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<雨の園庭探検> 新年度も二週目に入り、こいのぼりが幼稚園の空を泳ぐ頃となりました。子ども達もこのこいのぼり達のように周りの木々や隣のこいのぼりにひっかかり絡み合いしながらも、また風が吹き出せば並んで泳ぎ出せるようにもなってきました。その個々の『ひっかかり・絡み合い』をほぐしながら、調和やルールや思いやりをまだきっとわからぬであろう子ども達に説き聞かせながら、再び幼稚園の空に放し思いっきり泳がせてあげるのが今の僕らのお仕事と、そう思いながら日々子ども達と向き合っています。「繰り返し繰り返し、僕らの言葉がこの子達の心に響くその時まで、きっと時間はかかるだろうけどそれは決して不毛な努力ではないはず」、そう信じて子ども達と向き合えば、手こずり甲斐もあると思えるから面白いものです。 ばらさんにとって初めての合同礼拝の日、その日は朝から雨が降り出してお部屋とホールで自由遊びの時間を過ごしました。子ども達にとって最大の欲求不満解消は『お外の自由遊び』。特に日土幼稚園では大きな砂場、いつもたらい一杯に張られている井戸の水、そしてすぐ手を伸ばせばいくらでも手に入る自然の草木花などなどがいつもお外に用意され(お金や手間ひまかけて準備したものではないのですが)、遊び方やルールなど何もない全くの『自由遊び』のための素材が子ども達のひらめきやアイディアを素敵な遊びへと昇華してくれるのです。この時間があるからこそ子ども達は満足感や達成感を心に感じ、『自分のノルマ』としての約束事やクラスの活動にも参加できるのでしょう。でもこれが満たされないまま『ノルマ』だけ突きつけられた時に小さい子達などは大爆発してしまうのかもしれません。 ばら組のある男の子。合同礼拝のために靴を履いてみんなと一緒にホールへ向ったのですが、この『靴を履いてお外に』と促された行動を「お外で遊べる!」と勘違いして受け止めてしまいました。いくら言葉をもって声かけをしても子ども達の心にスイッチを入れるのは言葉ではなくその時々の状況やインプレッションなのです。雨の中、この子はホールの入り口を大きくそれてすべりだいに向って走り出しました。しかしこちらもこの一週間のお付き合いで、視野の隅で駆け出すこの子の影に反応しすぐさまフォローに走るというサッカー日本代表のディフェンダーのようなテクニックを修得させてもらいました。すべりだいの手前で追いついて「今日は雨だからお外は遊べないよ、ホールで礼拝だよ」と声をかけたのですが「やだやだ!遊びたい!」と彼は地団駄を踏んで抗います。他の子達がホールで待っているのでその時はこの子に付き合ってあげることが出来ず、抱きかかえながらホールまで戻ってきました。そこから僕らの我慢較べが始まります。ホールでは潤子先生が司会をしての合同礼拝が始まりました。その礼拝を遠目に見ながら僕らは入り口のところで「やだやだ!遊びたい!」、「はいはい、礼拝が終わったらね」の押し問答。そのうちに讃美歌が聞こえてきたので僕もその子に向って大きな声で讃美歌を歌って聞かせます。一瞬「やだやだ!」が滞り「???」の表情を見せる男の子。しかしまたすぐさま『やだやだモード』がリスタート。聖句も一緒に暗唱し、『おはよう先生』も歌ってみんなで「おはようございます」のごあいさつが終わった時、「はいおしまい、ちゃんと礼拝できたじゃん!」とその子を抱き上げました。引き続き向こうでは潤子先生の聖書のお話が始まったのですが、「僕らはここまでよくがんばった、今日はここまで」とその日のがんばり目標をそこで切り上げました。まだまだ納得できない彼に向って「お外に行ってみようか?でもきっとびじょびじょで遊べないと思うから自分で見てごらん」とその子を抱えてお外に出ました。さっきまで降っていた雨は止んでいたのですが外は水たまりと濡れた遊具がたたずむだけの『びじゃんこ世界』。彼があんなにも行きたがっていたすべりだいまで足を運び、「まずはすべりだい、ほらびじょびじょ」とその子の裸足の足を塗れたすべりだいに触れさせます。「これじゃおしりがくっついて滑らないよ」、「んー」と応える男の子。次に向ったのは砂場。砂場に張られたブルーシートの上に水たまりができています。「ほらここも水たまり、海になってるでしょ」、雨にぬれて水たまりを湛えながら瑞々しい青色を発しているブルーシートはまるで海のよう。そう話しかければ男の子は「んー」。その下にあるブランコでは座椅子を指でなぞらせて、「ほらこれもびじょびじょ、座れないね」と言えば「こっちは?」と男の子は隣のブランコを指差します。「こっちも、ね、びじょびじょ」と触らせてみれば、「んー」。お次はジャングルジムのすべりだいまで出向き、「ほら、やっぱりこれもびっじょびじょ」、「んー」。最後に鉄棒のところに戻って来て、鉄棒の雨露を人差し指でなぞれば男の子の頭の上に雫が落ちてきます。「ね、今日はみんなびじょびじょだったでしょ」、「んー」。納得したようなしていないような顔をしていましたが気がつけばあの「やだやだ!」はいつの間にか影をひそめていたのでした。この子も自分の目と手足で『この日の状況』を受け入れてくれたのでしょうか。でもこうやって自分で確かめること、納得することはきっときっと大切なこと。そうやってこの子達は形だけではない物事の道理を学んでゆくのだから。 まだまだ日々この子達の武勇伝は新たな伝説を書き加えていますが、そこには確かな成長や子ども達の変化・手ごたえも感じています。教えるべきことは教える、でも僕らの強いた我慢がこの子達の心を押しつぶしてしまわないように、この子達の心と顔をしっかり見つめながら折り合いをつけながら。そうやりながら子ども達も自分自身の成長を喜びながら、がんばれた自分を誇らしく思いながら幼稚園生活をがんばっています。どうぞそのがんばりをお家でも一杯ほめてあげてください。 |