみれを見つけカメラを向けてみたのですが、お天気の最中にも吹きすさぶ北風に煽られゆさぶられしているすみれ達。なかなか思うような写真になりません。それでもシャッターを切ってみれば、思いがけずいいショットが撮れたりしてなんとも不思議なものです。そう、その姿はまるで幼稚園の子ども達のよう。思い起せば入ってきたての頃は表情も固く半分泣き目のこの子達、一枚の写真に撮るにもなだめすかし笑わせながらなかなか苦労させられたものでした。それが今では「写真撮って!」の大合唱。その声に応えてカメラを向ければ、やりたい放題好きなポーズと表情で自己PRも出来るようになりました。そう、少々の被写体ぶれもなんのその、おすましではない『今の表情』をカメラに向かって送りつけてきます。カメラマン泣かせのその顔をカメラ越しに見ている時には「だめだこりゃ」と思うのですが、撮れた写真を見てみれば「なんかとってもいい感じ」。こちらがあれこれ構図など気にして整えてやるより、絵的には粗いけどとてもいい顔が撮れることがあるのです。そう、僕らが考え整えてやることなど取るに足りないこと。それに対して神様が整えてくださることは僕らの想いや理解を超えて与えられることも度々あるのですが、それをこうして見つめてみればちゃんと素敵な賜物を僕らに届けてくれるのです。それはヘボカメラマンの僕の様に、子ども達に面と向かっているその瞬間には分からないかも知れないけれど、後からその輝きに気づくその時がきっとやって来ることでしょう。

 今週のばら・たん組、幼稚園も最終週と言うことでお別れ会や卒園式の練習、そしてホワイトデーまでありまして、『お別れ』と『贈り物』を分かち合い交し合いした一週間となりました。一年前、お母さん達に「今日からここに通うのよ」と連れられてやってきた幼稚園。初めは「そんなこと言われても、こんな知らない所、知らない子ばっかり、いやよ」と思った子もあったことでしょう。それはそうです。お母さん達が良かれと思って決めた入園も、子ども達にしてみれば「話が違うよ」と思ったことも沢山あったはず。幼稚園とはお母さんと一緒にやって来て一緒に遊ぶ所だと思っていた子、登園も「月に一度か週に一度くらいよね」のつもりでいた子、みんな「ちょっとー、おかあさーん!」と涙したものでした。でも園生活の中でお友達と一緒に遊ぶ楽しさを知りました。何かに向かって頑張る素晴らしさも学びました。そしてそれが出来る自分達であると言うことにも気がつきました。「僕らって出来るんじゃん!」と。そう、これまではそれをしてこなかっただけ。その場を、機会を、自分達の今の課題を、与え指し示してくれる人がいなかったそれだけのこと。でもそれはそう、それが幼稚園のお仕事なのです。子ども達の園生活でのひとつひとつの動向を受け止めながら、それらを教材として取り上げて子ども達と共に考え学び、分かるように出来るように導いてゆくこと、それが僕らのお仕事なのです。『自分のやりたい想いを表現すること』、『相手の想いを感じ取り思いやること』、『今自分が何をなすべきなのか感じ考えることが出来るようになること』、『相手の喜ぶことをしてあげたいと思えるようになってくれること』、そんな心を育ててゆきたいと僕らはいつも思っています。でもそれはみんなで教科書を開いて一緒に音読したところで身につくものでは決してありません。自分の経験を通して自分の身を持って感じ考えそうしたいそうなりたいと願わなければ、幼いこの子達の心に芽吹き大きく枝を張ることは出来ない心達なのです。

 聖書の中にはイエス様とお弟子さん達のやり取りの様子がよくよく描かれているのですが、その基本となるストーリーはお弟子さんが行った過ちをイエス様が諌め、例え話など分かりやすい言葉を用いて教えてゆく、と言う描写で構成されています。イエス様が「これをなさい」、お弟子さんが「はい、出来ました」、百点満点!と言う話はまずありません。でもここに幼いものに物事を教える術のエッセンスが凝縮されているのです。人は自らおこした過ちについて、考え学ぶことによってのみ成長することが出来るのです。子ども達は自分のエゴによって自らの命を輝かせ活動しています。その想いがなければきっとお人形のような子どもになってしまうことでしょう。しかし、その想いは自分だけでなくみんなが持っているもの。自分の想いを肯定するとともに相手の想いも肯定すること、それを学び実践してゆくことによって社会と言うものが成り立つようになるのです。だから自分の「これしたい!」も大事、でも相手に対する「いーいーよ!」もこれまた大事。それをこの子達はこの一年間、この幼稚園でこのクラスで、みんなで学んで来たのです。
 その成果なのでしょうか。一年前は自分の想いを妨げる『敵』でしかなかったクラスメイトが今ではみんなにとっての大切な仲間・お友達になりました。お別れの時を迎えるにあたって、この幼子達が仲間達を愛おしみ別れを惜しみ、みんなにお手紙を書いてあげたり素敵なプレゼントを贈ったり、そんなことをして最後の時を過ごしています。出会いも分かれも一期一会、でもその中にこそ学ぶことが出来ることもあるのです。これも全て神様の御心です。僕らもみんなで一緒にいられたこの時間を感謝しながら、新たな生活へ胸を張って歩き出しましょう。子ども達の成長を神様にお祈りしながら。この一年間、本当にありがとうございました。


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